それは二日後、四月三十日のことだった。朝食を終えた不二は白湯を飲んでいた。国光はその隣で書簡や書き付けを確かめている。のんびりとした朝だった。

「殿。」

膳を下げに来た秀次が弾んだ声で呼びかけた。

「小刀の鞘と柄が仕上がったと、先程鎌倉より職人頭自ら届けに参りました。」
「そうか。」

国光の顔がぱっと輝いた。秀次がにこにこしながら言う。

「三宝に戴き御神器の部屋へ祭ってござります。」
「なかなか良い業物であったからな。楽しみだ。」

不二、と国光はその手を引いて立ち上がった。

「何、どうしたの?」
「まぁ、見ればわかる。」

そのままぐいぐい不二を引っ張って国光は神器を祭る部屋へ向かった。あまりに嬉しそうな様子なので不二はそのままついていく。

「なかなか良いなどと殿っ、御渡り様から拝領いたした刀に対してなんという言い様っ。」

口では窘めながら秀次も足取りが軽い。神器の部屋へ入ると、上座に白木の三宝が据えられ、和紙を敷いて白木の鞘と柄の小刀が祭ってあった。

「ほう。」

国光はそれを取り上げ、しげしげと眺める。

「よい出来だ。」

鞘の具合をみた国光は、すらりと小刀を引き抜く。刀身が冷たい光を放った。白木の柄によく映える。後ろから覗き込むように頭を左右させていた秀次が頷いた。

「まっことよい刀でござります。さればこそ、塗りに蒔絵などほどこした鞘がよかったのではないかと某は存じまするが。」
「おぬしも見かけによらず派手好きな男よ。」

呆れたように国光は言い、刀をかざした。

「かような業物にごてごてと飾りはいらぬ。刀身の良さを際だたせるための柄と鞘だ。」
「国光…それ…」

国光は不二に刀を差しだしてみせた。

「不二が持っていた小刀だ。鞘がなく柄も古かったからな。鎌倉に良い職人がおるゆえ、新しく作らせた。」
「え…」

不二は渡された小刀を見つめた。不二の胸に嫌なものが走った。すっかり忘れていた。そういえば、この時代にくるきっかけになったのがこの小刀だったのではなかったか。そして、この小刀の不吉ないわれを聞いたから、自分は祠へ返しにいくところではなかったか。手塚と一緒に…

ふっと宿の主人の声が脳裏によみがえった。

『呪の刀ってんで、昔から大事に祭られてたんだそうだ。』

不二の中でガンガンと警鐘が鳴る。
思い出せ、宿の主人は何と言った。桃城と海堂がいつも通りの言い合いをして、菊丸が怯えて、和田義盛がどうとか日本史の勉強を…

『最後の当主、なんつー名前だったか、榎本なんとかってその当主が自害した刀がそれだとの言い伝えがあってな。』

ざぁっと血が下がる。

榎本なんとかってその当主が自害…

がくがくと膝が震えはじめた。宿の主人の声がぐるぐると頭の中を駆けめぐる。

自害…

不二はよろめきがたっ、と小刀を取り落とした。

「不二っ。」

慌てて国光が不二を抱きとめた。秀次があわあわと小刀を拾い上げ鞘へおさめる。

「不二、どうした。」

不二は蒼白だった。震える手で国光の直垂を掴む。

「国光…」
「秀次、夜着の仕度を。不二はおれが連れて行く。」

秀次が急いで飛び出そうとする。

「待ってっ。」

不二が叫んだ。国光と秀次が驚いて不二を見る。不二は震えながらも一人で立った。

「待って。その…調べなきゃいけないことがあるんだ。だからっ。」
「不二…?」
「だからしばらく僕の部屋に来ないで。」

不二の必死な様子に二人とも気圧されて頷いた。不二は小刀に視線を移し、ぐっと拳を握った。

「確かめないと…」

自分に言い聞かせるように呟き、不二は自室へ駆け出した。不二の勢いに居合わせた郎党達が目を丸くする。部屋へ飛び込んだ不二は、がたがたと文箱を開けて本を取りだした。例の「教育委員会監修 郷土の歴史と文化」である。一緒に入れてあった薄青い陶片と土鈴が床へ転がり落ちた。不二はその場に座り込んでページをめくった。家系図を探す。本の終わりあたりについている年表の次に家系図が示してあった。

国光国光…

その名はすぐに見つかった。榎本家系図の一番下のところ、国忠の横に忠興の名があり、国忠の下に国光の文字がある。その下には何も書かれていない。榎本国光が最後である。

「最後の当主…」

ぐらぐらと世界が揺れる。

嘘だっ。

不二は必死で本文をめくった。和田義盛と朝比奈義秀の名をたよりに探す。

「あったっ。」

本の前半、歴史の記述部分にそれを見つける。そして不二は今度こそ打ちのめされた。そこにつけられているタイトルは『榎本家の滅亡』、がくがくと震えながら不二は本文を読んだ。

『1213年(建保元)5月2日、三浦氏の裏切りによって和田義盛一党は計画を暴露され、地方からの一族の到着をまたずに蜂起し、幕府にせまった。榎本家当主、国光は知らせを受けてすぐに一族郎党を引き連れ駆けつけ善戦するが、和田勢の最初のつまづきは大きく、一族親戚すべて全滅する。当主国光は手勢をまとめて敗走するが、鎌倉からの討っ手は厳しく、病床にあった前当主、国忠ともども全員が自刃して果てた。ここに榎本一族は滅亡した。』


自刃して…


「自刃…」


☆☆☆☆☆☆☆
え〜、なんか雲行きがあやしく…え〜っと、わはは…(なんだ、その笑いはっ)