結局、四つんばいの状態で一回、向かい合って膝に乗せられて二回抱き合って、不二はしばらく動けなくなった。

「そのままでは辛くなる。」

そういって国光が中を掻き出してくれたが、どことなく嬉しそうにしているのが癪に触った。

「君ってさ、加減を知らないっていうか、もう、信じられないよっ。」

ジャージを着せてもらいながら不二はぶーぶー文句を言う。

「だいたい、こんなとこじゃ体も拭けないしっ。」
「怒るな。これでも夜、抱き合うのを堪えているのだぞ。」

苦笑気味に答える国光に不二は赤面した。館では常に郎党が控えているし、夜は宿直がいる。国光なりに気を使っているらしい。国光はジャージを着せ終わると不二を後ろから抱き込み肩に顔を埋めた。

「不二からおれの匂いがする。」
「ばっ…」

馬鹿なことを、と言いかけて不二は口をつぐんだ。横目で見た国光がうっとりと幸せそうな表情を浮かべているのだ。

「きっ君からだって…」

僕の匂い、するでしょう、と小さな声で言うと、抱き込む腕に力が入った。しばらく二人は黙って風に吹かれている。眼下では海が光っていた。

「…綺麗だね。」

海を眺めながら不二はぽつりと言った。激しく交わり合った時も静かに抱き合っている今も、海は穏やかに空を映している。

「この時期は凪いでいる日が多い。だが、この辺りの海は秋がよいぞ。」

不二の頬に唇をあてながら国光が答えた。

「秋の海は格別の風情がある。おれは秋の海が好きだ。」
「楽しみだなぁ。」

不二は国光の手に自分の手を重ねた。

「夏は泳げる?」
「…泳げるが…おれと二人の時だけだぞ。」

不二の肌を曝すわけにはいかぬ、と真面目な声をだす国光が可笑しくて不二はくすくす笑った。

「不二。」

国光がすっと左手で下を指し示した。不二が指さされた方を見る。榎本の館が見えた。

「榎本は小さい。」

不二を抱いたまま国光は真っ直ぐ館を見つめる。

「三浦党の隅で生き残るために汲々としているのが榎本だ。」

不二は黙って国光の言葉を聞いた。

「だが、おれは榎本を榎本党として独立させる。三浦党の榎本ではなく、榎本党になるのだ。」
「え…でも…」

流石に不二は驚いて顔を国光に向けた。言葉で言うほどそれは簡単なことではない。婚儀のもめ事ひとつとっても、そのくらいは不二にもわかる。

「そんなのって…」
「難しいことだとわかっておる。だが、おれの代からはじめて数代後に榎本党となれればよい。おれはその基礎を作る。」

館を見つめていた国光の目が不二を見た。

「不二、おぬしを支えに榎本の絆をもっと固める。郎党どもにも榎本の誇りを植え付ける。それからおれは銭を貯める。」
「えっ。」

不二は目を瞠った。自分を中心に据えて一族を纏める話はまだわかる。だが、この時代に貨幣経済の概念があったのだろうか。

「銭って…だってこの時代は米とか…じゃなかったっけ…」
「榎本の庄は豊かだが、それだけでは限りがある。おれは京から来た商人達から色々と話を聞いた。京では唐の銭が役にたつという。それで官位も買えるそうだ。」

それってやっちゃいけないことだろうっ、と突っ込みそうになって不二は慌てて言葉を飲み込んだ。この時代は不二の倫理観にはあてはまらない。国光はまた指をさした。今度は海だ。

「榎本は騎馬の戦も強いが、水軍でもある。だが、これから大きな戦はあるまい。ならば戦船ではなく、荷を運ぶ船にすればどうであろう。榎本は街道沿いではないが、船で運ぶと馬よりも早い。武勇にたけた者達が乗れば、積み荷を無事に届けられよう。そうして得られたものを銭に代える。」

国光の瞳は輝いていた。不二はそれに見惚れる。

「銭を貯めて力をつける。幕府の職も買う。おれの代では無理だが、そうしていけば榎本は榎本党となれる日がくる。」

どう思う?と見つめられ、不二の胸は高鳴った。ぎゅっと重ねた手を握る。

「すごいよ、国光。きっと、きっと出来るよ。」

ごそごそと不二は国光の方へ向き直った。

「僕、出来ること何でもするよ。あ、僕の時代のお金…つまり銭なんだけど、そのことも教えてあげるね。きっと役に立つ。国光なら絶対大丈夫だよ。」

不二は興奮していた。榎本の庄から起こす小さな変化はきっと歴史のうねりの一つになるのではないか、それに自分は立ち会うことが出来るのかもしれない。不二は国光に抱きついた。

「国光なら大丈夫。」

国光は不二を固く抱きしめ返す。耳元に熱っぽく囁いた。

「おれのそばにいてくれ…」

海から一陣の風が斜面を吹き上がってきた。不二の明るい髪がさらさらと散らされる。

「そばにいるよ、ずっと…」

桜若葉が風に揺れる。初夏がそこまでやってきていた。


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若き当主の夢編だったり…命ながらえるだけでも大変な時代です。生きるって大変ですねぇ…