雅兼が帰ると、奥に引っ込んでいた忠興が出てきた。馬を確かめ大喜びする。何故小和賀の殿様がいるときに出てこなかったのかと問うと、ひげ面をしごいて苦笑いした。

「叔父殿は小和賀様が苦手でござりまして。」

そっと秀次が耳打ちをした。なんでも、あのあか抜けた雰囲気がだめなのだそうだ。
不二を乗せる前に馬のくせを掴むといって、忠興は白竜を走らせにいった。強面は白竜に嫌われるそうでござります、と真面目に注進した秀次は拳骨をもらった。不二はそのまま部屋には戻らず、館の門まで見渡せる廊下に立ってぼんやりと外を眺める。穏やかなよい天気だ。緑の松林の向こうから潮騒が聞こえる。心地よい海風が時折不二の髪を揺らした。ふと、後ろに人の立つ気配を感じる。

「国光…?」

庭を眺めたまま問うと、肩に手が置かれた。大きな温かい手だ。

「いい人だね…小和賀の殿様…」

国光は何も答えず、不二の両肩を抱くようにして立つ。不二はその手に体を預けた。

「動くなと言ったよ、雅兼さんは。」
「あぁ。」

国光がただそれだけ言う。不二は国光の反応の薄さに苛立った。

「わざわざ知らせに来てくれたんだよ。和田が蜂起するって、蜂起させられるって知らせてくれたんだ。生き残る道はここから動かないことだって…」
「確かに雅兼殿は心根の真っ直ぐな気持ちよい御仁だな。父上が常々誉めておられるがその通りだ。」
「だからっ。」

不二は身を捩って国光の手を払った。きっと睨み据える。

「名を惜しむより大事なものがあるって雅兼さんも言ったじゃない。自分の名誉のために死ぬ気なのっ。」
「おれは死なぬ。」
「そんなのっ。」
「死なぬ。」
「国光っ。」

思わず激昂しそうになった不二は、門の所から五、六人の郎党達が駆けてくる姿を認めて口をつぐんだ。互いに大声でなにやら騒ぎながらこちらへやってくる。

「殿ーっ、御渡り様ーっ。」

無邪気に呼びかけてくる郎党達の年の頃は不二と同じか少し下くらいだ。緑色の固まりを抱えている。不二と国光の立つ渡り廊下の下に来ると膝をついた。

「御渡り様にこれを。」

一番年かさと思われる郎党が緑色の固まりを不二に差し出した。足が汚れるのもかまわず、不二はすとん、と地面に降り立つ。膝をついていた郎党達はどよ、と狼狽えたが、不二はにっこり笑った。

「僕に?」

それは柔らかい葉をつけた枝だった。

「花筏か。」

やはり素足のまま下に降りた国光が言った。

「はないかだ?」
「それ、葉の上に小さな花がついているだろう。筏に乗っているようだから、花筏だ。」

母上が好きだった、と国光が言うと、若い郎党達が嬉しそうにどよめいた。

「那須殿にうかがって、その花を取りに行き申した。」
「小和賀様だけによい格好はさせぬわなぁ。」
「そうじゃ、御渡り様は榎本の神様じゃい。」
「花でも何でも、我らがお贈り申しあげるんじゃ、なぁ、殿、そうでござりましょう?」

口々に言い立てるのを国光は苦笑いしながら聞いた。

「ありがとう。嬉しいよ。」

花筏を受け取って微笑む不二に、郎党達は嬉しくて頬を紅潮させる。

「ほらみぃ、御渡り様は喜んでくだされたじゃろう?おれの言ったとおりだ。」

一人の郎党が仲間に向かって胸をはる。この中で一番若い。まだ中学三年生くらいではないだろうか。不二はその顔に見覚えがあった。秀次について、不二の身の回りのことをやる郎党だ。少し前には、ミルクキャンディを食べさせたこともある。

「うぬが何を偉そうに。烏丸めが。」
「祐則という名をもう頂いておるっ。烏丸と言うなっ。」
「したがまだ元服の儀をしておらぬではないか。」
「ええい、殿が吉日を選んで烏帽子親になってくだされると約束してくだされたわっ。」

年上の郎党達にからかわれて、烏丸とよばれた郎党は真っ赤になった。国光がため息をついて宥めにかかる。

「五月の吉日を選んで元服の儀をとりおこなってやる。心配いたすな。」

赤くなった烏丸の肩をたたきつつ、他の郎党達を諫めた。

「おぬしらもそう烏丸をからかうな。」
「あーっ、殿も烏丸と言うたっ。」
「わかった、祐則だったな、祐則。」

国光の言葉に年上の郎党達が、すけのりじゃ、すけのりすけのり、と名前を連呼しはじめる。笑い合う郎党達や国光を眺めていた不二は、突然胸が詰まった。五月の吉日、そんなものは永遠に来ない。明日には皆、死地へ赴くのだ。この若い郎党達も国光も皆死ぬ。死んでしまう。

そして僕も…

この場で泣き叫びたかった。何故国光は、五月の吉日なんて気休めをいうのか。

嘘つき、嘘つき。

そう詰まりたかった。胸が潰れそうだ。不二は花筏の束を抱きしめる。

国光の嘘つき…

「ね、この花筏、僕の部屋に飾ってくれるかな。」

だが、不二の口をついて出た言葉は穏やかなものだった。

「花入れは祐則のまかせるよ。僕の円座の側に飾って。」

名前を呼ばれた祐則は、先程とは別の意味で真っ赤になった。差し出された不二の手から花筏を受け取る。

「ぎょっ御意っ。」
「うん、みんな、ありがとう。本当に嬉しいよ。」

不二に微笑まれて、郎党達は心底嬉しそうな顔をした。一礼してやってきたときと同様、わいわい騒ぎながら上がり口へ向かう。さぞかし気合いをいれて花を飾ることだろう。その後ろ姿を見送りながら、不二はとうとう堪えきれずに涙を零した。

「不二…」
「なんで…」

肩が震える。

「なんでだよ、国光…」

そっとその肩を抱かれた。嗚咽が漏れそうになる。

「おれは死なぬ。」

耳元に囁かれる言葉のなんと残酷なことか。

「おぬしも死なせぬ。」
「…嘘つきだ、国光は…」

不二はぐいっとジャージの袖で涙を拭った。猶予は今日一日だけ。明日には歴史が動く。ぎっと不二は国光を睨みあげた。

「絶対行かせるもんか。」

国光の目は揺るがない。

「行かせない。僕は諦めないからね。」

この時代の者ではない自分だからこそ、何かを変えられるかもしれない。その想いだけが一縷の希望だった。

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お〜ほほほ、このわたくしには、薔薇の花こそがふさわしいわっ、な〜んてド派手なお人はおりません。田舎です、地味です、ささやかです…