館に帰るなり、すっ飛んできたのは秀次と忠興だった。ぎゃんぎゃんと文句を並べたてる二人にはさまれ、国光は明後日の方向へ目を泳がせている。
「そもそも殿は自覚が足りんのじゃ。御渡り様だけじゃのうて、御身にも何ぞあらば事じゃというに。」
「然り。これからはせめて郎党の数人はお連れ下され。」
「賊なぞ、おれ一人でも蹴散らせるわ。」
「そういう問題ではござらんっ。」
「だがなぁ。」
国光はちらっと不二を横目で見ると、悪戯小憎のような顔をした。
「せっかく不二と二人きりの逢瀬に、お主らも不粋な。」
にんまり笑って不二の肩を抱く。
「「殿ーーーっ」」
「国光ーーっ」
怒号が響き、水軍の長は首を竦めた。
不二は内心、ほっとしていた。いつもの国光だ。桜の散る中で自分を見つめた国光ではない。
何で…
不二は戸惑う。強い瞳だった。黒い炎のような眼だった。だが、その瞳の意味するものを不二はあえて考えないようにした。何故かわからないが、その意味に行き当たるのが恐かった。
「どうだ、不二。」
国光の声にはっとする。少し考えに沈んでいたらしい。
「え?何?」
国光にかわって忠興が恭しく答えた。
「御渡り様が我ら榎本にお渡りくだされました時より、我ら一同、身を浄めておつかえ申し上げねばと寺へ使いを出しておったのですが、先ほど、寺より使いが戻りまして、是非とも御渡り様に湯を奉りたいと申しておりまする。」
「?」
不二は目をぱちくりさせた。言葉が足りないと思ったのか、秀次が説明をはじめた。
「御使い様のお側に控え申し上げるのでござりますから、穢れを落とさねばなりませぬ。ゆえに寺へ使いをだしておったのですが、寺のほうでも御渡り様より功徳をいただきたいと、それはもう強く願い申し上げあげておる由、毎晩湯屋を整え御用意もうしあげておるとのことでござります。」
「…?」
ますますわからない。国光が吹き出すのを堪えるような顔をした。
「風呂だ、不二。」
「…え」
「だから、風呂だ。知らんのか。」
「え…ええぇ〜っ。」
不二は国光に飛びつかんばかりの勢いで迫った。
「風呂って風呂、お風呂あるの?お風呂っ。」
「あ…あるぞ、風呂であろう?」
不二の目が感動で煌めいた。
「お風呂…」
く〜っ、と両手を握りしめる。
「お風呂に入れる…」
食事でもトイレでも散々な目にあった。三日目にしてだいぶ慣れたが、実は皆結構「体臭」が強い。だが正直、不二はもう、何も期待していなかったのだ。
海で体洗っているんだと思ってた…
よかった、よかった、これで春の海で体を洗うなんて辛い思いをせずにすむ、と一人感慨にふけっていたが、ハタとパンツの問題に行き当たった。
目の前の忠興や秀次は不二が喜んでいるのをみて純粋に嬉しいのだろう、ニコニコしている。ちら、と上目遣いに国光をうかがうと、なにやら楽しそうな目でこっちを見ていた。
また面白がっているな。
いちいちカンに触るヤツだ、と向かっ腹がたつが、相談しないわけにはいかない。パンツも三日目になると、もう限界だ。
「…ねぇ、国光…」
もごもごと不二は名前を呼んだ。ん?と国光が首をかしげる。
「あの…その…パンツ…ある…わけないよね…」
男同士なのだし、そう恥ずかしがることでもないと自分に言い聞かせてみるのだが、どうも国光相手だと言いづらい。
手塚にそっくりなのがいけないんだよ…
内心、ため息をついていると、国光が怪訝な顔で聞き返してきた。
「ぱんつ、とは何だ。」
やっぱり…
予想はしていたが、それでも不二はがっくり肩を落とす。
「だから…下着のことだよ。」
「下履きなら、これであろう。」
国光は直垂の下の袴を引っ張ってみせた。
いや、袴のことじゃなくて…
こうなったら、わかるように説明するしかない。
「袴の下に君たちも何か佩いてるでしょう?その、だから、パンツって…」
「殿、袴の下といえば、ふんどしのことではござりませぬか?」
秀次がはっと閃いた、とばかりに注進する。
「あ、そうかも、っていうか、ふんどしじゃないんだけど、そういう下にはくヤツ…」
話が通じたとほっとする不二の前で忠興がぽんっと手を打った。
「おお、御渡り様にはふんどしを御所望であらせられましたか。」
「なんだ、ふんどしか。」
「やはりふんどしでござりましょう?」
「いかにも、ふんどし。」
ふんどし、ふんどし、と連呼しないで欲しい…
便所の時といい今といい、なんでこう、この人達ってデリカシーというかなんというか、繊細さに欠けるんだろう、不二は頭を抱えた。
繊細な鎌倉武士というのもそれはそれで大問題なのだが、不二は多感な高校生だ。無理もなかった。そんな不二の内面にはとんと気付かず、国光はあっけらかんと言い放つ。
「不二のふんどしと形が違うのであろうな。秀次、見せてやれ。」
秀次がははっと畏まって袴のヒモに手をかけるので、不二は慌てた。
「いいっ、秀次っ、見せなくていいっ。」
「なんだ、遠慮はいらぬぞ。秀次が嫌ならおれの…」
「だから脱ぐなってっ。」
「では不二のふんどしを見せてみろ。」
ひょい、と国光が不二のジャージを引っ張った。
「ぎゃーーーーっ。」
「「殿っ。」」
ばちーん、と高らかな音が響き、国光の頬にくっきり不二の手形がついた。
☆☆☆☆☆☆
明々と松明がたかれ、玄関には飾り立てた輿がすえられている。不二はその場で呆気にとられていた。良く見ると、国光以下、郎党達すべて衣服を改めている。口を開くものはなく、聞こえるのは厩より引かれてきた馬達のしわぶきだけだ。
何?この厳かな雰囲気って…
上がり口に突っ立っていると、国光が恭しい態度で不二の側に来た。黙って手をとり、輿へと導く。雰囲気に飲まれて、不二は小声で囁いた。
「ねぇ、僕、これに乗るわけ?」
「おれに抱いていって欲しいか?」
やはり小声で、しかしとんでもない事を言い出す国光を不二は睨むと、むっとしたまま輿に這い登った。国光が打って変わった厳粛な態度で輿の入り口の垂れ布をおろす。見事な錦の織物だ。良く見ると、木の部分も細工がしてあり、中の敷物も真綿入りの絹だった。
鎌倉時代の乗り物って豪華。
不二はその時あまり考えなかった。もっとも、普通輿にのるのは身分の高い女だとか、榎本の館にはそんな女性はいないのにとか、高校生の考え及ぶところではない。
不二が乗り込むと、ぐらりと揺れて輿が動きだした。
「うわっ。」
よろめく体を支えながら垂れ布の隙間から覗くと、屈強な郎党数人が輿を担いでいる。輿の周りも松明を掲げた郎党達が取り囲むように歩いていた。国光や忠興は馬で先を行っているらしい。
それにしても、たかが風呂にこの仰々しさは何なのだ。家人や郎党達全員が出てきたような人数にも驚くが、その人々がだれも口を聞かず黙々と歩いているのだ。
まぁ、お風呂に入れるからいいか。
不二は考えることをやめた。災厄は降り掛かるときには降り掛かるのだ。しかもそれは不二の想像を絶するものばかりで、当然避ける術などない。
何かあったらその時考えよう。
三日間過ごして得た教訓だった。
寺についたのか、輿が大きく揺れて地面に降ろされた。乗り心地は最悪で、まだ国光に抱かれて馬に揺られた方がましな気がする。ふいに垂れ布があげられ、国光が手をさし伸ばしてきた。
「不二、立てるか?」
囁くようにいう。この男にしては殊勝な態度だな、と首を捻りながらも不二は国光に助けられながら外へ出た。
「わっ。」
目の前には寺の坊さんと小憎さんらしき幾人かの坊主頭が平伏していた。
「御渡り様にはかような所へ御身御渡りを賜り、拙僧、喜びにたえませぬ。」
びっくりして固まった不二にやはり平伏した国光が言上した。
「御渡り様、お言葉を賜りとう存じます。」
「え?あ?あの…」
国光がちらっと顔をあげて、何か言え、と合図をよこした。不二は困った。
何か言えといわれても…
「あの…今日はありがと。お風呂、入らせてくれるんだよね。」
ははははーっ、と坊さんは感動に打ち震えた。どうも、神も仏も一緒らしい。仏の化身に目通りかなって、寺の者達は皆一様に感極まっている。
「御坊、御渡り様を湯屋へ。」
国光が声をかけ、住職みずからが先導し、不二の後をぞろぞろ小僧さん達がついてくる。そう大きい寺ではない。湯屋とおぼしき建物の入り口までくると、小僧の一人が木の戸を開け、他の小僧が白い浴衣を捧げる。国光が立ち止まったので、不二は慌てた。
「国光?」
「御用のむきはその者達にお申し付けくだされ。着替えは湯屋の中にて…」
「国光っ。」
冗談じゃない、不二は焦った。湯屋だと言われた部屋は暗く、素焼きの皿のようなものに灯った明かりが一つあるだけだ。こんな暗くて狭いところに、知らない人間と押し込められてはたまらない。
こうなったら、オレ様不二は神様だ、どんな無体も通るはず。
「国光がきて。」
「いや…しかし…某は…」
何が「それがし」だ。普段は「おれ・おれ」と馴れ馴れしくからかってくるくせに。
んっとに外面のいいヤツ。だったら見てろ。
不二はわざと尊大な態度になった。
「着替えは国光がやってよ。部屋にはいるのも国光だけ。わかった、くーにーみーつっ。」
国光がぐっと詰まったのがわかった。
「…おれ…か?」
「それがし、じゃないんだ。」
国光がしかめっ面をした。それは不二が手塚にふざけかかった時の顔によく似ていて、胸がチリっと痛んだ。
「殿、御渡り様のお望みになられる通りがよかろうと存じ上げまする。」
一瞬、国光は躊躇って、それから白い浴衣を小僧の手から受け取った。
「知らぬぞ、どうなっても。」
「何が?」
耳元でぼそりと呟かれた言葉に不二はきょとんとした。国光は一つ、ため息をつくと不二の手をとり、中へ入る。住職が木の戸をガラガラと閉めた。
そこは三畳ほどの板張りの部屋で、窓も何もない。明かりは皿に油を入れて芯に火をともしたひょうそく一つで、ほとんどが闇に沈んで見えなかった。どうもこの暗さには慣れることができない。
「…国光。」
不安げな声だったのだろう。ふっと国光の微笑む気配がして、温かい手が頬に触れた。
「お主は暗さに慣れぬのであったな。」
そっと抱き寄せられると国光の匂いがした。不二はほっと力を抜く。
「大丈夫だ、不二。」
耳元に国光は囁いた。それから体を離し、悪戯っぽく言う。
「風呂に入りたいのであろう?」
「あっ、そうだった。」
この物々しさにすっかり忘れていた。自分は風呂に入りにきたのだ。風呂が何故寺にあるのかよくわからなかったが、別に深く考えることでもなさそうだ。
「ね、お風呂、どこ?」
「そこだ。」
国光が指差す先は、暗くて見えないが、もう一つ部屋があるようだった。温かい湯気が洩れてきている。嬉しくなって不二はいそいそと服を脱ぎはじめた。
国光がいるが、暗いのであまり気にならない。国光は不二が脱いだ服を、いくつか塗り盆の上に乗せていた。さすがにパンツには触らせたくなくて、自分で盆の上に置く。不二は全裸になった。そこへふわっと浴衣が肩にかけられた。
「え?なんで?お風呂はいるんでしょ?」
「だからこれを着るのではないか。」
へ?と間抜けな声をあげた不二に国光はしっかり浴衣を着せ、ぼそっと言った。
「そうポンポン思いきりよく脱ぐな。丸見えではないか。」
付き添いがおれでよかった、とブツブツ言うのに、不二はぎょっとした。
「みっ見えるの、国光っ。」
「明かりがあるのだ。見えるに決まっておる。」
鎌倉人の視力って…いやそれより、僕、すっぽんぽんで国光の前に…
「ぎゃーっ。」
不二は浴衣の前を押さえると大慌てで風呂だと指差された戸を開けた。一段高い所にある木の引き戸は人一人が腰をかがめて入れるくらいの大きさで、いわば茶室のにじり口のような感じだ。あたふたと中へ入ると、天井は高く体をおこすことが出来た。むっと湿った熱気がこもっている。
「ゆっくり入るといい。おれはここにいる。」
そう言って国光は戸を閉めた。とたんに真っ暗だ。明かりがない。不二は仰天した。あちこちに手を伸ばすと、すぐ板壁にあたる。狭い部屋なのだ。手探りするが、湯舟らしきものはない。狭くて、ただ蒸し暑いだけだ。しかも真っ暗、外からの音もしない。
「くっ国光…」
不二はごくりと喉を鳴らした。息が詰まりそうだ。
「国光…」
返事がない。いると言ったのに。
「国光。」
不二は引き戸と思われるところに手をかけた。開かない。
「国光。」
がたがたと引き戸をひっぱりながら、不二はパニックになりかけた。
「国光っ。」
がらり、と戸が開いた。国光が顔をだす。暗くてよく見えないが国光だ。転がるように不二は外へ出た。蒸し暑さと緊張で汗びっしょりだ。国光にしがみつく。
「どうした、不二。」
「お風呂はっ?」
噛み付くように尋ねると国光は不思議そうに答えた。
「今、入ったではないか。」
「お風呂って…お風呂って…」
国光の直垂を掴む手がぶるぶる震える。
「お風呂ってもしかしてあれーーーっ?」
「風呂とはあれだろう?」
さも当然といった風の国光に、今度こそ不二は全身の力が抜けた。
☆☆☆☆☆☆☆☆
不二君、お風呂パニック編、ですね。国光、すっぽんぽんの不二を前によく我慢しました(鬼)
さて、鎌倉パニックもそろそろ一段落、んでもって、そろそろ国光君、我慢の限界、近いんじゃないの〜ってね。おとなコーナーだし…(ええい、腐れめ)