手塚は体を強ばらせ不二を凝視した。
姿形は不二周助だ。しかし、目の色が違う。不二の目ではない、いや、纏う空気が生きた人間のものとは思えなかった。
「手塚…?」
手塚の動きがとまったのを不審に思ったのか、不二が半身を起こした。艶やかな唇が吐息をこぼす。
「手塚…来てよ…」
手を伸ばしてくる。
「ねぇ、手塚…」
手塚は咄嗟に体を引いた。だが、膝立ちのまま動けない。不二はかまわず手塚の頬に触れてきた。
「手塚…」
そのまま耳もとに唇を寄せる。
「手塚…好きだよ…」
ゆっくりと首筋にくちづけてくる。
「好きだよ…君が…」
きつい梅の香りが手塚を包む。目の前が白く霞んだ。不二の白い肌、赤い唇…まるで咲き乱れる梅の花のよう…ぐらりと手塚の視界が揺れた。梅の香りに溺れていくようだ。
「手塚が好き…」
不二の瞳が妖しくきらめいた。
その時、手塚の脳裏に不二の笑顔がふいに浮かんだ。花が綻ぶように、光がこぼれるように笑う不二、少し拗ねたように、甘えたように自分を呼ぶ声、「ね、手塚。」
手塚は渾身の力をこめて不二を引き剥がした。
「お前は誰だ。」
目に力をこめて睨み付ける。
「お前は不二じゃない。誰だ、お前は。」
不二が妖艶に笑った。手塚の背にぞくりと悪寒が走る。不二はゆっくりと口を開いた。
「不二だよ、手塚。」
切れ長の目がうっとりと細められる。
「君を愛してあげられる不二周助だよ。」
その目は夢の女のものだった。
手塚は別に幽霊だのお化けだのを信じているわけではない。その手の話に興味も持たなかった。 超常現象があろうがなかろうが、生活に関わってくるわけでなし、あれこれ考えるのは時間の無駄だ、と思っている。
妖かしの類いがいると主張する者にはそれは存在するのだろうし、いないと主張する者には存在しないのだろう。つまり、どうだっていいことだった。
しかし、目の前で笑う不二が、不二ではないということだけは確かだ。手塚の本能がそう告げている。そして、手塚は自分の感覚を信じていた。
不二はしなやかな手で髪をかきあげた。
「ねぇ、君を愛してあげる…」
だからおいでよ…不二の囁き声が頭の芯をドロドロに溶かして身の内に入り込んでくる。引きずられそうな己を手塚はぐっと腹に力をこめて耐えた。
「…不二を返せ。」
唸るように声を絞り出す手塚に不二がうっとりと囁き返す。
「不二だよ…僕は…」
「不二を…」
「そう、不二だよ…手塚…」
「不二を返せっ。」
手塚は怒鳴った。その激しさに不二は驚いたように目を見開いていたが、すぐにくすくす笑い出す。
「この子が好きかえ?」
赤い唇が吊り上がる。
「この子がお好きなのだえ?」
目を細めて不二が笑う。手塚は瞠目した。
「お前…」
くすくす笑う不二の顔がぶれる。そしてその顔に女の顔が重なった。真っ白い女の顔が手塚に微笑む。
「ならばお抱きゃれ。そうさね、あんたさんが今、お抱きなすったら…」
不二と女の顔がゆらゆらと揺れては交互にあらわれる。
「この子は永遠にあんたさんのもの…」
手塚の体に雷に打たれたような衝撃が走った。
不二がおれのものに…
女は婉然とした笑みを浮かべる。
「そう、あんたさんだけのものになる。」
女の顔が不二に変わった。白い指先が手塚の頬を撫でる。手塚の喉がごくりと鳴った。
「手塚だけを愛してあげるよ…」
とてつもない誘惑だった。想い続けてきた不二を自分のものにできる、諦めてきた恋を叶えられる.
不二を自分だけのものに…
「手塚…」
甘い声。
「手塚…おいでよ…」
僕の中に…
手塚の体がふらっと傾いだ。不二の肌に手が伸びる。喉がからからだ。
「手塚…」
甘い吐息、甘い香り、からみつくような梅の香り、目眩がする。甘く濃い梅の…
手塚は固く目を閉じた。
おれは不二を…
手塚はテニスコートに立つ不二を思い浮かべた。凛として気高く、光に満ちた姿。
そう、光りだ。自分にとっての不二は眩い光だ。
ぎりっと手塚は唇を噛んだ。血が滲んで、鉄錆びの味が口に広がる。
光は不二の心、魂の姿、その光を失ってまで手に入れて何になる。
手塚は目を開け、不二を見つめた。そして強くきっぱり言い放つ。
「おれが好きなのは不二周助自身だ。体だけ不二でも意味がない。」
不二が目を見開く。だが、すぐに口元をつり上げて笑った。美しいが、やはり不二の顔ではない、不二はこういう笑いかたをしない、手塚は今度こそ迷いなく不二を見る事が出来た。
おれは不二を取り戻す。
手塚は瞳の奥を覗き込んだ。体の奥底にいる不二に語りかける。
「戻って来い、不二。」
女は驚いて目を見開いていたが、その目に嘲りの色を浮かべた。
「無駄な事を。」
「不二、そこにいるんだろう。」
手塚は女を無視してひたすら呼び掛ける。
「不二、おれの声を聞け。不二、戻ってこい。」
「聞こえやしませんよ。この子はあたしを受け入れたんだ。今度はあんたさんがあたし達を受け入れればいい。」
「不二、戻ってこい、戻って来るんだ。」
女の声に苛つきがまじった。
「何をお迷いなすってるんですか。この子が欲しいんでござんしょ?簡単なことさね。」
「不二、戻ってくるんだ。」
「勘違いしないでおくんなさいよ。この子がいなくなるわけじゃなし、この子とあたしが一緒になるだけでござんしょう。そしてあんたさんを愛してあげると…」
手塚にはもう女の誘いは何の意味も持たなかった。手塚は祈るように強く語りかける。
「不二、不二、戻ってこい。」
「戻って来たらあんたさん、拒まれますのに。」
「不二、戻るんだ。」
女が顔を歪めた。
「不二、戻れ不二っ。負けるんじゃないっ。」
手塚は必死で呼び掛ける。
「あたしを追い出すんですか。」
「不二は不二自身のものだ。お前なぞが触れるなっ。」
「あたしを追い出すと、あたしを追い出してこの子を失うと、そう言いなさるんですね。」
手塚は苦しげに目を閉じた。
「この先、もう手に入れられないんですよ、それでもいいと…」
「かまわん、不二が不二であってくれれば、おれはそれでいい。」
手塚はきっぱり言い切ると、目を開けた。その瞳の奥には静かな炎が燃えている。手塚は不二を抱きしめた。
「戻って来てくれ、お前の心は誰かに取られる程柔じゃないだろう。拒んでもいい、おれを嫌ってもかまわない。お前はお前自身でいてくれ。」
不二…
こうして触れられるのは最期だと、手塚は想いをこめて不二の体を抱きしめる。不二の体がぴくっと揺れた。
「て…づか…」
絞り出すような声、はっと手塚は不二の顔を見た。不二は辛そうに眉を寄せている。
「手塚…」
「不二か?」
肩をつかんで目を覗き込むと、眉を寄せたまま不二も見返してきた。
「不二。」
不二は何かに耐えるようにぐっと歯を食いしばる。突然、白梅の花びらが二人の周りで渦を巻いた。梅の香りがからみつく。不二が苦しそうに呻いた。手塚は不二をかきいだき、我を忘れて叫んだ。
「不二、好きだ不二、おれは不二が好きだっ。」
ざっと一陣の風が吹き、花びらが散らされた。一瞬、花びらの中に白い着物の女が見えた。綺麗な、しかしひどく悲しそうな顔をしていた。
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純愛一直線、手塚国光、ここにありってな。さ〜って、次は甘〜くラブラブしてみましょ〜かぁ〜っ。(ここは表だ。…な期待はなしだってばよ)