館に戻ったのは昼を少し過ぎた頃だった。すでに庭は清められ、三人の人間を打擲した跡は残っていない。忠興が郎党十数人従えて三人を馬に括り付け鎌倉の館へ向かったそうだ。そこでも家の者達を威嚇するつもりなのだろう。

「板東武者の気概をみせつけてやるのもいいだろう。」

秀次からその話を聞いた国光は楽しげに笑った。



不二は国光と昼餉を軽く取り、疲れたから、と夜具を頼んだ。流石に体がくたくただ。

「少し寝るよ。」

大あくびをしながら這うように夜具へ潜り込む。

「無理をさせたな。」

国光がすまなそうに微笑んだ。ぼっと不二の顔が赤くなる。

「おれは所用で少し出てくる。控えの間に誰かおるゆえ、何かあったら呼ぶといい。」

国光が不二の髪を梳いた。

「うん、いってらっしゃい。」

夜具から顔を出してにこっと笑えば、一瞬国光の手がとまる。

「う…うむ、いっいってくる…。」

心なしか顔が赤い。あたふたと部屋を出ていく背中を眺めながら不二はくすっと笑った。
ほんとに、変なとこで純情なんだから。

「スケベなくせにね。」

風が庭木の香りを運んでくる。数頭の馬が走り去る音がした。おそらく、国光が幾人かの郎党を引き連れて出かけたのだろう。

帰ってきたらおかえりって言ってあげよう…

不二は微笑んだ。こんな日々を過ごしていく。これが不二の日常になる。国光に、榎本の皆にいってらっしゃいを言い、おかえりと笑おう。国光の夢をかなえる助けになろう。どうすればいいのかまだわからないが、体も心も強く鍛えていけばきっと自分にも何かができる。そして、夢が少しずつ形になるのを国光と一緒に見ていくのだ。
ふわり、と海風が頬をなでた。ここはいつも、気持ちのいい風が吹く。

「あっ。」

不二はごそごそと夜具から這いだし、文箱を開けた。中から「教育委員会監修 郷土の歴史と文化」の小冊子を取り出す。不二はここへ来て以来、後ろのメモ欄にカレンダーを作っていた。日記ほどではないが、その日の出来事も小さく記している。四月二十八日の欄に不二は青いボールペンで書き込んだ。

『婚家の使者追い出される。国光の夢。山桜の丘で。』

ハートマークってどうよ、と自分に思わず突っ込みをいれたが、気分はハートマークなのだからまぁいいか、とも思う。不二はカレンダーを作ろうと決めた。この時代の暦と、自分の時代の暦を一緒に書き込んだカレンダーを作りたい。国光の側で暮らすと決めたが、自分の生まれた時代の記憶も大事にしたい。家族や友人の誕生日、裕太が高校を卒業する日、大学に入るだろう日を、この時代から祝ってやりたかった。

インターハイの期間中は優勝祈願するからね。

青学の友人や後輩達の顔が浮かぶ。切なさが胸に満ちるが、もう涙は出なかった。

僕もがんばるから、みんなも全国制覇、実現して。

黒髪の端正な面差しが胸をよぎった。ずっと片思いだった同級生。

手塚、君の夢がかなうよう、ずっと祈ってる。

不二は本を閉じ、文箱へしまった。塗り蓋を指で撫でる不二の口元に微笑みが浮かぶ。それから不二はまた、夜具に戻って横になる。外はいい天気だ。初夏の風が海と緑の香りを部屋まで運んでくる。庭先から聞こえる犬の鳴き声や人々の働く声を聞きながら、不二はとろとろと眠りにおちていった。


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や、不二君、人生そんな甘くないから(鬼)。てことで、次から新展開?