ひどい夢だった。全く、本当に散々な夢だった。手塚が人を殺す夢なんて。


ゆっくりと意識が浮上してくる。やはり自分は眠っている。もうすぐ起きる時間なのだろう。今日も砂浜までランニングだ。目覚ましが鳴るまでまだ寝ていよう。

あ、でも、途中まではいい夢だったのになぁ。せっかく手塚とデートしてたのに…

目を閉じたまま不二はふっと笑った。

そう、デート。ただ歩いているだけでもデートったらデート。

誰かの手が額に触れる。その手が優しく髪をすいた。

誰だろう…

触れてくる手が気持ちよくて不二は微笑む。その手の持ち主がほっと息をつくのがわかった。小さく呼び掛けられる。

誰?手塚…?

自分を呼ぶ声。

手塚だ。手塚の声、ああ、まだ寝てるんだからこれも夢か…

大丈夫か?

気遣わしげな手塚の声。ふふ、何心配してるんだか。

大丈夫だよ、手塚。夢みただけ。

夢?夢をみたのか?

うん、君の夢。はじめはよかったんだけどね、後がちょっと恐かったんだ。

恐い夢か。

そう、鎧着た男達がね、襲ってくるんだ。死んじゃうかと思った。

もう大丈夫だ。

そうだね、君が助けてくれたもの。でも君もちょっと恐かったよ。

おれは恐くはないぞ。

うん、守ってくれるんでしょう。

手塚が優しく髪をなでる。

ああ、良い夢。もうしばらく寝ていよう。…でもなんか、背中が痛い。

不二の眉間に皺が寄った。

どうした。苦しいのか。

ううん、ただちょっと、ベッド、固くて。

ベッド?ベッドとは何だ。

やだなぁ、手塚。何言ってるの。あ、夢だからか、夢。

首も背中も腰も痛くて、不二はごろりと寝返りをうった。

おっかしいなぁ。宿のベッド、こんなに固かったっけ。

ごいん、と頭が下に落ちる。

「ううう〜。」

不二は思わず唸りながら目を開けた。目の前に木の箱のようなものが転がっている。

「?」

不二は木の箱に手を伸ばした。

「…?ジャージ?」

自分は青学のジャージを着ている。

「あ…あれ…」

がばっと不二は体を起こした。途端におお〜っ、と歓声があがった。

「御渡り様がお目覚めになられたっ。」

不二はぎょっとした。

なっ何、この人達っ。

「御渡り様ーっ。」

人々がどよめく。

………おんわたりさま?

だだっ広い板張りの部屋に不二は寝かされていた。その床にずらりと男達がが並んで座っている。その人々が一斉に不二に向かって平伏した。しかも、皆、時代劇の衣装を身につけている。

げっ、何これっ。

窓はなく、板張りの廊下の雨戸が開け放たれ、庭が見えた。その庭にも人、人、人。皆、同じような格好でやはり平伏している。驚きで固まっている不二の傍らから声がした。

「気分はどうだ。」

聞きなれた声。

「手塚ーーーっ。」

枕元に手塚国光が座っていた。これまた時代劇の格好のまま。

「手塚、何、これ、君まで何やってんのさ。」

不二は四つん這いになったまま手塚に詰め寄った。

「だいたい、さっきは僕が話しかけても変な言葉で…」

ハッと不二は喚くのをやめた。フラッシュバックする光景。

「……あ…」

胃の辺りから不安の塊がこみあげてくる。目の前にいる手塚は、夢の中の手塚と同じ格好だ。そして夢の中で手塚は人を殺した。しかしそれが夢でないとしたら…

「て…手塚…」

声が掠れる。

「手塚…」

震える手で手塚にふれた。

「手塚、君、人を…」
「ああ、あの野盗どものことか。案ずるな、皆始末した。もう心配はいらぬ。」

不二は驚愕に目を見開いた。あれは夢ではなかったのだ。男達が襲ってきて、手塚がそれを斬った。確かに彼らは死んでいた。手塚が殺した。ショックだったが、それよりも人を殺して平然としている手塚が信じられない。たとえ正当防衛だったとしても。

動揺して声も出ない不二の様子をどう思ったのか、手塚は安心させるように不二の手をポンと叩いた。

「今度はおれの言葉がわかるようだな。喉は乾かぬか。白湯をもってこさせよう。」

手塚は下座にひかえる一人に合図を送る。すると、平伏して居並ぶ最前列の男が手塚に声をかけた。

「若。いやしくも神仙の御使いたるお方に白湯はありますまいよ。」

年の頃は四十半ば、いかめしい風格の男の言葉を隣に平伏する若者が受けた。

「膳を整えしかるべきもてなしをいたすべきが良きかと某も存じ上げる。」
「しかるべきといってもなぁ、秀次。」

手塚が若者に苦笑いをこぼす。

「いきなり酒なんぞ、飲ませられんだろう。」
「しかしながら若っ。」

秀次と呼ばれた若者は生真面目な面をきっとあげた。

「仮にも我ら水軍の守神たる海神様からの御渡り様でございますぞ。」
「左様、せっかく我らがもとへお渡り下されましたのじゃ。」
「若もちと御考えあれ。」
「まっこと慶事ではござりませぬか。」
「瑞兆ですぞ。」

平伏していた人々がワイワイと口々に騒ぎはじめた。不二は呆然と騒ぎをながめている。頭の中は真っ白だった。

おんわたり?慶事?訳がわからない。いったいこの人達は何なのだ、何を言っているのだ。手塚は何故…

不二は混乱したまま縋るように手塚をみた。手塚はふと、目を細めると声を上げた。

「ひかえろ、御渡り様が驚いておわすではないか。」

一瞬で静まり返り、皆、恐縮して再び平伏した。手塚は白湯の椀を受け取りながら言う。

「御渡り様はお疲れだ。しばし休んでいただく故、お主達は下がれ。」

すっとその場にいた人々は退出した。庭にひかえていた者達も一礼して下がる。後には不二と手塚だけが残された。手塚が盆に載せられた白湯の椀を差し出した。

「白湯だ。飲むといい。」

不二がぼんやりしていると、手塚は椀を不二の両手に握らせた。

「驚かせてしまったようだな。怯えずとも大丈夫だ。悪いようにはせぬ。」

椀を持つ手をささえながら手塚は言った。

「お主の名は何という。どこから来たのだ?」

はじかれるように不二は顔をあげた。

「なっ何いってるの、手塚。」

この期に及んでまだ自分をからかうつもりなのか。怒りを滲ませながら不二は手塚を睨んだ。しかし、手塚は当惑したような顔をしている。

「どういうことだよ、手塚、ちゃんと説明してよ。君、さっきからなんで…」
「待て、その手塚というのは誰だ。」

手塚に遮られて、不二は激昂した。

「いい加減にして。こんな時、冗談も何もないでしょう。手塚が君じゃないなら、じゃあいったい」
「おれの名は榎本三郎国光。父上が病床にあるので、実質榎本水軍の長をつとめている。」

不二は言葉を失った。まだからかわれている?しかし、目の前の手塚にそんな雰囲気は微塵もない。

「その、手塚という者におれは似ているらしいな。お主、ずっとおれのことを手塚と呼んでいたが。」

不二は全身から力が抜けていくのを感じた。いったい何がどうなっているのか、皆目見当がつかない。ただ、なす術もなく目の前の男の顔を見つめる。手塚は、いや、榎本国光と名乗る男は不二が疲れていると思ったらしい。白湯の椀を盆に戻すと、不二を横たえた。不二はなすがままだ。国光は口元に微かに笑みをはいた。

「話は後だ。まずは休むといい。廊下に人を控えさせておこう。」

立ち上がろうとして、国光はふと、動きを止めた。

「名は何という?」

体を横たえたまま、不二はぼんやりと答えた。

「…不二…不二周助。」
「よい名だ。」

国光は不二にうなずくと部屋を出ていった。



☆☆☆☆☆☆



天井をながめながら、不二の頭はぐるぐるまわっていた。自分の身になにがおきたのか、さっぱりわからなかった。

あの時代劇な人々はなんなのだろう。手塚は…本人は手塚ではないと言っていたが、どこから見ても手塚国光なあの男もわからない。まだ自分は夢をみているのだろうか。本当は合宿所のベッドの中で…

いや、それならこんなに背中、痛くないだろう。

「寝てられないよっ。」

がばっと不二は起き上がった。どれが夢でどこからが現実なのか、不二は改めて周りを見回した。

板張りの広い部屋、開け放たれた木の引き戸の先の庭は簡素で、白い庭砂が陽に輝いている。もう昼なのだろう。松の木の影が濃い。不二はこの時になってはじめて、自分が畳の上にいることにきづいた。板張りの床に一畳だけ青畳がある。その上に敷いてある薄い布の上に寝ていたのだ。

「背中、痛いはずだよ…」

上にかけられているのも、つやつやした手触りの着物のような布だ。

「布団くらい出してくれればいいのにさ。」

枕にしていたとおぼしき木の箱を押しやりながら、不二はぼやいた。とにかく、家でも学校でも警察でも、連絡するのが一番だ。あの殺人事件が本当だとしても、自分が正当防衛だと証言すればいい。思い立つとドタバタ不二は部屋を飛び出した。と、廊下に男が二人いた。不二を見るとがばっと平伏する。不二は目をパチクリさせた。だいたい、さっきからこの時代劇してる人達は何故ぺこぺこお辞儀するのだろう。

「あ…あの〜っ。」

おずおずと声をかけると、平伏していた男達はますます廊下にへばりついた。

「あの、電話、あります?」
「………は?」

平伏していた男達はわずかに顔を上げた。あきらかに戸惑った表情だ。

「だから、電話なんだけど。」
「でっでんわ…にござりまするかっ。」

困り果てた様子で二人の男は顔を見合わせた。

「えっと、僕の携帯、繋がらなかったんで、電話お借りしたいんですけど。」
「しっしばしお待ちをっ。」

二人のうち、一人が平伏したまま後ずさると、転がるようにかけ去った。もう一人の男は目の前で床にへばりついたままだ。不二は困惑した。このリアクション、冗談にしてもタチが悪すぎる。

「これって、何かのお祭りなんですか?案外、どっきりカメラとか。」

男ははいつくばったまま答えた。

「ははっ、御渡り様のお渡り下されました目出度き日なれば、祝い事の日と定めて祭り奉らんかと存じ上げまする。」
「………?」

意味わかんない。

不二は首をかしげた。手塚と会ったときは訛りがひどくて聞き取れなかったが、今度は言葉がわかっても言っている意味がわからない。わからないが、気を悪くされても困るので不二は引きつりながらフォローする。

「いや、あの、皆さん、そういう格好しているから、今日は何かあるのかな〜って思って。」

途端に男は青ざめた。

「御無礼つかまつりました。急なこととて、それがし、服装を改むるまで気がまわらず、平服にて控え申し上げておりました。ご不興のだんは平に御容赦をっ。」

男は額がこすれんばかりに床に頭を押し付けている。

「あ、えっと、そんな、あの〜。」

身を縮めて平伏する男に不二が困惑していると、廊下の奥から国光がやってきた。

「どうした。」

不二は困り果てた笑顔で男を指差す。国光は男を下がらせると、また不二に聞いた。

「どうした。何か入り用か。」
「っていうか…」

は〜っと不二はため息をついた。

「ねぇ、なんであの人達、すぐはいつくばって物言うの?」

話しにくいったら、と顔をしかめると、国光が苦笑した。

「お主は海神様の御使いなのだろう?神の使いならば皆畏まって当然だ。」
「は?何それ。」
「だから、神の使いだ。」

はぁーっ?

不二は思わず素頓狂な声を上げた。

「神の使いって、ゲームじゃあるまいし、何、本気でいってんの?」

そんなわけないじゃないっ、と脱力する不二を見つめ、国光は妙に真面目な顔をした。

「まあ、そうだろうな。お主、神の使いには見えん。だが…」

国光は正面から不二を見据えた。

「お主は何者だ。神の御使いには見えんが、さりとてこの世の者にも思えんのだ。」
「手…手塚…」
「おれは手塚ではない。榎本国光、榎本水軍の長だ。」
「だって、君…」
「海神様の祠の前ではじめてお主を見た。おれはそれまでお主を知らぬ。」

不二は目の前が真っ暗になった。ぺたりと廊下に座り込む。

「何なんだよ、いったい…」

涙が滲んでくる。

「何、皆して僕のこと、遊んでンのさ。ここ、どこだよ、君が手塚でないんならそれでもいいよ。もう、どうだっていい、君なんか…」

国光が不二の側に腰をおろしてきた。不二はそれを両手で突っ張っっておしやると吐き捨てるように叫んだ。

「君が榎本国光だっていうんならそうなんだろっ。なんだよ、いつまでもそんな格好しちゃってさ、いい加減にしてよね。とにかく、家に連絡いれるから電話かしてっ。」

国光が困ったように言った。

「すまぬ。お主がどこからきたのかは知らぬが、おれ達にはお主の世界に連絡できるものはない。」
「馬鹿いわないでよっ。」

不二はイライラと怒鳴った。

「今どき電話つうじてないっていうわけっ?はっ、まさか、電気も水道も通っておりません、なんて言うつもり?」
「不二、といったな。ここには、お前の言う、そういうものはない。おれにはお前のいう物がわからない。」

不二は絶句した。じっと国光は不二を見つめている。嘘を言っているようにはみえない。手塚と同じ顔で、同じ声で、不二に理解できないことをいう目の前の男。はりつめていた糸が切れた。

「何だよ…何なんだよいったい…」

目の前がぼやけた。ぼろぼろと涙があふれてくる。

「いったい、何なのさ…何が…」

嗚咽がこみあげた。

「どうなっちゃってんのさ…」

不安と混乱でぐちゃぐちゃだった。不二は体を震わせた。

「なんで…」

不二は顔を覆った。呟く声が掠れてくる。突然、国光が不二を抱き寄せた。

「大丈夫だ。」

国光が耳元で囁くように言った。

「大丈夫だ、不二。」

抱きしめて不二の背中を優しくさする。

「大丈夫だから、不二…」

不二は国光にしがみついた。手塚ではないという男、しかし、手塚の声で不二を慰める。今はそれでもよかった。不二には国光の腕しか縋るものがなかった。漠とした不安に押しつぶされそうになりながら、不二は国光の腕の中にいた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

不二君、パニクってます。そりゃそーだ。御渡り様なんて、うそっぱちもいいとこなんで、そーゆー言葉があるなんて思わないよーに(って、誰が思うかいっ)ちょっとらぶ?少しずつラブ度あげましょ〜かね〜、不二君。でないと君もたのしみがないよね〜。