不二が湯浴みを終える頃、国光がやってきた。寝間着に着替えるのを廊下で大人しく待っている。白い寝間着に着替えて衝立の外へ出ると、国光が振り向いた。いつもの折り烏帽子はなく、髪を下ろしている。くせのある髪が肩にばさりとかかって、不思議な色気が醸し出されていた。不二が我知らず、その姿に見とれていると、国光は穏やかな笑みを浮かべた。
「湯を使わせてもらう。」
そう言って無造作に直垂を脱ぎはじめる。
「うわっ。」
慌てて不二は目をそらし、廊下に飛び出した。
「ちょちょっとっ、服脱ぐなら衝立の影にいってよっ。」
国光は少し目を細めたが、そのまま黙って衝立の影に入った。不二はへたへたと廊下に座り込む。心臓がひっくりかえりそうだった。
おっ落ち着けっ。
ばくばくする胸を押さえる。
落ち着け、僕の心臓っ。
不二は髪を下ろした国光にどうしてこんなにも動揺するのか、よくわからなかった。折り烏帽子をかぶっているときより、髪型が手塚に近くなるせいで混乱するからなのか、裸になった国光を思い出すからなのか。
裸…
不二の心臓がまた飛び跳ねた。あの満月の夜も、国光は今夜と同じように湯を使った。不二の前でためらいなく衣服を脱ぎ、たくましい裸体がさらされたのだ。ちゃぷん、と国光が湯を使う音が聞こえた。
うわわっ。
月影に浮かびあがった国光の裸体がまざまざと蘇る。それと同時に不二は、月夜の浜辺で自分を組み敷いたたくましい腕の感触まで思い出してしまった。素肌を這う国光の手、熱い吐息、ねっとりとからみついてきた舌と唇…
わーっ、わーっ、わーっ。
居たたまれずに不二はぶんぶん首を振った。
何思い出してるんだ、僕はっ。
気を落ち着けようと不二は大きく息をした。春の暖かい風に頬の熱さがなかなか引かない。ざばっと大きな水音が、もう片側の廊下の先からした。国光が湯を使い終わって、庭先に空けたのだ。不二は振り向けなかった。どういう顔をしていいのかわからない。心臓の音がやけに大きく耳に響く。背後に人の立つ気配がした。国光だ。
「不二。」
「はっはいっ。」
声を掛けられるとわかっていて、それでも不二は飛び上がった。
「なっなっ何っ。」
無意識に後ずさりながら何か用がと言いかけて、不二ははっと口をつぐんだ。国光は黙って不二を見つめている。その瞳がひどく傷ついた色を浮かべていた。ふいっと国光は視線をはずす。
「何もせぬ。」
ぼそり、と国光は言った。
「心配せずとも、何もせぬ。」
「…くにみ…」
国光はくるりと不二に背を向けた。
「秀次に…夜具の支度をさせる…」
国光はそのまま部屋を出ていこうとした。
「国光っ。」
気がつくと、不二は国光の腕を掴んでいた。国光がゆっくりと振り返る。
「あっ…えっと…あの…」
咄嗟のことで、不二自身戸惑っていた。しかし、ここで国光の腕を放してはならない。それだけは確かだった。不二は国光が離れないようひたすら手に力を込める。
「あっあの…くにみつ…」
もごもごと口ごもりながら、不二は俯いてしまう。
「あの…」
「おれが手を握らねば眠れぬか?」
「…へ?」
きょとん、と見上げると、目の前に国光の顔があった。悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「そうか、寂しくて泣いておったか。」
「なっなっ…」
「不二は存外、甘えん坊であるな。」
「だっ誰がっ。」
不二はかかーっと顔を赤くする。国光が楽しげに肩を揺らした。
「わかった。おぬしが寂しがらぬよう、おれが寝ずの番をしていてやろう。」
不二が声もなく口をぱくぱくさせているうちに、国光は郎党を呼んだ。
「たれぞある。御渡り様の夜具の支度をいたせ。」
バタバタと数人の郎党達がかけつける。てきぱきと衝立や盥を片づけると、畳に真綿入りの夜具を揃えた。
「ちょっちょっと、国光っ。」
「照れずともよいぞ。」
笑いながら国光は、真っ赤になっている不二の手を引いて夜具の側へどかりと座った。
「何も心配はいらぬ…ゆっくりと休むがいい。」
穏やかな声だった。不二の胸がとくん、と鳴る。それを悟られたくなくて、不二はごそごそ夜具に潜り込んだ。目を上げると、国光が慈しむような眼差しとぶつかった。
「不二…」
不二の髪の毛を国光の手がゆっくりと梳く。
「大丈夫だ、不二…」
髪を梳く国光の手が温かい。体の芯がずっしりと重くなり、不二は自分がひどく疲れていたのだと初めて知った。髪を梳かれるたびに、とろとろと眠気が全身を包む。
「不二…」
自分の名を呟く声がだんだん遠のいていく。国光の温もりを感じながら、不二は眠りに落ちていった。
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もじもじな二人?ぐっと我慢の国光君です。鎌倉人にはこの我慢は相当きついだろうなぁ…(って、人ごとみたいに、人ごとだけど、ははは〜)