手塚の声をして、手塚と同じ顔をして、手塚よりあけっぴろげな国光、不二は不思議な気分だった。



国光に手をひかれ、不二は桜の咲く山道を登っている。

昼を一刻程過ぎた頃、来客から解放された国光が突然、よい所へ連れて行ってやると強引に不二を馬上に引っ張り上げたのだ。あたふたする郎党どもを振り切って国光は馬を駆けさせた。 全力疾走に不二が悲鳴をあげたのはいうまでもない。

「着いたぞ。」

そう言われて馬から抱き降ろされた時には、もうふらふらだった。国光は馬を手近な木に繋ぎ、座り込んでいる不二に手を差し出す。

「おぶってやろう。」
「…自分で歩く。」

いちいち言うことがカンに触る。むっつり顔で立ち上がろうとすると足がもつれた。

「わっ。」
「だからおぶってやると言っておるに。」

国光が楽しげに不二を抱きとめる。向かっ腹をたてた不二が身を捩ると、くっくっと笑いながら離してくれた。

「こっちだ。」

今度は手を絡めとられる。何で手を繋ぐんだ、と思わないでもなかったが、国光の手の温もりが心地よくて不二はそのまま手を引かれた。そして今にいたっている。



山道は緩やかで、部活で走り込んでいる不二の苦にはならなかった。
両脇は見事な桜並木だ。七分咲きの桜がはらり、と薄紅色の花びらを散らしていた。だが、不二がよく目にする桜並木とはやはり風情が違う。桜の種類が違うのだ。染井吉野の並木を見なれた不二には新鮮だった。

春の午後の光は明るく、風は穏やかだ。国光の折烏帽子や深緑の直垂にはらりはらりと花びらが散る。ふいに、青学の桜並木が不二の脳裏に蘇った。


満開の染井吉野の花吹雪、その中に立つ黒い学生服、あれはどの春だったか、手塚の黒い学生服に花びらが散っている。広い背中に、癖のある黒髪に、染井吉野の花びらが散っていて、ぼぅっと見とれていたら突然手塚が振り向いて名を呼んでくれた、不二…と。

「不二。」
「わぁぁっ。」
「何だ、騒々しい。」

不二はばくばく鳴る胸を押さえた。まったく心臓に悪い。手塚のことを思い出していたら、同じ顔と声で名を呼ぶのだから。国光は一人で狼狽える不二を怪訝な顔で見ていたが、くいっと傍に引き寄せた。

「ここだ。」

言われて目をやった不二は思わず歓声をあげた。

「うわ、すごい…」

桜並木のとぎれたところは小高い岡の斜面だった。緩やかな傾斜の草原が続き、その先には海が見える。波がきらきらと光っていた。

「気持ちいい〜。」

不二は草の上にすとんと腰をおろすと伸びをした。隣に国光が座る。風に吹かれて桜の花びらが二人に降りかかった。

「気に入ったか?」
「うん、すごく。」
「そうか。」

にこっと笑って見上げると優しい目にぶつかった。時折、国光はこういう目をする。

に…苦手なんだけど…

こんな目をされるとどうも落ち着かない。誤魔化すように不二は目を景色に写した。足下では春の野草が小さな花をつけている。時折吹く風にゆらゆらと揺れていた。

「母上はここが好きだった。」

ぽつり、と国光が言った。

「お母さん?」
「おれが十の時に死んだ。」

え、と不二は国光を見た。手塚の母親の顔が浮かぶ。手塚のところは両親とも健在で、お祖父さんも元気で…

「おぬしは笑うかもしれんが、おれの親父殿は変わっていてな。十五の時に見初めた女を妻にして、他には手をつけなかった。」

いや、それって当たり前っていうか、他に手つけたらヤバいだろう、にしても十五だぁ?なんつーマセたガキだ、お前の親父はっ

思わず心で突っ込んだ不二には気付かず、国光は遠くを見るようにしている。

「おれもそのようにありたい。」
「えっ、国光って、十五で結婚したかったの?」
「…誰がそんなことを言った。」

むっと眉を顰める国光に不二は慌てて手を振った。

「え、あ、だってさ。」
「父上と母上のようにおれも人を愛したいと言ったのだ。」
「ごっごめん。」

謝りながらも不二はふっと引っ掛かる。昨日、今日の姫君を嫁に迎えるとかいってなかったか…不二は恐る恐る聞いてみた。

「じゃ…じゃあ、京の姫君って…国光の好きな人…?」

言葉に出すと胸の奥がまたちくりと痛んだ。国光の顔がみるみる曇る。

「…国光?」
「会ったこともない女だ。頼みもせぬのに三浦が余計なことをする。」

国光は吐き捨てるように言うと、草の上に仰向けに寝転がった。

「母上は体が弱くてな、子はおれ一人だ。普通は妾腹の兄弟が幾人もいるものなのだが、それもおらぬ故、おれさえ押さえれば榎本をとれる。だから本家が煩く絡むのだ。」

フツー「妾腹の兄弟」なんてそうそういないんだって…

この時代の倫理観に不二は頭が痛くなる。チラと隣に寝転がる男を見た。
手塚と同じくらいの年で、同じ顔をして、でもこの男はなんて重いものを背負っているんだろう。

なのにいつも自分にいうのだ、大丈夫だ、不二、と。

「大丈夫だよ、国光…。」

何が、とは言わない。姫を案外気に入るだろうとか、そのうちいい人みつかるとか、そういう事は言いたくなかった。だが、何かを伝えてあげたい。

不二は国光の手に自分の手を重ねた。自然と微笑んでいた。国光が驚いたように不二を見上げる。

「大丈夫だから…国光…」

ね、と手を握ってやると、国光の頬が僅かに赤らんだ。こうして見ると同い年なんだなぁ、と不二は思う。

「そうだな…」

国光は不二の手を握り返すと自分の方に引き寄せた。

「そうだな、不二がいるからな。」
「うん、僕は神様だからね。」

不二もくすくす笑った。海からの風が心地よく頬をなでる。ちらちらと花びらが舞った。

「不二のことを聞かせてくれ。」

国光が体をおこした。

「不二は公家か?武家にはみえぬが。」
「あ〜、あのね〜。」

不二は苦笑いした。どう説明していいものやら。

「僕の世界にはもうそんなのないんだ。ただの高校生だよ、僕は。」
「高校生?それは神官か何かか?」
「えっと、じゃなくってね。」

この時代の人間にどう言えばいいのだろう。しかし、国光にはちゃんと自分のことを伝えたかった。

「たぶん、僕は未来から鎌倉時代に迷いこんだんだと思う。あ、君たちの時代の事、僕達は鎌倉時代って呼んでるんだよ。」
「未来?来世のことか?不二はこの世のものではないのか?」

単語が通じていない。確かにこの世界のものではないが、来世と言われても困る。

死んだわけじゃないしね、僕は。

不二はうーんと唸った。

「君たちの子供の、その子供の、ずっと先の子供達の時代ってことだよ。僕にとってはここは800年くらい昔の世界なんだ。」

国光はじっと耳を傾けている。

「もう武士とか戦とかなくてね、身分とか一族とか、そんな面倒なのもあんまり関係ない。そりゃ、すっごい金持ちとかは別だろうけど。」

不二は空を見上げた。青い空、春の穏やかな空、遠くで海が光っている。つい三日前には、同じような空を手塚と歩きながら眺めたのだ。

「心配してるかなぁ、皆…」

ふいに、青学の仲間の顔が浮かんだ。

「僕ら、テニス部の合宿だったんだよ、ここに来たの…」

ぽつ、ぽつ、と心を辿るように不二は話した。

「桃と海堂、慌ててるだろうなぁ、やっぱり祟りだって騒ぐだろうな。もう家に連絡いったかなぁ。」

いつの間にか独り言になっていた。国光はじっと聞いている。

「母さん、姉さん、泣かなきゃいいけど…心配性だし…裕太も…手塚んちはどうしたかな…」

はっと不二は我にかえる。

「あ、ごめん…国光…」
「いや、もう少し聞かせてくれ、お前の家族や仲間のことを。」

国光は柔らかく目を細めた。

「不二には姉と弟がいるのだな。」
「うん、そう。あ、そうだ、待って。」

それから不二はいいことを思いついたとポケットから携帯を取り出した。

「えっと、たしかデータ、残ってたと思うんだけど。」

ピッピッと操作して、それから画面を国光に見せる。国光がぎょっと体を引いたので不二は笑った。

「大丈夫だよ、これ、写真っていうんだ。まさか君、ホントに魂捕られると思ってる?」
「い…いや、だが、得体がしれぬ。」

きまり悪げな国光が妙に可愛くて不二はくすくす笑った。

「姿を写すだけ。僕らの世界じゃ普通だよ。皆、写真撮ってる。」
「…そうか。」

国光が画面を覗き込んできたので、不二は説明した。

「これがね、由美子姉さん、こっちが弟の裕太だよ。二月のテニスの練習試合の時のやつ。」

パソコンに移そうと思って残しておいた写真だ。

「不二に似て美しいな。」

ぷっと不二は吹き出した。

「なにそれ、そんなに真面目にいわないでよ。まぁ、姉さんは美人かもね。」

ピッと次の写真を画面に出す。テニス部のメンバーが写ったものだ。合宿一日目に撮った。

「これがね、テニス部の仲間。」

大石と乾の手前で菊丸がにかっと笑っている。ピッと次の写真に移った。

「不二がいる…」
「あ、エージがね、携帯貸せっていうから。」

国光は不思議そうに目の前の不二と画面を眺めた。

「同じだな。」
「そりゃそうだよ、写真なんだから。」

相当珍しいんだな、と改めて不二は実感する。ピッと次の写真を画面にだした不二はハッとそれを見つめた。

「手塚…」

菊丸が撮ったのだった。自分と手塚が話しているところが写っている。

「これが手塚、か。」

不二は国光を見た。見れば見る程、恐ろしいくらい同じだ。いくら時代が違うとはいえ、こんなことがあるのだろうか。国光が顔をあげた。

「おれに…似ているか?」
「…そのまんま…」

泣きそうになった。どうしてこんな男が存在するのだろう。どうして自分の前にいるのだろう。好きになった手塚ではないのにどうして…

「そっくりだよ、手塚国光に。」

国光が目を見開いた。

「国光というのか、その手塚も。」

不二は滲みそうになった涙を誤魔化すように目をしばたいた。努めて明るい声を出す。

「そう、手塚国光。君と同じ名前でしょ?びっくりしたよ。顔も声も同じで、おまけに名前まで…」
「手塚は不二の想い人か?」
「なっ。」

突然のことに、不二はカカーッと赤くなった。

「何、いきなり、なっなんのことっ。」
「そうか、おぬしの想い人であったか。」

わたわたと焦るが、ここまで真っ赤になっていると誤魔化しようがない。諦めて不二は一つ、ため息をついた。

「そうだよ、僕は手塚が好きだよ。でも、恋人とかじゃない。」

こんどは国光が驚いた顔をした。

「なにゆえか?不二は手塚を好いておるのだろう?手塚が嫌だと言ったのか?」
「違うよっ。ってか、なんか傷付くな、その言い方っ。」

不二はムッとする。

「言えるわけないじゃない、僕が手塚を好きだなんて。」
「なにゆえか?」

国光は同じ言葉を繰り返した。心底不思議だとその顔は言っている。

「なにゆえ手塚に言わぬ。」
「あっあのねぇ、僕も手塚も男同士でしょう?言えるわけないの。」
「おぬしは美しいぞ。不二ほどの者に好かれて嫌な男はおるまい。」
「うつく…」

不二は絶句した。

その美しいって何だ、だいたい、嫌な男はおるまいって、なんで男なんだ、男っ。

「だから、男同士だっていってるじゃないか。普通じゃないでしょ、そんなの。」

国光はますます訳がわからんという顔をしていたが、急に何かに思い当たったようだ。

「ああ、子をなさねばならんからか?ならば妻を娶ればよい。不二が面倒ならば、妻は取らずどこかの女子に子を産ませればよかろう。金子をとらせて育てさせ、しかるべき年頃にひきとればよい。」

違う、違い過ぎる、この感覚…

不二は目眩を感じた。だが、国光は至極真面目だ。

「僕の時代でそんなことしちゃダメなの。もーっ、乱れてるんだからッ。」

この時代の倫理観ではしかたがない、と頭ではわかっていてもなんとなくムカついて不二は国光を睨んだ。

「だいたい、国光だって御両親みたいな恋愛したいんでしょ。だったら…」
「手塚はうつけ者だな。」

国光がじっと不二を見つめる。

「おぬしに好かれておるというのに、とんだうつけではないか。おれならば…」

炎が宿ったような瞳だ。その視線の強さに不二は怯んだ。

「国光…?」
「…おれならば」

ざっと風が吹いた。うす紅色の花びらが二人の間で渦をまく。ふっと国光が視線を外した。

「戻ろう…不二…」

立ち上がった国光は先に歩き始めた。不二は慌てて後をおう。

黙ったまま二人は山道を下った。国光の後ろを歩きながら、不二は両手を握りしめた。繋がれていない手がひどく寂しかった。


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ラブ度、あ…あがった?いや、ほれ、じわじわと低温火傷のよ〜にってな(言い訳)榎本国光、手塚国光を知る、の巻、な〜んてね。激ラブ目指してがんばれ、おれっ。