「ーーーって〜〜」

目覚めは最悪だった。ずきんずきんと脈が打つ度に頭が痛む。要するに二日酔いだ。

だ〜か〜ら〜、何か食べさせてくれてればよかったんだ…

すき腹にどぶろくを二杯も飲んだのだ。具合だって悪くもなろう。不二は頭を抱えてうつ伏せに転がった。

国光め〜〜〜っ

ここにはいない男に不二は悪態をついた。そしてふと、夕べのことを思い出す。

そういえば、誰かがずっと優しく髪を梳いていてくれたような気がする。誰だったのか、
名前を呼んでくれた、不二、と。低く柔らかい声、大好きな、切なくて胸が痛くなるあの声…

手塚?

そんなわけない、すぐに不二はその考えを打ち消した。
手塚はここにはいないのだ。いない人間がどうやって自分の名を呼ぶのだ。ましてや温かい手で頬を包むなんてことができるわけない、というより、手塚はそんなことをしない。恋人でも何でもないのだから。

そこまで思いいたって不二はヘコんだ。

手塚なわけないよ…

落ち込んだすえに見た、幸せな夢だったに違いない。また泣きたい気分になってきた。

手塚、手塚、手塚に会いたい…

「不二。」

突然、頭上から手塚の声が降ってきた。

「てっ手塚っ。」

がばっと体を起こした途端、ずきんと痛みが走る。

「っったーーーーっ。」

頭を抱えて再び沈没した不二の上から不機嫌このうえない手塚の声がした。

「おれは手塚ではない。何度も言わせるな。」

腕の隙間から見上げると、榎本国光が立っている。眉間に皺をよせ、国光はどかりと不二の枕元に座った。

「すずやかな気分というわけではなさそうだな。」

コイツ〜〜〜っ

カチンときた不二は夜着の上に転がったまま国光を睨んだ。

「誰のせいだと思ってるのさ。」
「酒のせいだ。」

国光はしれっと答える。

ムカツク奴ーーっ

不二が起き上がって文句を言おうとすると、国光がふっと優しい目で笑った。

「薬湯を持ってきた。少し苦いが我慢して飲め。」

そして片手で不二の背を抱き、薬湯の椀を取り上げる。拍子抜けした不二はされるまま体を預け、椀を受け取った。

国光の顔が間近にある。何故かどぎまぎしてきて、不二は慌てて薬湯に口をつけた。確かに苦いが、乾汁にくらべたら格段に飲みやすい。一息に飲み干してふぅっと息をつくと、国光が唇の端を指で拭ってくれた。その感触に不二ははっとする。

国光の手の温もり…

「あの…あのさ、国光…」

もごもご言い淀む不二に、国光は首をかしげた。

「えっと、夕べのこと、僕ちょっとあやふやなんだけど…」

蚊の鳴くような声で不二は聞いた。

「君…もしかして、ずっと僕の事、介抱してくれてたとか…」
「なんだ、覚えておらぬか。朝まで添い寝をしておったというに。」

不二を胸に抱いたまま、からかうように国光は顔を覗き込んできた。

「まぁ、不二はぐーぐー寝ていたからな。可愛い寝顔だったぞ。」

不二は真っ赤になった。

やっぱりコイツ、むかつくっ

ちょっとでも感謝した自分が馬鹿だった。手塚ならこんなことは言わない。顔も声も同じだが手塚とは大違いだ。腕を突っ張って国光の胸から逃げようとするが、国光は不二をますます抱き込んでくる。くつくつ肩を震わせ笑っているのが余計癪だ。

「国光っ、君ねぇっ。」

怒鳴った途端激痛がはしり、不二はまた頭を抱える。

「あった〜〜っ。」

ふいに不二の頬が温かい手に包まれた。

「夕べは不二がおれを助けてくれた。何事もなくおれが当主をつげたのは不二のおかげだ。」

打って変わった静かな目で国光が不二を見つめている。引き込まれそうな漆黒の瞳を不二も見つめ返した。

頬に触れる手の温もりに、やはり夕べ自分の髪を梳いてくれたのは国光なのだと思う。宴会の席に戻らず、ずっとついていてくれたのだろうか。当主をついだ晴の席だというのに、酔っぱらって寝ている自分の側にいてくれたのか、酔っぱらった…


「ん…?」


夕べの記憶を辿る不二の背に、嫌な予感が走った。


夕べ酒をでっかい盃に二杯ものまされて、そして国光が嫌味なオヤジに因縁つけられて、アタマにきて携帯出して…


「あーーーーっ。」

不二は大慌てでポケットを探った。突然大声をあげた不二に国光は目を丸くしている。

「バッテリーがっ。」

電源を切った記憶がない。昨日、かなり長い間留守電の再生をしてしまった。もし一晩中待ち受け状態だったとしたら、かなりヤバイ。充電器もないのにバッテリーがあがったら、というか、そもそも電気がないのだ。もうお手上げだ。半泣きで不二は携帯を取り出した。やはり電源は入ったままだ。

手塚の声が聞けなくなってしまう…

「…あ…れ?」

バッテリー残量…フル?

昨日あれだけ電源入れてたのに?フラッシュもたいたのに?こっちにきて三日目、いくらなんでもフルってことは…

「…フル…だよね…」

壊れているんじゃなかろうな、と不二は色々触ってみるが、電話がかけられないこと以外はまったく正常だ。

「バッテリー…減らない?」
「…不二?」

携帯を手にぽかんとしている不二に痺れをきらした国光がとうとう声をかけた。

「不二。」
「凄い、国光、凄いよ〜っ。」

思わずがばりと国光に飛びつく。途端にずきんと頭が痛んで不二は呻いた。

「あたたた。」
「何が凄いのだ?どうした?」
「ふふっ、神の恩寵ってヤツ。」
「…?」

痛みに顔を顰めながらも不二は笑った。

バッテリーが減らないなんて普通ではありえない。しかし、現にフルのままだ。携帯の故障ではなく、本当に減らないのだとしたら、もしかしたら不二はまだこの世界の流れに完全に取り込まれたわけではないのかもしれない。不二の世界とまだどこかが繋がっているのだとしたら…

帰れる。

確証はないが、本当に帰れるかもしれない。希望が出てきた。

「僕が帰れる確率…パーセント。」

不二は小さく乾の口まねをしてみた。正直確率はわからないけれど、100パーセントだと信じたい。

嬉しくなって携帯を抱き締めていると、いきなりぼすんと国光に抱き込まれた。

「わけのわからん奴だ。」

国光は不機嫌そうに言うと不二を抱き込んだ腕はそのままにそっぽを向く。不二が見上げると妙に子供っぽい拗ねたような顔がそこにあった。

わけわかんないのはどっちだよ…

思いのほか抱き込む力が強くて、不二は国光の腕の中でじっとするしかなかった。




☆☆☆☆☆☆




秀次が朝餉の膳を運んできても、国光は不二を離そうとはしなかった。

「あのさ、国光…」
「殿…」
「ん?食べさせて欲しいか?」

片膝を立て腰を落としたまま片手で国光は膳を引き寄せた。

「誰がそんなこと言ったのっ。じゃなくてっ。」
「ほう、今朝は床節か。柔らかく煮たか?」
「だーかーらっ。」
「殿…」
「何だ秀次、もう下がってもよいぞ。」
「だ〜〜〜っ、下がらなくていいっ、下がらないでって秀次っ。」
「照れるな。」
「照れてないッ。」

埒が開かん、と秀次が額を押さえた所に、今度は野太い声が響いてきた。

「殿はいずれへおわすやーーーっ。」

どすどすと足音が響いて忠興が姿をあらわした。

「御前失礼つかまつ…とっ殿ーーっ。」
「忠興叔父。」

国光が渋い顔をした。忠興が真っ赤になってまくしたてる。

「どこへいったかとお探し申せば、あろうことか御渡り様の御寝所にて油を売っておるとはっ。」
「ああ〜、わかったわかった。今、参る。」

やれやれ、といった風に国光が立ち上がった。

「秀次、後は頼むぞ。」

そう言いおいて国光が部屋をでると、不二に一礼した忠興がそれを追った。

「跡目をついだ祝いじゃゆうて、近隣の庄からも武家やら民やら集まっておるに、肝心の殿がおらねば…」
「今更であろうに、おれは十五の時から当主のことを務めておる。」

廊下を遠ざかる二人の声が聞こえてくる。

「形は大事じゃ。だいたい夕べの宴にも抜けたまま戻って来ず、御渡り様の寝所に。」
「人聞きの悪いことを申すな。叔父貴。御渡り様の天誅がくだるぞ。」
「いや、そりゃ勘弁。」

聞くともなしに聞いていた不二はぶっと吹き出す。秀次も肩を震わせている。つい不二はぽろりともらした。

「国光って、ホント気侭だねぇ。」
「御渡り様の前なれば、と某は存じまするが。」

穏やかな、それでいて含むような笑みを返され、不二は戸惑った。よくわからない。秀次はいつもの慇懃な顔に戻り、膳をすすめる。

「今朝方、床節があがりましたゆえ、柔らかく煮させてござります。」

あわびに良く似たその貝はやわらかく、二日酔いの不二でも美味しく食べられた。青菜も昨日より小さく刻まれている。

食べながら不二は国光のことを考えていた。
宴席で厳しい目をしていた国光、楽しそうに自分をからかう国光、一晩中側にいてくれた国光、そういえば、夕べ国光は何か言っていなかったか、何か…

「やっぱりよくわからない奴…」

小さく呟き不二は残った床節を口に放り込んだ。

☆☆☆☆☆☆☆☆
ちょこっとラブ度、あがった?ちょこ〜っとだけ。いや、これからじわじわラブ度をあげていくのさ。だから、これ、お笑いじゃなくてシリアスラブストーリーなんだってば(強調)床節はじつは個人的に好きな食い物だったりする。味噌漬にすると上手いんだよ〜〜ん。酒の肴にするとひと粒でバンバンいけるぞ(ごめん、酒飲みで…)