波の音がする。頬に当たるざらざらとした感触、目をあけるとそれは砂だった。
「いった〜。」
頭をさすりながら不二は起き上がった。顔についた砂が気持ち悪い。
あれ…何だっけ…なんで僕…
どうやら自分は気を失っていたらしい。まだなんとなくクラクラする。
えっと、手塚と祠へ歩いてて、手塚が腕つかんでくるからびっくりして…手塚、話があるって真面目な顔するから、あ、それっていつものことか、でも手塚があんなに引っ張るから鞘がぬけちゃって、鞘が…
「鞘、抜けたーっ。」
ぎょっと不二は自分の手元を見た。しっかりと「呪いの小刀」は手元にある。しかも抜き身で。
「やっぱり鞘、抜けてるよ…」
そういえば気が遠くなる前、小刀から妙な光が出たんだった。
「た…祟られちゃったのかな…」
それからハタと気付いた。
「手塚、手塚?」
不二は周りを見回した。誰もいない。
「手塚っ。」
不二は独り、見知らぬ砂浜にいた。大きな楠も祠もない。松林の続くそこには人家も道路もなかった。
「何?何で…手塚?手塚…」
手塚を呼ぶが、返事はない。辺りに響くのは波の音だけだ。見知らぬ砂浜に自分は独り、どっと不安が押し寄せてきた。
「手塚、ねぇ、手塚、どこ?手塚ーっ。」
よろけながら不二は立ち上がり、手塚を探した。砂浜に人影はない。延々と続く松林、いくら手塚の名を呼んでも聞こえるのは林を抜ける風の音と波の音ばかり。
「どこだよ、手塚…」
泣きそうになりながら、不二は松の根元に座り込んだ。松林の切れたところに祠がある。その先はただの草原だ。
「ここ、どこさ…」
いったい何があったのだろう。気を失ったのも訳がわからないのに、目覚めると全く知らない場所にいる。
もしかして誘拐…?
自分達は誰かに連れ去られたのだろうか。そして自分は置き去りに去れて手塚が人質になっているとか。
ぐるぐると嫌な想像ばかりがわいてきて胸が潰れそうになる。ぶんぶんと不二は頭を振った。理屈にあわない。馬鹿な考えだ。でも…
ごそり、とポケットの中身に手がふれた。
「あ、」
携帯をジャージの内ポケットに入れていたのだ。そういえば、宿から借りてきた本の裏表紙に、住所と電話番号のスタンプが押してあった。
連絡がとれる。
不二は本を膝にのせて、番号をおした。
「…え?」
再ダイヤルしてみる。
「…何…?」
携帯はうんともすんともいわなかった。圏外、とかではない。アナウンスも何も聞こえないのだ。不二は登録してある番号にかけてみる。結果は同じだった。どこへかけてもつながらないどころか全く携帯から音がしない。
こ…壊れたんだろうか…
ちゃんと電源ははいっているのに。バッテリー残量だってフルだ。
「ちょっとこれ〜っ。」
この非常時に呑気な台詞だが、不二にとっては大問題だ。中学卒業の時に手塚と買い物にいってさりげなくおそろいにした思い出の携帯、しかも大事な情報が全部入っている。
ためしに不二は他の機能をさわってみた。時計は午前十時、日付けは三月二十九日、間違いない。アドレス帳も予定表も無事だ。他の機能にも異常はなかった。つまり、電話をかけることだけができないのだ。
不二は途方に暮れた。手塚がいない、電話はかけられない、辺りに人家もみあたらない。
「あ、そうだ、地図、この本に地図がのってたはず。それ見ればここがどこか…」
電話番号をみるために膝にのせていた本を不二は本をめくった。
「鎌倉時代の衣服と住居、じゃなくて地図地図…あった、周辺地図、鎌倉時代初期…」
がくーっ、と不二は肩を落とす。
そうだった、この本は「郷土の歴史と文化」だった…
「現在の地形との比較図くらいのせてよ…」
ったく、教育委員会、ツメが甘いよ、役立たず、と見当違いな八つ当たりをつぶやく。もし現在の地図が載っていたとしても、不二に現在位置が把握できていない以上何の役にもたたないのだが、なかばパニックをおこしている不二はそのことに気付いていない。しかたなく、しかし多少の希望を持って不二は鎌倉時代の地図をながめた。
「この周辺の地形はほとんどかわっていません。海神を祭っていた榎本一族は館の近くに祠を建て…あ、海神の祠ってあのボロ祠のこと?」
海神が聞けば祟りそうな暴言を吐きながら不二は顔をあげた。不二の目の前にも祠があった。しかしそれは留め金の細工も見事な、白木造りのなかなかに立派なもので、小刀を拾った楠の根元の祠とは比べ物にならない。やはり全く違う場所に自分は連れてこられたらしい。
不二は居ても立ってもいられなくなった。とにかく誰か通行人でも何でもつかまえるか、人家でも見つけて警察に連絡してもらうしかない。自分達に何が起こったのか、姿の見えない手塚のことも心配だ。
不二は立ち上がると祠の正面まで歩いた。祠が立派で手入れされているということは、誰かがそこへマメに通っているということだ。その証拠に草むらに細く道らしき筋がついている。祠へお参りにくるための小道だろうと見当をつけそれをたどろうとした、その時、ドドッドドッっと地面が鳴った。何事かと音のするほうに顔を上げた不二はそのままあんぐりと口を開けて固まった。
やってきたのは若い男だった。正確には若い男が馬を駆ってやってきた。
しかも御丁寧に時代劇ばりの衣装を身につけている。くすんだ緑地に黒紋様の直垂と袴をはき、頭には折烏帽子だ。腰に太刀まではいている。年の頃は不二と同じか少し上のようだが、眼光が異様に鋭い。
不二の前までくると馬を止め、じっと見下ろしてきた。呆気にとられていた不二だったが、ようやく我に帰った。何かの撮影か祭りの衣装なのだろう、とにかく人に会えた。宿に連絡が入れられる。ほっとした不二は馬上の若者に話しかけた。
「すみません。ちょっと電話お借りしたいんですけど、近くに民家とかありませんか。」
若者は答えない。じっと不二を見つめている。その視線にいたたまれない気分になったが、不二はもう一度繰り返す。
「えっと、ちょっと道に迷っちゃって、ここ、どこですか。あの、警察とか交番とかあれば助かるんですけど。友達がみあたらなくて…」
若者が口を開いて何か言った。
うわ、何これ、すごい訛り…
日本語なのだろうが、まったく意味がわからない。もう一度若者が口を開いた。やはり聞き取れない。なんだか「ぐぁ」とか「にぁ」とか「ん」だとかがやたらと耳障りな訛りだ。
「え…えーと、あの〜、」
あわあわと不二が焦っていると、若者は馬から降りて近付いてきた。
ぎゃ〜っ、怒らせたかな、東京モンが〜っとかいって因縁つけられたらどうしようっ。
若者は青くなっている不二の手を指差し何やら言っている。
「え?こ…これ?これのこと?」
不二は小刀を握ったままだったことを思い出した。確かに、小刀とはいえ抜き身のまま持ち歩いていたら思いっきり怪しい。
「あ、これは祠に返そうと思っていだだけなんだ。落としたら鞘が抜けてしまって…」
状況を説明しようとした不二は思わず若者の顔をうかがった。これだけ訛っているのだ。まさかとは思うけど…
「その、僕の言ってること、わかります…?」
小首をかしげて上目遣いでおずおずと尋ねる。若者の目が和らぎ、口元にふっと笑みが浮かんだ。
え、これって…
不二はマジマジと若者の顔を見た。若者もじっと不二を見返す。端正な面ざしに意志の強そうな切れ長の目、折烏帽子にまとめられているが、少しくせのある漆黒の髪の毛…
「手ッ手塚ーっ。」
不二は思わず叫んでいた。それはまさしく手塚国光だった。
「手塚、眼鏡してないからわかんなかったじゃない。しかもその格好、何、どうしたの。何やってんの手塚。」
不二は手塚の腕を掴んで揺さぶった。とうの手塚は驚いたように目を見開いている。
「もう、からかわないでよ。心配したんだからね。いったい何がどうしたのかちゃんと説明してよ。だいたい、僕一人置いてきぼりってひどいじゃない。」
ほっとするやらハラがたつやらで不二が捲し立てていると、突然手塚がハッと周りを見回した。不二もつられて辺りを見る。草むらから数人の男達が現れた。それを見た不二は、またあんぐりと口を開けた。
なっなんで鎧着てんのっ。
しかも汚い。大河ドラマの野盗だってもう少しマシな格好をしている。男達は下卑た笑いを浮かべると、不二を指差して何やらわめいた。
げっ、僕を見てる。しかも…
「く…臭い…」
三メートル程離れているにもかかわらず、男達が動くと体臭が漂ってくる。
これってお風呂に入ってない臭いだよ…
不二がたまらず鼻を押さえていると手塚が何やら大声で呼ばわった。そして不二を背に庇うように立つ。不二はすっかり混乱した。
「ね…ねぇ、手塚、いったい何なの?君、この人達知ってるの?って、君も結構汗臭いんだけど…」
間の抜けたことを口走っていると男達が刀を抜いた。手塚もすらりと抜刀する。
「手ッ手塚っ。」
悲鳴のように名を呼ぶ。ちらと手塚は不二を見て、祠の影に隠れろというように顎をしゃくった。それと同時に男達が切り掛かってくる。手塚の太刀が男の首をなぎはらった。
えっ
不二は息を飲んだ。
斬…斬れてる…
本当に男は斬られていた。首から鮮血が噴き出し、不二の足下に目を剥いた男の首が転がる。映画の特撮でもマジックショーでもない、人が本当に死んだのだ。そして、殺したのは手塚国光、不二の好きな同級生。
驚愕のあまり、不二は声もでなかった。がたがたと震えながら目の前で起こっていることをただ眺める。二人目の男が鎧の隙間に刃を突き立てられて悶絶していた。手塚が鮮やかな手並みで太刀を引き抜き、怯んだ三人目の男の太ももを切り落とす。悲鳴と怒号、血煙があがる。
これは夢、悪い夢だ。不二は恐怖で金縛りにあったように突っ立っていた。足下に転がっているのは本当の死体、地面にシミをつくっているのは本物の血、そして殺したのは手塚、もうワケがわからない。がくがくと膝が震える。
手塚が四人目を切り伏せた時、最後の男が不二のほうへ向きを変えた。男の歪んだ顔が眼前にせまる。蒼白になったまま不二は動くことができない。男が刀を振り上げた。
殺される。
ひっと不二が息をつめるのと、男が断末魔の絶叫をあげるのは同時だった。背を割られた男が崩れ折れる。血しぶきの向こうにすさまじい殺気をまとった手塚が立っていた。
むせるような血臭、血塗れの太刀を振る手塚、足下の血溜り。不二はそのまま気を失った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
うお〜っと、スプラッタ物?ちゃいますって。だから、これは切ない恋物語になる予定でだなぁ。いや、ホントにラブストーリーなの、信じて…