館の広い庭は武具を身につけた郎党達で一杯だった。榎本一族や常駐している郎党達は館近くに陣取り、国光の呼びかけに応じて集まってきた者達はその後ろに控えている。その数は何百だろうか、改めて榎本は小領主ながら力を持っていると伺わせる光景だ。
皆の熱気が辺りを包んでいた。興奮して声高に喚き合っている。それでも、不二と国光が姿を現すと、ぴたりと騒ぎがやんだ。急ごしらえだが館正面に設えた足場にまず国光がひらりと登った。大鎧を身につけているとは思えないほどの軽やかさだ。一際高い場所に立った国光は、全員を見渡し、大音声を上げた。

「時は来た。奸臣、北条を討つべく、ついに和田が決起した。三浦党が一つになれば新参者北条など恐るるに足らず。」

おおーっ、と歓声がわいた。更に国光は檄を飛ばす。

「我ら榎本党、天に代わって道を正し、武勇を世に知らしめようぞ。見よ、我らには海神様のご加護あり。」

国光は手を伸ばし、ぐいっと不二を足場の上に引っ張り上げた。もともと身の軽い不二は優雅な動きで国光の隣に立った。また郎党達の間から歓声が起こる。御渡り様じゃ、御渡り様、と口々に声が沸いた。
不二は皆を見渡した。手前には忠興がいる。秀次もいる。いつも館にいる人々の顔、花筏を送ってくれた若い郎党達の姿もあった。武具や鎧が初夏の日射しをきらりとはじいていた。

「みんな…」

静かに不二は口を開いた。歓声が止み、しん、と辺りが静まりかえった。皆、目を輝かせて不二を見つめている。不二は改めて自覚した。今、自分は神だ。彼らの神なのだ。不二がすべきことは、彼らの行く末を案じることではなく、生きて帰ってくる気力を、信念を与えることだ。不二はぐっと下腹に力を込めた。澄んだ声が庭に響く。

「榎本のみんな、僕の大切な人達、海神の加護は皆の上にある。榎本は強い。何よりも強い。だから…」

不二は胸に迫るものをぐっと耐えた。気力を振り絞ってにっこりと笑う。

「だから、恐れるものは何もない。僕がみんなに力をあげる。いつも僕の力が側にある。」

すっと両手を広げる。すらりとした両腕を伸ばし、不二は高らかに言った。

「勇ましく戦ってきて。戦い抜いて、そして必ずここへ帰ってくるんだ。」

海風がさぁっと吹きぬける。うす茶色の不二の髪の毛が宙を舞って煌めいた。たとえようもない花容だ。鮮やかな白と青の衣を纏った神が、今、確かに榎本党の前に降り立っていた。
神々しいその姿に、割れんばかりの歓声があがる。御渡り様、御渡り様、と響きわたる声を抱きしめるように不二は両手を正面に差し出した。おおおーっ、と全員がひれ伏す。ふと気づくと、国光も不二の前に跪いていた。不二は国光の手を取り厳かに宣言した。

「榎本党に幸いあれ。」

国光が不二に手を取られたまま立ち上がった。

「面をあげて天を仰げ。」

当主の声にがちゃがちゃと具足を鳴らし、郎党達も立ち上がる。

「神の加護は我らにあり。」

国光は高々と拳を天に突き上げた。

「いざ、出陣。」

国光に倣い、全員が拳を突き上げる。えいえいおぅ、えいえいおぅ、と鬨の声が空気を揺るがした。
それから騎馬の者、徒の者、それぞれがきちんと陣形を組む。国光も足場から飛び降り、栗毛の愛馬に跨った。秀次、忠興がそれに続く。足場の上から不二はそれを見つめた。秀次は萌黄縅の、忠興は紫糸縅の大鎧で、赤糸縅鎧の国光に並ぶ姿は華やかだ。忠興が黒馬にひらりと跨った。

「忠興っ。」

不二はその姿に思わず呼びかけていた。馬首をめぐらそうとした忠興が動きを止める。足場から身を乗り出さんばかりにして不二は忠興を見つめた。にかっと忠興が相好を崩す。

「土産を持って帰りますからなぁ、楽しみにしていてくだされよ、御渡り様ぁ。」

まるで物見遊山に行くような呑気な口調だ。涙がこみ上げてくるのを堪え、不二は笑顔で忠興に答えた。秀次がひょいと一礼して葦毛の馬首を門に向ける。じっと国光が不二を見つめていた。

泣くもんか。

不二は精一杯の笑顔になる。

泣いてたまるもんか。

ひたと国光は不二の目を見つめ、力強く頷いた。国光は帰ってくる。そう信じられる。不二もまた、しっかりと頷き返す。国光はすいっと前を見据え、馬腹を蹴って先頭に立った。秀次と忠興がその横にぴたりと付ける。おぅおぅと掛け声をあげ、榎本党は出陣していった。不二は動かず、その様を目に焼き付ける。
この中のどれほどが帰ってこられるだろうか。出陣していく榎本党の姿を忘れまい、忘れてはならない、そう不二は心に誓った。死地へ向かう者達へのせめてものはなむけだ。松の葉を鳴らし、海風が館の庭を吹き抜けていった。


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鎧は、苦労しました。調べましたよ、はい。ちゃんと色の勉強しとけばよかったと今頃後悔…決まりがあるんだよねぇ、あれって。腐女子老いやすく学なりがたし(違うっ)