「ごめん…」

不二はきまり悪げに言った。泣きじゃくっている間中、国光が優しく抱きしめてくれていた。不二の名前を呼び、背中をさすってくれた。一泣きして落ち着いてみると、結構恥ずかしい。俯いたまま不二はもう一度言った。

「ごめん。」
「母君が…」

ぽつっと国光の声が落ちる。

「不二の母君がおられたのか…?」

え?と不二が顔をあげると、国光の瞳とぶつかった。ひどく寂しげな色を湛えている。

「…国光…」
「母君は…泣いておられたのか…」

つっと国光は、面を伏せた。一瞬、辛そうな表情が浮かぶ。だが、国光はそのまま立ち上がった。

「菓子を運ばせよう。」

不二に背を向けたままそう言い、部屋を出ようとする。

「国光っ。」

不二は思わず呼び止めた。国光が立ち止まる。

「あっあの…えっと…その…」

国光が不二のほうへ顔を向けた。微かに笑みを佩く。無理をしなくていい、そう言っているような笑みだ。悲しげな微笑だ。それを見た途端、不二の中の何かが溶けた。

「あの…さ、一緒に食べようよ…その…お菓子…」

国光の黒い目がわずかに見開かれた。不二は慌てた。ガキじゃあるまいし、仲直りするにしても、一緒にお菓子を食べよう、はないだろう。真っ赤になってあわあわしていると、国光が頷いた。

「秀次に運ばせよう。」

そして国光は部屋を出て行った。





☆☆☆☆☆




がらがらと音を立てて板戸が開けられる。陽が射しこみ明るくなった不二の部屋にひょいと顔を覗かせたのは秀次だった。

「御渡り様。」
「秀次。」

不二が嬉しそうに笑うと、秀次があからさまに安堵の表情を浮かべた。それから辺りを見回し、急いで不二の側に寄ってくる。

「御渡り様、その、お加減はいかがでござりまするか。」

声を潜めてそんなことを言う。ここ三日の軟禁状態のことを言っているのだが、秀次もなんと形容していいのかわからなかったのだろう。

「お加減ね。」

不二は肩を竦めた。

「いいわけないよ、暗いし退屈だし、君のご主人が張り付いてるし。」
「そっそれは某も御諌め申したのでござりまするが…」

秀次は恐縮して身を縮めた。

「で、部屋が明るくなったのはいいんだけど、僕、外に出ていいわけ?」
「あ…いやっそのっ、まっまだ外はあっ安心できぬとの殿の仰せで…」
「ふーん。」

不二が横目で秀次をみると、ますます身を縮めた。

「ま、いいや。明るくなっただけでもね。」
「おっ御渡り様…」

秀次はしゅん、と項垂れた。

「殿をお許しくだされませ。殿は恐れておいでなのです。あの…殿も…その…」
「見たんでしょう?国光も…」

不二は穏やかに言った。ぎょっと秀次は顔をあげ、それからまた俯く。ここ三日、国光の態度にカッカと腹を立ててはいたが、反面、そこまで頑なな態度をとり始めた理由にも気づいていた。あの時、手塚の病室に戻った時の不二を国光は見たのだ。砂浜で不二が時空を超えるのを見た秀次が、体が透けたといっていた。国光も不二の体が透けていくのを見て恐怖したのだろう。だから不二を閉じ込めようとした。流石にそのくらいは不二も察することができた。秀次はますます項垂れる。

「お許しくだされませ…」
「…うん、いいよ…」

悲しいような、切ないような気持ちが押し寄せてくる。

「いいよ…」

切なくて泣きたくなる。秀次が消え入りそうに呟いた。

「御渡り様…我らを…殿を置いてゆかれますな…」

全身を裂かれるような痛みが走った。ハッと不二は秀次を見る。秀次は項垂れたままだ。ぎゅっと眉根を寄せ、礼を深くすると退出していった。不二はその場を動けなかった。かける言葉もなかった。

秀次を、忠興を、皆を置いていく…そして国光を…

「だって僕は…」

呆けたように不二は呟く。

「うちへ帰るんだから…」

胸が苦しい。

「帰るんだ…」

久しぶりに板戸を全開にした部屋には、春の陽射しが満ちている。不二は俯いてポケットの中の携帯を握った。不二を現代に繋いでいる唯一の人工物だ。滑らかな感触を指でたどる。

「不二。」

突然声をかけられ、不二は顔を上げた。国光が黒塗りの四方盆を片手に立っている。不二の様子に一瞬、戸惑った顔をしたが、そのまますたすたと部屋に入ってきた。不二の横にどすんとすわり、盆を置く。鎌倉土産の菓子と干し柿が載せられていた。

「国光…」

不二はぼんやりと国光を見上げた。国光はどこか居心地悪げに視線をそらす。

「その…相伴にあずかるがよいか。」

よいか、とたずねておきながら、不二が答える前に細く切った干し柿を口に放り込む。そして難しい顔をしたまま飲み下した。それから指で干し柿を摘むと不二の口元に突き出す。

「甘いぞ。」

相変わらず眉間には皺が寄ったままだ。だが、それが照れ隠しなのだということはよくわかっている。

「…国光…」

じわっ、と温かいものが湧き上がってきた。千々に乱れた心が落ち着いてくる。何故、この男の側はこんなにも安らげるのか、不二は国光の差し出した干し柿を手にとり、口に入れた。

「うん…甘い。」

国光が微かに笑った。盆の上の炒った豆を摘む。国光は何も言わなかった。そよ、と暖かい風が吹き込んでくる。穏やかな空、穏やかな春の陽射し、甘い小さな菓子、二人だけの穏やかな時間。不二もまた、小さな菓子を口に運びながら、ただ黙って外を眺めていた。


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いやいや、不二君、君の試練はこれからだって。ふ…ふふふ…(だいぶストレスがたまっているらしい)