その夜も次の日も、婚家の代理人は納得するまでは帰らぬ、と主張して榎本の館に居座った。供回りの二人を含む三人はとりあえず下にも置かぬもてなしを受けている。
秀次は世話役を押しつけられ、げんなりとしつつも生真面目に応対していた。国光は挨拶に顔を出す程度であとは放り出し、食事も執務も不二の部屋でとっている。秀次は報告のたびに、某は京ときくと虫唾が走るようになり申した、としかめ面をした。公家の血を引いているとかで、随分と横柄な態度をとられているらしい。


代理人が居座って三日目の朝、不二は文箱に仕舞っていた携帯を取り出した。あの夜以来、電源を切っている。いつもジャージのポケットか直衣の胸元に入れていたが、それもやめた。時空を繋ぐ穴が開いたとき、電話をかけることが出来た。そのせいでバッテリー残量はフルではなくなった。おそらく、元の世界に戻ることのなくなった不二の手元では、使えばそれだけバッテリーはあがってしまうだろう。そしていつか、バッテリーの切れた携帯はただの小さな箱になる。ならば、出来るだけ必要な時に、国光のために使いたかった。

これで撃退しなきゃいけないかな。

三浦本家の使者の様子を見れば、以前、携帯で脅しつけた効果のほどが伺える。あまりに国光が困るようならば、と念のため不二は携帯を懐に入れた。

「御渡り様ー、馬の仕度が出来ましたぞぉ。」

忠興が浮き浮きと不二を呼びに来た。今日は砂浜で馬の稽古をさせてもらえる日だ。動きやすいようにジャージに着替えた不二は、はずむ足取りで部屋を出た。

「忠興、大殿さんに挨拶してから外へ行こう。」
「そりゃあ兄者の喜びまする。」

わいわいと賑やかに国忠の部屋へ向かった時だった。客間から婚家の代理人が出てきた。赤紫の狩衣を着ている。直垂などという武士の衣服は身につけないのが矜持だとか、秀次が憤懣やるかたない、といった口調で夕べ話していた。
代理人の後ろには供回りの二人が続き、その奥には渋い顔をした国光がいる。代理人は不二を見て、はじめ目を丸くしていたが、そのうちじろじろと嘗め回すような視線を送ってきた。以前、三浦当主、義村の弟が、同じような目で不二を見たことがある。ムッきて不二は携帯に手を伸ばした。その時、代理人が部屋の奥にいる国光にちらりと視線を移した。口元に嫌な笑みが浮かんでいる。

「ほぅ、かような次第でおじゃりましたか。」

いやらしい響きだ。不二の背筋に粟が立った。代理人はわざとらしく扇で口元を覆った。

「稚児遊びは御勝手なれど、当主のことをおろそかになされるとは、まだまだお若うおじゃりまするなぁ、榎本殿。」

不二には一瞬、なんのことか理解できなかった。だが、代理人はくつくつと肩を震わせ、見下すように顎をあげる。

「榎本殿がかくも溺れられるのじゃ。さだめし閨の具合がよいのでおじゃろう。」

何を言われているのかやっとわかった。不二の頭にカッと血が上る。

このやろうっ。

携帯を取り出そうとしたとき、どかっ、と大きな音がして代理人が庭に吹っ飛んだ。続いて供回りの二人も庭に転がされる。いつの間に間合いを詰めたのか、国光が戸口にすっくと立っていた。

「なっ何をっ…」

殴られた顎を押さえつつ代理人が口を開いたが、途中でひっと息を飲む。国光からすさまじい怒気が発せられ、三人ともぶるぶると震えはじめた。じっと見下ろす国光の目は酷薄な光を湛えている。

「うぬら、畏れおおくも海神様の御使い様であらせられる御渡り様を稚児と言うたな。」

冷たい怒気に辺りの空気がピンと張りつめる。真っ青になった代理人は口をきくこともできない。

「われら榎本の神を侮辱いたしたな。」
「ひっ…」

代理人と供回りの者は腰を抜かしたまま後ずさろうとした。だが、いつの間にか榎本の郎党達が辺りを取り囲んでいる。

「ようも榎本党を侮ってくれたものだ。」

国光の声が凄みを帯びた。

「斬り殺すべし。」
郎党の一人が叫んだ。

「首を落とそうぞ。」
別の一人が唱和する。

「しかり。」
忠興が大音声を上げた。

「殿、不敬の罪は死をもって贖うべし。即刻こやつらの首を落とし、京へ送りつけましょうぞ。」
「ひゃあぁぁぁぁっ。」

代理人と二人の供回りは地面にはいつくばった。恐怖のために失禁している。

「見よ、こやつら、小便を漏らしておる。」
「なんと、汚いのぅ。」
「臭い臭い、公家の小便は臭いわ。」

郎党達は口々に罵りながら三人を足蹴にした。秀次もちゃっかりその輪にはいって代理人を蹴飛ばしている。

「叔父貴、おれはかように臭い輩を斬るのは気がすすまんぞ。太刀が穢れる。」
「そうじゃなぁ、庭も汚れるなぁ。山へ引きずってそこで斬ろうかのぅ。」
「それも手間だぞ、叔父貴。」

国光が冷笑した。

「下種を斬る太刀はもたぬ。打ち据えて放り出せばよい。」

叔父貴、と言えば、諾、と威勢良く忠興が答える。それから国光は秀次に命じた。

「榎本の神を侮辱した咎は重い。髷を切り、抗議の文とともに京へ届けさせよ。」
「承知。」

秀次が喜々として小刀を出し、早速三人の烏帽子をはねとばして髷を切った。忠興が郎党達に大声で呼ばわった。

「存分に打ち据えてくれるわ。我もとおもう者は棒を取って参れ。」

おぅおぅ、と郎党達は三人を引きずっていった。喧噪と悲鳴が館の前の庭に移動していく。あとには国光と不二が残った。急転直下の成り行きに不二がまだぽかんとしていると、国光がその手を取った。

「不二。」
「…あ。」

不二が国光を見ると、困ったように国光が微笑んでいる。

「嫌な思いをさせた。」

不二は目を伏せた。稚児だの閨の具合だのという言葉に傷ついたのだとあらためて思う。

「不二。」

国光が不二の手を引いた。ずんずん歩いて国光の部屋へ入る。戸板を半分閉めた国光はぎゅっと不二を抱きしめた。

「くっ国光っ。」
「おぬしを汚すような真似はさせぬ。何があっても不二は榎本の支えなのだ。」
「だけど…」

不二はためらいがちに小さく言った。

「だけど僕は君と…」

あの代理人が言った言葉はあながち間違いではない。不二は国光と肌を重ねた。それは不二を神だと信じる榎本の人々への裏切りではないのか。ぼそぼそと告げる不二の言葉を国光は黙って聞いていたが、突然体を離した。驚いて立ち竦む不二の前に跪く。

「国光…?」

不二は戸惑った。国光は何をしようというのか。国光は跪いたまま不二の両手を取った。

「おぬしはこの世界の者ではない。」

その手に唇を押し当てる。

「なのにおれのために留まってくれた。不二はおれの神だ。」

じっと黒い瞳が不二を見上げた。

☆☆☆☆☆☆☆
ま〜たこんな中途半端なところで切る〜(突っ込まれる前に自分で突っ込み)や、今日の体力、ここまで。オレはもう寝る。風邪が直らん。今回、代理人撃退編、なにげにちゃっかり、秀次君が仕返ししています。不二はみんなのアイドルなんだから、そりゃ〜ぶたれるって。棍棒で殴られて、生きてられるんでしょうかね、代理人。自分で書いといてなんだけど…