「…海が光ってる…」
不二周助は陶然と眼前の光景を眺めた。
「お前にこれを見せたかった。」
手塚国光が不二の傍らに立つ。二人は夜の浜辺に立っていた。海風が肌に心地よく、汗が引いていく。どこかで、パンパンと花火の音がした。夏の宵、暑気払いに浜辺で遊ぶ人々だろう。だが、二人が立つ浜辺は暗く、あたりに人影はない。すっぽりと闇に包まれている。ただ、不思議なのは目の前の海だ。真っ暗なはずの夜の海が、青白くぼうっと光っている。
「…手塚…」
不二は小さく名前を呼んだ。手塚の手がそっと肩に置かれる。
「神秘的で美しい…」
耳元に手塚は囁いた。
「お前のようだとおれは思った…」
ざざぁ、と波の音がする。暗い夜空に月はなく、ただ銀の砂をまいたように星々が輝いていた。
「手塚…」
不二が手塚をみあげ、ふわりと微笑んだ。手塚もじっと不二をみつめる。海は、波が揺れるにつれ、青白い光も揺れた。
「光が…」
不二が吐息のように囁く。
「光が打ち寄せて来るみたい…」
「あぁ…」
手塚は不二の唇を指でたどった。
「お前のように…」
唇を寄せる。
「綺麗だ…」
吐息がからむ。不二がうっとりと目を閉じた。
「…手塚…」
「おぉ、お前達も見物か。」
溌剌とした声が降ってきた。
「さっ真田っ。」
慌てて体を離した二人の前に、立海大付属の真田が白い歯を見せて笑っている。手塚が不機嫌そうに眉を顰めた。
「何か用か。」
「いや、この暑さだし、せっかく全日本の合宿だからな、皆で親睦をはかろうと夜の散歩だ。」
「こういうメンバーが一同に集うのも貴重ですからね。」
真田の後ろからすいっと前に出たのは聖ルドルフの観月だ。その後ろにもそれぞれ選抜された面々が揃っている。皆、のんびりと談笑していた。そう、手塚と不二は、選抜メンバーの合宿にきていたのだ。
「それにしてもひどいもんだな。」
跡部が髪をかきあげながら、海を見やった。
「まったくです。これももとをただせば人類による自然破壊の結果ですからね。胸が痛みますよ。」
観月が大仰に腕をひろげる。
「そう思いませんか、不二周助。」
「…なんのこと?」
不二は訝しげに首を傾げた。観月がこれまた大げさに眉をあげる。
「赤潮ですよ、ほら、青白く光っているじゃありませんか。」
跡部が腕組みして頷いた。
「あの青白い光はプランクトンらしいな。」
「あぁ、夕方のニュースでやっていた。」
真田が相づちを打つ。
「…赤潮…」
不二の呟きに観月が嬉しそうにのってきた。
「かなり被害が大きいそうですよ。こうしてみると、なんとも忌々しい光ですね、あの青白い光は。」
「………」
脳天気に首をふる観月の横で、不二の目がゆっくりと開いた。全身からただならぬオーラが立ち昇る。
「手塚。」
にっこり手塚を見上げる。だが、もちろん目は笑っていない。
「君にとって僕は赤潮なんだ。」
「えっ、いやっ、ふっ不二っ。」
突然かわった雲行きに手塚は焦った。不二がすぅっと切れ長の目を細める。
「ふ〜ん、そうなんだ、僕って赤潮。」
「あっ、そのっ、ちっちが…」
「赤潮、そう…」
「ふふふ不二っ。」
手塚はもともと口数の少ない男だ。不二を宥めなければと焦れば焦るほど言葉が出ない。不二は蒼白になった恋人の胸を指でトン、とついた。
「悪かったね、被害甚大で。」
そして、つん、とそっぽを向くと他のメンバーに向かって優しく微笑んだ。
「じゃあ、僕、先に宿舎に帰るから。」
「待ってくださいよ、不二周助、僕もご一緒しましょう。」
「いいよ、一緒にいこうか、観月君。」
よりによって観月に笑いかけるのかっ。
ショックを受けた手塚が不二を引き留めようと手を伸ばしたその時、くるりと不二が振り向いた。
「じゃあね、手塚君、赤潮見物、ごゆっくり。」
にこりともせず言い放つ。手塚はそのまま固まった。遠ざかる不二の背中を呆然と見つめるばかりだ。跡部が手塚の顔をのぞき込んだ。
「どうした。汗びっしょりだぞ、手塚。」
真田がむぅっと唸った。
「夏風邪か?たるんどるぞ、手塚国光。」
だが、手塚の耳にはなにも聞こえていなかった。耳に響くのは恋人の冷たい怒りに満ちた声ばかり。
じゃあね、手塚君、赤潮見物、ごゆっくり。
ぐるぐるとその言葉だけが頭を巡る。
手塚君、ごゆっくり…
「ふっ不二っ。」
はじかれたように手塚は駆けだした。
「不二っ。」
全力で走っていく手塚を眺めながら、跡部はふっと笑みを漏らした。
「相変わらず熱い男だ、手塚国光。」
「…夏風邪で熱でもあるのか?」
跡部は真田を横目でチラとみると、嫌そうに視線をそらす。
「お前、テニスは出来る男なんだがなぁ…」
「?」
手塚を見送る二人の背後では、打ち寄せる波とともに赤潮が青白く光を放っていた。
☆☆☆☆☆
ペーパーに載せた話にちょっと手をくわえました。ごめん、バカで…