呆然と立ちすくんでいると、道路の向こうから何人もの人影が近づいてきた。誰かを呼んでいる。不二はよく見ようと目をこらした。声が聞こえてくる。

「不二ーーっ。」
「不二せんぱーいっ。」
「不二ーっ、不二ーっ。」

青学テニス部のメンバー達だった。必死で不二の名前を呼んでいる。

「エージっ。」

不二は大声で友人達を呼んだ。

「タカさんっ、大石っ、乾っ。」

だが、友人達は不二に気づかない。目の前まで来ているというのに、不二の姿が見えていないのだ。不二の名を呼びながら、脇をすり抜けていく。不二を探している。

「不二せんぱーいっ。」
「せんぱーいっ。」

大石達の後ろから、桃城と海堂が不二の名を呼びながら走ってきた。

「桃っ、海堂っ。」

不二は桃城と海堂を遮るように、二人の正面に飛び出した。だが、桃城と海堂は走るスピードを緩めない。

ぶつかるっ。

次の瞬間、後輩達はふっと不二の体を通り抜けた。

「不二せんぱーいっ。」

桃城と海堂はそのまま駆け去っていく。不二は硬直したまま走り去る後輩達の背中をみやった。

まだ僕、完全に戻ってきていないんだ…

不二は自分の手を見つめた。この世界の人間には見えない不二の体、それでも、最初に戻った時とくらべたらずいぶんと現実感が増している。皮膚の感覚があり、なにより、この世界の音が、友人の声が聞こえるのだ。

もしかしたら、このままこうしていたら、帰れるかもしれない。

不二の心臓が激しく打ち始めた。

帰ってこられる…

ころん。

何かが鳴った。

「不二せんぱーいっ。」

後輩達の声が遠ざかっていく。

ころん、ころん…

ふっと浮遊感が襲ってくる。足下の感覚がおぼつかない。膝から何かが転がり落ちる感覚がする。

ころん…

ぐらっと視界が歪んだ。まばゆい光に目が眩む。

ころんころんころん…









「…はっ…ぁ…」

息を荒げ、不二は手をついていた。がくがくと肘が震えている。不二は再び、館の部屋の中にいた。円座に座ったまま手を畳についている。

僕は…

ようやく不二は顔を上げた。ひょうそくの灯が揺れている。庭の奥からは馬の嘶きと郎党達の声がしていた。胸がまだどきどきしている。不二は二、三度、大きく息を吸った。

僕はまた、帰ったんだ…

そう、確かに不二は現代に帰っていた。不完全な形ではあるが、これで二度目だ。しかも、前回よりも感覚がリアルだった。自分を探す友人や後輩達の声が聞こえ、頬に風を感じた。このまま、何度かこれを繰り返していると、現代へ帰れるのだろうか。いや、帰れるに違いない。静まらない動悸を収めるように不二は胸に手を当て、円座の上に座り直した。ふと、膝の前に国光から貰った土鈴の転がっているのが目に入る。

鈴…

そういえば、音がしなかったか。その音に引きずられるように、自分は現代から引き戻された。あれは鈴の音だったのか。鈴が膝から転がり落ちて鳴ったのだ。不二はのろのろと鈴を拾い上げた。ころん、と素朴な音がする。素朴な、温かな音、国光の手の温もりのような…

「あぁ…」

不二は鈴を握りしめたまま顔を覆った。

帰りたい、帰りたいんだ僕は…

なのに何故戻ってきてしまうのか。鈴の音、この鈴が僕を引き戻したのか、国光のくれたこの鈴の音が。不二の唇から微かに呻きが漏れた。

帰りたい…

「御渡り様。」

板戸の向こうから声がかけられた。ハッと不二は顔を覆っていた手をはずす。廊下に若い郎党が躙り出てきて、平伏した。

「失礼つかまつりまする。お湯の支度にござります。」

秀次がよく連れている郎等だった。

「あ…あぁ、お願いするよ…」

不二はなんとか返事をする。数人の郎党達が部屋へ入り、衝立をたてたりお湯をはった盥を運んだりしはじめた。もうすっかりなじんだ日常だ。不二は虚ろにそれを眺める。ころん、とまた鈴が音をたてた。

☆☆☆☆☆☆☆
いや、不二君、そんなに君を簡単に帰すわけないじゃないのさ、ふっふふふ…(歪んでる歪んでる、心根が歪んどるぞ、おれっ)