雅兼はじっと国光の眼光を受け止めていたが、ふと微笑んだ。秀次の運んできたお茶を手に取り、実に優雅な仕草で口に運ぶ。それからゆったりと不二に向き直った。

「なにしろ、それがしの取り寄せましたる品々は、唐、天竺からの渡来品ばかりでござりますれば、榎本殿が館にいてくださらねば心配でかないませぬ。節句の宴というて、よもや鎌倉へ出られることはありますまいな。御渡り様、ふらふらと榎本殿が遊びに出るようであれば、お叱りくだされませよ。」
「…あ…うっうん、そうするよ、絶対…」

絶対…、と不二はもう一度呟くように言った。雅兼は本家に近い人間だ。その雅兼が、榎本を動くなという。雅兼なりに本家の動きを言外に伝えようとしているのだ。

動けば滅びる。

とりとめもなく世間話に興じる雅兼の目の奥がそう告げていた。国光も感じ取ったのだろう、重苦しい顔で押し黙っている。何も知らない秀次や控えている郎党達は、話し上手な雅兼に笑ったりどよめいたりしていた。

「ところで、御渡り様には、熱心に馬の稽古をなされておられると聞き及びましたが。」

突然、馬の話をふられて、不二は我に帰った。雅兼は相変わらず涼しげな笑みを浮かべている。不二は曖昧に笑った。

「忠興が見てくれるんだ。今度から浜辺に降りて稽古する。」
「なればあの白竜をお試しくだされませ。」

白竜?と不二は首をかしげる。

「御渡り様、小和賀様より素晴らしき馬を頂戴いたしました。」

秀次が勢い込んで言った。

「実に見事な白馬でござります。ただいま、厩にて休ませておりますが、午後から試してみられるのもよいかと存じ上げまする。」

頬が僅かに赤らんでいる。興奮しているのだろう。雅兼が目を細めた。

「気性の穏やかな馬でござりますよ。名は少々、勇ましゅうござりますがな。」
「へぇ、白馬かぁ。」

不二はもたれていた脇息から身を起こした。ここへ来て次第に馬の魅力がわかるようになっている。見事な白馬といわれたら、間近で見たくなる。しかも、それで馬の稽古をしてもいいというのだ。そこまで考えて不二は現実に引き戻された。稽古ができるのは今日だけ。明日には皆が戦に行き、日を置かずに全滅する。堪らぬ気持ちに不二は脇息に置いた手を握りしめた。

「ただ、一つだけ、ご注意申し上げますぞ。」

雅兼がいかめしい顔つきをした。何事だと皆が雅兼を見る。

「特に榎本殿、肝に銘じてくだされよ。あの白竜、雌馬でござります。」

国光が訝しげに首を傾げた。雅兼は厳かに告げる。

「ひげ面や強面が大嫌いゆえ、乗せるのは見目良いおのこだけにしてくだされよ。」

どっと笑いがおこった。見目良いおのこがこの館にどれほどおったかなぁ、などと口々に言いあう。

「那須の、おぬしもしかと肝に銘じよ。」
「やぁ、小和賀様、それはこの秀次ならば白竜に乗っても障りはないということですな。」
「いや、どうであろうな、振り落とされてもおれを恨むな。」
「なんの、白竜の好みに添わねば乗りこなすまで。」
「無理強いいたすと首の骨を折られるぞ。」
「雌馬一頭乗りこなせず命を惜しんでなんの男の矜持が守れましょうや。」

ぐん、と胸を張る秀次に雅兼は破願した。

「はっはっ、それでこそ板東武者の鏡ぞ、那須の。」

快活な雅兼の口調に皆も笑う。
命を惜しむ、のぅ、命を惜しむ…雅兼は笑いの合間に膝をとんとんと叩きながら謡うように呟いた。ふっとその手を止める。それからしみじみと言った。

「それがし、初陣の頃はよく思うておりました。板東武者たるもの、命を惜しまず名を惜しめと。ですが、御渡り様…」

雅兼は涼しげな目元を柔らかくする。

「妻を持ち、子を成したこの頃は思うのでござりますよ。庄を守り、家を守ることこそが武士の大事と。そのためならば命を惜しみ名を捨てねばならぬ時もあるのではないかと。」

不二はぎくりとした。伺うような目で雅兼を見つめる。雅兼はどこまでも穏やかな顔をしていた。不二はふっと息をつくと、ぽつりと言った。

「卑怯者って言われるよ、小和賀の殿様。」
「それもやむなし。」

穏やかな眼差しの中に、チラチラと切迫した色が見え隠れしている。あぁ、この人は、と不二は悟った。必死で国光を説得しているのだ。名を捨てて生き延びろと。和田を捨てて生き残れと。

「雅兼さん…」

滲みそうになる涙を不二はぐっと堪えて微笑んだ。

「僕もそう思うよ、雅兼さん。」
「おぉ、それがしの名を呼んでくだされるとは、ありがたき幸せ。聞いたか、那須の。」
「そっそれがしなど、いつも秀次と呼んでくだされておりまするっ。」
「小憎らしきやつよ。打ち据えてやろうか。」
「あいや、ご勘弁をっ。」

雅兼の冗談口にまた郎党達はゲラゲラ笑った。生真面目な秀次との取り合わせが更に笑いを誘うらしい。不二も声を上げて笑った。国光だけが口元を引き結んだまま、じっと動かなかった。

「さて、本家の用向きも済み申した。そろそろお暇せねばなりませぬ。」

両手をついて雅兼は不二に平伏した。不二が目を見開く。

「え、来たばかりでしょう?」

引き留めたいと思っている自分がいるのに不二は驚いていた。この美丈夫はやはりひとかどの人物なのだ。居るだけでなにかしら安心させるものを持っている。不二自身が気弱になっているせいかもしれなかった。

「もう少し居ればいいのに。」
「もったいなきお言葉。」

雅兼は顔をあげ、にっこりした。

「ですが、それがしがあまり長居をいたしますと、榎本殿の不機嫌に輪を掛けますからな。」

国光が顰めっ面をふいと逸らした。

「あ、じゃあ送るよ、小和賀の殿様。」

不二は急いで立ち上がる。

「それがしごときにありがたきことでござります。なれば…」

雅兼はちらりと国光を見た。

「庭に白竜を牽かせますゆえ、ご覧になってはいかがでござりますか。その足でお暇つかまつりましょう。」

不二がぱっと顔を輝かせた。そうだ、白竜を見たい、触ってみたい。そそくさと庭へ走る不二を秀次等が慌てて追う。雅兼はゆっくりと立ち上がり、わいわいと騒ぐ不二や郎党達から少し離れて部屋を出た。国光はその後ろに続く。

「榎本殿。」

振り向かないまま雅兼が小さく言う。

「あの白竜、よほどのことがないかぎり、口綱を放さぬ事だ。」

国光は眉を寄せて雅兼の後ろ姿を見た。雅兼のゆったりとした歩調は変わらない。

「放したが最後、背中の乗り手を連れてあれは小和賀へ駆け戻る。」

国光が目を見開く。

「そう躾られた馬だ、白竜は。」
「雅兼殿…」
「御身一人の心中に。」
「かたじけない…」

国光は雅兼に並んだ。上背のある国光よりも少し低い雅兼が、ちらりと視線を上げる。

「国光殿、辛かろうがけして動かれるな、御渡り様の御為にも。」

国光は答えなかった。ただ、握りしめた拳が震えた。


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郎党達にもモテモテ雅兼、揺れる国光、さぁど〜する、ど〜する国光(某カード会社のCMのノリで…)