言葉の謎が解けても悩みが解決したわけではない。不二の真意はどうあれ、チョコを渡されたのは事実なのだ。家に帰った手塚は制服も脱がずぼんやり机の前に座っていた。


手塚、これ、あげるね…


不二の声がぐるぐる頭のなかをまわる。引き出しの中には、もらったチョコの包み紙が不二の写真と一緒に入れてあった。緑と青の包み紙、自分の好きな色を選んでくれたのだと思うのは都合がよすぎるだろうか。


いや、いや、自惚れてはいかんっ。


手塚は慌てて己を戒めた。この恋に望みなど持っていないはずなのに、バレンタインデー以来どうもいけない。無意識に期待している自分がいる。諦めきれない自分が顔を出す。そのうえ…


まったく図々しい男だ。剣道部の部長かなんか知らないが、馴れ馴れしいにもほどがある。


階段口で言葉を交わす二人を思い出し、手塚は顔をしかめた。自分を見て口元に浮かんだ意味ありげな笑み。むかむかと腹が立ってきた。


不二も不二だ。あんな奴に笑ってやることはないのに。


矛盾していることくらいわかっている。告げるつもりのない恋。不二を失いたくないがゆえに想いを押し殺す。だのに、不二が他の誰かに心を寄せるなど耐えられない。不二の心を独占したい。不二はおれのものだと叫びたい。


あの男は言ったのだ。不二に好きだと…


堂々と不二に想いを告げた男、一度断られても、諦めずに不二へ向かう男、自分にはとてもできない。松平玄九郎が不二に笑いかける姿を見る度に、手塚は己の弱さを思い知らされる。


情けないな…


手塚は自嘲した。所詮、自分は好きだと告げることすらできない憶病者なのだ。
手塚は椅子に掛けたまま、天井を仰いだ。小さく声に出してみる。


「好きだ…不二…」


手塚は目を閉じた。せめて、心に描く不二にくらいは気持ちを告げてもいいだろう。


「不二…お前が好きなんだ…」


胸の奥がちぎれそうだった。







どこへいってもホワイトデーと書かれたデコレーションが目につく。様々なキャラクターや色とりどりの飾り紙でラッピングされたお菓子や小物の棚が通る道筋すべてにでんと張り出していた。
大石にホワイトデーのいわれを聞かされてから、手塚の目はどうしてもその手の棚にいってしまう。いかにも女の子達が喜びそうな、華やかでキラキラした包み紙やリボン達…


……渡せん。


フリルやリボンのついた小物を渡す自分の姿など、想像もできなかった。


だいたい買えるか。こんなチャラチャラしたもの。


「何?手塚、それ、買うの?」

ぎょっとする手塚の目の前に乾のニヤニヤ顔があった。

「なんの事だ。」

努めて冷静な声をだすが、乾の目線の先を追って手塚は再び固まった。つやのある白い飾り紙にフリルのようなリボンのついた小物を何時の間にか自分は手にとっている。

「いや…」

暇だったから触っただけとでも何とでも言えばいいのだ。なのに、それっきり言葉が出なかった。ぐっと手塚が詰まっていると、乾がまた意味ありげに笑う。

「ふ〜ん、本命事件があったから君は誰からも受け取ってないと思ってたんだけど、違ったんだ。」

今度こそ、手塚は動揺を露にした。目を見開いたまま乾を凝視する。乾が眼鏡をひょいと押し上げた時、菊丸の声が響いた。

「おまた〜っ。じゃ、行くきゃ〜っ。」

部活帰りに小腹の空いたいつものメンツでバ−ガ−屋に向かう途中だったのだが、菊丸が妹達にバレンタインチョコのお礼を買うというので表で待っていたのだ。

「お、じゃ、行くか。」

何事もなかったように乾は皆に続いて歩き出す。手塚も歩きながら、そっと不二をうかがい見た。不二は菊丸とじゃれあいながら前を歩く。ホワイトデーには何の興味もないようだった。不二の様子をみると、手塚はますます落ち込んでくる。やはり、あのチョコレートには何の意味もなく、余ったから渡されただけなのだ。


いや、不二から好きだといわれたわけでもなし、なにをおれは…


手塚は堂々回りの思考の淵に沈んでいた。





最近の手塚はいつも顔をしかめている。
地面を睨み付けるようにして歩く手塚をチラと目の端にとらえ、不二は小さくため息をついた。原因はわかっていた。自分がバレンタインデーにチョコをあげたせいだ。手塚に好きな女の子がいると勘違いしたせいで、かなり煮詰まっていた。思わず渡してしまったバレンタインチョコレート。


やっぱり迷惑だよね…


手塚が眉間に皺を寄せているのを見る度に不二は辛くなる。


手塚、これ、あげるね…


好きともなんとも言わずに渡したチョコだった。しかし、あの様子では手塚は不二の気持ちに気付いたのだろう。手塚の好きな色で丁寧にラッピングした手作りチョコ、好きだと告げるも同然だった。渡したことに後悔はない。気持ちを知られたことですっきりした部分もある。しかし、しかめ面をみるのはやはりきつい。


そりゃ、友達と思っていたのに好きって言われたら困るのわかるけどね。


手塚の難しい顔を見る度に不二は泣きたくなってくる。さっきもホワイトデーの棚を見て顔を曇らせていた。菊丸が大騒ぎをしてくれて本当に助かった。でなければ平気な顔を保っていられたかどうか自信がない。ふと、不二は松平玄九郎の笑顔を思い出した。あの人は強い。いつでも真直ぐな好意を向けてくる。不二が玄九郎を受け入れない限り、行き場のない恋は辛いだけなのに。玄九郎の強さを感じる度に、不二は自分を励ますことができる。あの笑みに救われている自分がいる。


勝手だよね、僕は…


それでも手塚が好きなのだ。受け入れられることはなくても、この気持ちは真実だ。菊丸とじゃれあいながら不二は早春の空を見上げた。淡い青が目に沁みた。







明日はいよいよホワイトデーだ。考えまいとしても一度意識してしまったものはダメだった。腹の立つことに、今日もあの図々しい剣道部部長は不二にちょっかいをかけていた。


君がホワイトデーを意識してくれたら嬉しいんだがな。
だめですよ。だってチョコ、僕、断ったでしょ。
手強いねぇ、不二君。


聞くつもりはなかったが、二人の会話が耳に入った。近くに居た大石がやけにうろたえていたが、手塚はそのまま用事があるからといって皆と別れた。

だいたい、いくら部活の終わる時間が同じくらいだからといって、校門でかち合うか。

ムカムカしながら、手塚は帰り道のスポ−ツ用品店に入った。リストバンドを買うつもりだった。なじんだメーカーのリストバンドをみつくろう。その中に白にベージュでロゴが刺繍されたものがあった。手塚はぼんやりそれを手に取る。

不二に似合いそうだな…

コートにたつ不二はとても優美だ。流れるような動きで鋭いボールを繰り出してくる。相手がぶつけてくるギラついた闘志をいつの間にか飲み込み、コートを自分の色に染めあげる。そして時折垣間見せるあの切り裂くような眼差し。恐ろしいほど綺麗な不二、その不二のラケットを持つ右手が自分のえらんだリストバンドで守られていたら…

ごくっと手塚は喉を鳴らした。それはなんと甘美な光景だろう。不二の手首を想いで包む。大事な人の体を…

気が付くと手塚は刺繍の色だけが違うお揃いのリストバンドを握ってレジの前にたっていた。

「別々にお包みしますか?」
「…お願いします。」

手塚は自分の行動に目眩を覚えた。だが、なんだか不思議とふわふわして気分がよかった。






浮き浮きしたのはほんの短い間で、ホワイトデーの当日、手塚は途方に暮れていた。

どの面さげてこれを渡せる。

スポ−ツ用品店の包み紙を改めて見つめた。まったくらしからぬことをした。ロゴが色違いのお揃いのリストバンドを買うなど、そこらの女の子達がやりそうなことだ。それをまさか自分がしてしまうとは。

おれはバカか…

しかし、買ってしまったのだ。買ってしまったからには渡すしかあるまい。

そうだ、人からなにか貰ったら、ちゃんとお返しをするものだ。お返しすべきなのだ。

「これはお返しだ…」

手塚は誰に言うともなく呟くと、リストバンドを鞄に入れた。もう、深く考え込むのは放棄していた。チョコにどういう意味があったのかはわからない。だが、手塚は不二が好きなのだ。告げて困らせたりはしない。だからひっそりとその手首に想いを添わせることくらいは許して欲しい。

手塚国光、案外純情で一途だったが、自覚は全くしていなかった。







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がんばれ手塚、ファイトだ手塚、渡さないと玄九郎に不二をかっさらわれるぞ。松平玄九郎、この名前、某時代劇の主人公のもじりです。一文字かえるとね、わかる方は友だ、仲間だ。じっくり時代劇についてお話を…(特撮といい時代劇といい、わかってるんです、趣味が偏ってるってことくらい…)