「殿ーっ、殿、殿ーっ。」
「なんだ、騒々しい。」
「また御渡り様のところにおられましたかっ。」
「悪いか。」


朝食をとる不二の傍らに国光がどかりと腰をおろしている。館ではまた、いつもの朝の風景が復活していた。

「朝っぱらから当主が油を売るとはこれいかにっ。」

郎党を従え廊下に平伏して不二に礼をとった秀次が、くるっと国光に向き直ってべしべし床を叩いた。

「我らと小和賀様を謀ってまで三浦は御渡り様を欲しておるのですぞ。この大事の時に何を呑気な。」
「この大事だからこそ、当主自らが不二の警護をしている。」
「その警護の者どもをことごとく下がらせたのはどこのどなたでござりましょうやっ。」
「おれだ。」

しれっとうそぶく国光に、びしっと秀次の青筋が立った。

「前より性質がわるぅなっておられるな。」
「与三郎殿、心労で禿るやもしれぬぞ。」

後ろに控える郎党達がひそひそと囁きあうのを秀次はじろりと睨む。そこへまた、どすどすと足音が響いてきた。

「殿ーっ、殿はいずこに。殿ーっ。」

どら声の主は忠興だ。国光が顔をしかめた。

「次から次へと何事だ。そろいもそろっておれと不二の邪魔をする。」

不二は我かんせずと朝食に専念するふりをしながら、くすっと笑みをこぼした。国光と気まずくなる前は毎日この手の騒ぎが起こっていた。久しぶりの光景がなんだか嬉しい。弛みそうになる口元を隠すように吸い物椀を取り上げた時、忠興が廊下に姿を現した。少し緊張した面持ちだ。

「殿っ、早馬じゃ。小和賀殿より文が届いた。」
「おはよう、忠興。」

吸い物椀から顔をあげ、不二がにこりと笑った。忠興の強面がへにょりと崩れる。

「おぉ、御渡り様にはご機嫌うるわしゅう。」

ジャージに着替えて運動する気満々の不二はニコニコと忠興に話しかける。

「忠興、今日は馬で外に出られるかな。砂浜で練習しようと思っているんだけど。」
「それはよいお考えじゃ。ご案じめされるな。この忠興がついておりますればなんなりと。」
「叔父貴、馬の稽古は庭でおれが見る。叔父貴は外回りの警護があろう。」

国光が口を挟んできた。忠興が目を剥く。

「なんじゃあ、いきなり。殿こそ、馬の稽古どころではござるまいに…」

忠興が文句を遮るように国光は手を突き出した。

「小和賀殿の文はどこだ。」

しぶしぶ黙った忠興は、失礼つかまつる、と部屋へいざり、書簡を国光に手渡した。それから、国光が難しい顔で文を読んでいる間に、もう一通を取り出した。

「御渡り様への文もござりましてな。これも一緒じゃ。」
「え?僕?」

怪訝な顔をする不二の前に忠興は文と扇、それから濡れた和紙に包まれた緑色のつやつやした葉っぱを置いた。

「何?この葉っぱ。」

国光が自分宛の書簡から顔を上げた。

「…芹…だな。」

訝しげに眉を顰める。それから不二宛の文を見てますます不機嫌に顔をしかめた。その文には香が焚き染めてあったのだ。不二は文を手にとって匂いをかいだ。

「いい匂いするね。」

文を開くとより香りが立つ。素人目にも達筆なのだとわかる字で、しかし、不二には何がなにやらさっぱり読めない。困って顔をあげると、忠興がぶんぶんと首を振った。

「いや、わしはどうにも学問はの。」

それから忠興は秀次を手招きする。

「与三郎、おぬし、幼少の頃より殿と学問をいたしておったであろう。それ、鎌倉の何某とか、歌詠みが通うてきておったではないか。」
「は…はぁ。」

秀次は一礼すると、膝でにじって不二の前に来た。

「おぬしが読み上げよ。」

国光は相変わらず不機嫌そうに不二の手元の文を見ている。

「失礼つかまつります。」

秀次は恭しく不二の手から文を受け取った。一つ咳払いをして、それから重々しく読み上げる。

「え〜、『なにとなく芹と聞くこそあはれなれ 摘みけん人の心知られて』…でござりまする。」
「…何それ?」
「何じゃあ?」

不二と忠興が同時に言った。

「意味わからないんだけど。」
「わけがわからぬわ。」

また二人、はもった。

「はぁ…」

秀次が何故か困り果てた顔をする。その時、いきなり国光が不二の前に置かれた芹を掴んで立ち上がった。和紙で包んだみずみずしい芹をずいっと秀次に突き出す。

「これは後でおれが食う。下げておけ。」
「は…しかし、殿…」
「下げよ。」

ぴりぴりとした怒気に秀次は黙って芹を受け取った。忠興がぽかんと国光を見る。

「殿、たかが芹じゃが、御渡り様へというて小和賀殿がよこしたものを、勝手をしては具合が悪かろうに。」
「どうせ榎本の庄に入ってから摘んだ芹だ。当主のおれが勝手をして何が悪い。」

むすっと言い捨て、国光は足音も荒く部屋を出て行った。不二も忠興も呆気にとられている。しばらくすると、庭のほうから馬の駆け去る音がした。

「あれって…怒ってたの?」
「さっ左様存知まする。」

庭を指差す不二に秀次は首を竦める。今度は忠興が芹を指差した。

「なんで芹に怒るんじゃ?」
「そっそれは…」

言いにくそうに秀次が口ごもる。不二がマジマジと秀次の手元を見つめる。

「この葉っぱ?」
「いかにも…」

はっきりしない秀次に二人同時にきれた。

「秀次っ。」
「ええいっ、わかるように言わぬかっ。」
「でありますからっ。」

観念したように秀次は目をつぶって一気に言った。

「小和賀様の文にかかれておるのは身分違いのかなわぬ恋の歌でござりまする。」
「「はぁっ?」」

不二も忠興も目をぱちくりさせる。秀次はもごもごと説明した。

「その…西行法師の歌でござりまして、卑しい身分でありながら皇后に恋をした男の逸話にちなんでおりまして、でありまするから、芹を毎朝摘んだのでござります、その男はっ。」

不二と忠興は今度は互いに顔を見合わせる。それからまた秀次に視線を移した。

「身分違いの恋じゃあ?」
「はぁ、小和賀様ご自身を男になぞらえられておるかと…」
「僕、皇后様なんだ。」
「おそらくは…」

不二と忠興はまた呆気にとられた。

「で、殿はいずこへいかれたのじゃ。」
「…芹を摘みに行かれたのではないかと…」
「何で国光が芹摘みに行くのさ。」
「…負けず嫌いなお方でござりますれば…」

不二と忠興は顔を見合わせ、ため息をついた。

「阿呆じゃのぅ、殿は…」
「うん、僕もそう思うよ…」

やれやれと不二は膝前にあるもう一つの贈り物、扇をとりあげ広げてみた。なにやら絵が描いてある。秀次がいささか引きつり気味に言った。

「この歌の故事を絵にしたものかと存知まする。」
「なんだか、小和賀の殿様って、徹底した人だね…」

やってられない、と不二は手にした扇で額を押さえた。焚き染めた香がふわっと漂う。

いい香りだし、もったいないからこの扇、使わせてもらおう。

そう思って扇いでみた。扇ぐたびにふわふわと甘い香りが漂う。ポケットに入れた土産の鈴がころん、と音を立てた。

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小和賀の殿様、なにげにナンパ野郎です。同じ三十代半ばになっても、国光にはできませんね、こういう口説きかたは。がんばれ、国光…