夜明け前にやっとうとうとした。浅い眠りの中でも、家族や青学の仲間達に別れを言っていたような気がする。

「御渡り様、お目覚めにござりますか。」

がらがらと秀次が板戸を開けにきた。射し込む朝日が眩しい。不二はもそもそと起きあがると、夜着の上に座った。泣いて泣いて、散々泣きはらした瞼は腫れていたが、気持ちはすっきりと落ち着いていた。

「今日もよい天気にござります。」

板戸を開け放された部屋に、さぁっと外気が流れ込む。肌に心地よい風だ。不二は立ち上がり、廊下に出た。早朝の青い空にぽかりと白い雲が浮かんでいる。木々の緑が朝陽を受けて鮮やかだ。不二は胸一杯、澄んだ空気を吸い込んだ。

「ただいま、膳を運ばせまする。先に白湯を召し上がられますか。」

てきぱきと夜着を片づけながら秀次が話しかけた。不二は振り向き、微笑んだ。

「お願いするよ、秀次。」

気持ちのいい朝だ。不二は思いきり伸びをした。



これが僕の世界。



後悔するかもしれない。これから先、生き延びていける保証もない。だが、一生懸命ここで生きていくしかない。そう覚悟を決めた。

「白湯にござります。」

椀を受け取り、不二は縁に座って湯を飲んだ。ただの湯だが、旨かった。






朝食の膳を運んできたのは国光だった。円座の上に不二の姿をみとめると、あからさまにほっとした顔をする。

「おはよう。」

不二はくすっと笑いながら朝の挨拶をした。

「あっあぁっ。」

国光はまたうろたえる。くすくす不二は肩を揺らした。

「なに、どうしたの、国光。」
「いっいや、何でもない。」
「変なの。」

不二が上目遣いに国光を見ると、慌てて目をそらし、膳を不二の前に置いた。それからどかっと乱暴な仕草で自分も腰を下ろす。不二はかまわず箸をとった。湯気のたつ熱い汁に口をつける。

「あ、今日は海藻なんだ。」
「好きか?」
「うん、おいしいよ。」

不二はいつも汁から手をつける。食材を口にするごとに好き嫌いを聞くのは国光の日課だった。不二が嫌いだといった食材は二度と膳にのぼらない。今更ながら、国光の心遣いが嬉しかった。

「あ、これ、肝を焼いてくれたの?」

鳥の肝が塩で焼いてあった。

「…おぬしが旨いと言ったからな。」
「うん、大好きだよ。」
「不二は肉が好きだな。」
「うん。」

せっせと箸を動かす不二に、国光は目を細めた。

「なれば今度、狩りをしよう。鹿でも猪でも捕ってやる。」
「ほんと?」
「あぁ、近いうちに。」

それを聞いて不二は目を輝かせた。

「すごい、じゃあ、僕、ちょっと馬の稽古、がんばろう。みんなが狩りをするところを追いかけて見たいからね。」

よしっ、と拳を握った不二に国光が顔を曇らせた。

「危ないぞ。天幕を張るゆえ、不二はそこで眺めればよい。」
「大丈夫だよ。僕だって少しは馬くらい乗れなきゃ、ずっとここにいるんだから。」

不二がそう言った途端、国光が瞠目したまま固まった。

「…何。」

自分を凝視したまま動かない国光に焦れて、不二が口をとがらす。

「何だよ。」
「不二は…」

ごくり、と国光の喉が動くのが見えた。国光は固い表情のままぼそっと言う。

「ずっとおれの側にいるか…?」

夕べのことがよほど堪えたらしい。国光は頑是無い子供のようだ。不二は箸を置くと、きちんと国光の方に顔を向けた。

「僕はずっとここにいる。国光の側にいるから。」

だからね、と不二はにっこりした。隣に座ったまま呆けている国光の肩に拳を当てる。

「ちゃんと面倒みてよ。君が面倒みてくれないと、僕、干上がっちゃうからね。」

国光の唇が何か言いたげに震えた。だが、言葉は出ない。不二も照れくさくなり、また箸をとりあげると食事を再開した。

「僕もさ、とにかく、この時代の勉強はしないといけないよね。」

野菜の炊き合わせを口に放り込み、不二はもごもご言った。国光は呆けたままじっと不二を見つめたままだ。なんとなく気恥ずかしくて不二はあれこれ食べながらしゃべった。

「やっぱり、これから僕の職業、神様なわけだし、修行したほうがいいかな。」

ごくん、と焼いた鶏肉を飲み下し、考え深げに眉を寄せる。

「神様っぽくなれるように、っていうか、なんかこう、霊験あらたかに見えるっていうか。」
「不二はそのままでよい。」

国光が言った。目を伏せてあらぬ方をみている。

「そのままでよいのだ。」

ぶっきらぼうな物言いとは裏腹に、口元が嬉しそうに上がっている。それから国光はふっと目を上げた。

「今日はぴくにく、とやらをしてみるのか?」
「え?」

不二は飯椀を持つ手を止めて国光を見た。国光は至極大真面目に言う。

「昨日不二は、ぴくにくをしたいと言った。」
「あ、ピクニック。」

そういえば昨日、外へ遊びに行く約束を強引にとりつけたのだった。律儀に国光は覚えていたらしい。

「そうだね、国光、二人で出かけたいな。近くでいいから。」

不二がにこっと笑いかけると、国光は慌てて目をそらし、顔を庭に向けた。白砂が朝陽を受けて光っている。植え込みの緑も色が濃い。もうすぐ初夏が来るのだ。

「良い天気だ。」

国光がぽつっと言った。不二も庭を眺める。

「うん。」

短く答え、後は黙って箸をすすめた。国光も何も言わない。ひたすら庭を眺めている。ただ、顔が赤かった。こそばゆいような幸福感がわき上がる。明るい日差しが板の間まで射し込んでいた。






☆☆☆☆☆





昼過ぎには戻りますからなぁ、と大騒ぎをして、忠興が使いに立ったのは朝食を終えすぐのことだった。馬の稽古はおあずけだ。夕べよく眠っていないせいか、不二もなんとなく気が乗らず、畳の上でごろごろしている。気持ちのいい風が部屋の中まで潮の香りを運んできた。

ここで生きていく…

不二は目を閉じる。気持ちは自分でも不思議なほど穏やかだった。

こうして生きていくのだ…

人々の立ち働く声が聞こえる。生きるために労働するたくましい人々だ。不二は思う。神様として榎本家に縁があったというのなら、人々の心の支えになれるよう、神様として生き抜こうと。そしていつか、どんな時でも一人で立っていられるよう、生きる力を身につけたいと。ことり、と音がした。うっすらと目を開けると、国光が立っていた。

「眠いのか…?」
「ふふ…」

不二は微笑む。

「国光、こんなとこにいていいの?」
「かまわぬ。」

国光は不二が横になっている畳の脇までくると腰を下ろした。わずかに逡巡したが、国光は不二の手を握った。くすくすと不二は横になったまま笑う。

「心配性だね、国光は。」

国光はむすっとした顔で握る手に力を込めた。

「大丈夫だよ、国光。」

不二もしっかり握り返した。

「大丈夫。」

心地よい風が流れてくる。

「しばしこのまま…」

国光が低い声で言った。

「うん…」

再び不二は目を閉じる。国光の手の温もりに安心する。とろとろと不二は眠りにおちていった。





不二が眠りから引き戻されたのは、それから二刻ほど後だっだ。来客を告げる郎党の声に国光の気配が動く。衣擦れの音がして、国光が立ち上がったのがわかった。左手がすーすーする。今までずっと、国光が手を握っていてくれたらしい。目を擦りながら不二は体を起こした。

「国光?」
「朝比奈の伯父上がおいでになられたそうだ。」

☆☆☆☆☆☆☆
国光君、まだ不安です。大丈夫でありますよ〜くにみつどの〜、しっばらくは良い思いさせてやるからさぁ〜、しばらくはね〜、ゲ〜ロゲロ(何者だよ、オレ)