翌日も朝から湿気をおびた嫌な熱が籠もっていた。雲が重く垂れこめている。昼でも薄暗い空を不二は眺めていた。


異変は唐突だった。庭に馬の蹄の音が響いたと思うと、上がり口が騒然となる。不二は声のするほうへ急いだ。そこには血塗れの郎党が朋輩に抱えられていた。不二の姿を認めると、苦しい息の下から絞り出すように叫ぶ。

「討っ手がそこまでっ。おっお逃げ下されっ。」

そのまま崩れ落ちた郎党の側へ不二は駆け寄った。

「国光はっ。」

息も絶え絶えなその郎党は薄く目を開けた。不二は手を取り、もう一度大声で聞いた。

「国光はどうしたのっ。」
「殿は…」

言葉を吐くたびに、真っ赤な鮮血の泡が口から溢れてくる。それでもその郎党は必死で口を開いた。

「討っ手をかわす際、はぐれ申した…されど榎本の庄には入られたよし…」
「忠興は…秀次は一緒じゃないのっ。」
「ご両人とも…さくじつ…討ち死になされ…」

ご立派な最後でござりました、とそこまで言った郎党は、がっくりと首を垂れた。不二はその場で凍り付いたように動けない。

忠興と秀次が…

最後に見た二人の笑顔がぐるぐる回る。

土産を持って帰りますからなぁ。

忠興はそう言って笑ったのに。秀次が呆れたように首を竦めて…




ばたばたと残った郎党達が具足を身につけ飛び出してきた。

「御渡り様、こちらへっ。」

誰かがぐいっと不二の腕を引く。祐則だった。腹巻と呼ばれる胴体を保護するためだけの鎧と、籠手、脛あてをつけている。

「こちらへおいでくだされっ。」

門の方で怒号や鬨の声があがった。祐則の手には不二のスニーカーがある。

「お早くっ。」

不二にスニーカーを履かせ、祐則はまた手を引いた。不二ははっと我に帰る。

「待って、祐則、大殿さんはっ。」
「お行き下され、御渡り様。」

大音声が響いた。上がり口に国忠が姿を現す。赤地錦の鎧直垂に大太刀を握っていた。仁王立ちになった国忠はまた大声で不二に叫ぶ。

「行かれませ。お早くっ。」
「大殿さんっ。」

ぐいっと強く腕を引かれた。国忠が力強く頷く。館のあちこちに火の手が上がった。

「大殿さんっ。」
「なりませぬ。御渡り様っ。」

祐則が不二の腕を掴んで走り出した。館の中を突っ切り、浜へ続く裏口にたどり着く。

「でも祐則っ。まだ国光が…」
「殿は祠でお待ちのはずでござりますっ。」

祐則は不二を引っ張って裏口から走り出た。

「殿が出陣の際、それがしに仰せつけられました。万が一の時は御渡り様を祠へお連れするようにと。」

不二は祐則に手を引かれながら走った。後ろで大きな音が響く。はっと足を止め振り向くと、館が火に包まれていた。

「祐則っ、館が」
「なりませぬっ。祠へお急ぎをっ。」

ぐいぐいと引かれてまた走りだす。背後で炎上する館の火の粉がぱちぱちと飛び散ってきた。

大殿さんっ。

国忠はあのまま自刃したのだ。一緒にいた郎党達も運命をともにしただろう。

大殿さんっ。

鎧直垂を身につけ、すっくと立った国忠の姿が目に焼き付いている。雄々しく、それでいて不二に行けと叫ぶ目は、慈しみに満ちていた。

国忠は不二に生きろと言った。ならば自分は走らなければならない。

火の粉の舞う松林の中を祐則に手を引かれ不二は駆けた。突然、目の前の地面に矢が突きたった。松林の向こうから何本も矢が飛んでくる。祐則が太刀を抜きはなち、不二に叫んだ。

「ここはそれがしが食い止めまするっ。祠へお走りくだされっ。」




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風雲急を告げる〜。不二君、あやうしっ。忠興叔父と秀次は討ち死にしました。ごめんよ〜、ひ〜〜っ。