翌日はこの町の別な高校との交流会に参加させられ、ついでに地区親睦球技大会にまでかり出されて、さすがに青学生徒会の面々もぐったり疲れた。

体よりも心が疲れた。企画実行委員会である教育委員達の求める明るく健全な高校生でいるのも骨が折れる。教育熱心なよき指導者でなければならなかった担当教諭も心なしか疲労の色が濃い。二時には解散を言い渡され、生徒達は自由行動となった。

手塚は、部活に参加する、という約束どおり、三上と一緒にテニスコ−トへ向かった。正直、何も考えずにボールを打ちたかった。ボールを追っている間だけは、不二のことで悶々と悩まずにすむ。

今日も不二と話す機会がなかった。朝から写真クラブのメンバーにがっちり周りを固められ、声をかけるどころではない。写真クラブの連中は、不二を生徒会に近付けまい、とでもするかのように、朝食もそこそこに不二を引っ張っていってしまった。思い出すだけで、手塚の胸に黒々とした感情が渦巻きはじめる。隣で三上が部活についてあれこれしゃべるのに生返事をしながら、手塚は夕べの不二を思い出していた。結局不二に手を引かれて宿まで帰ったのだ。


手を繋ぐ…


中学の時から一緒にいるが、そんなことは今までしたことがない。不二の手は白くて華奢にみえて、それでもラケットを握る部分は皮膚が固く、しっかりと鍛えられた筋肉の張りがあった。


おれは不二と手を繋いだのか…


じんわりと不二の手の温もりが蘇ってくる。今さらながら、手塚はそのことにどぎまぎした。

二人、手を繋いで宿へ帰ったのだが、ロビーではあっさりおやすみを言われ、不二は部屋へ戻ってしまった。別に何かを期待していたわけではないが、手塚はひどく落胆した。


繋いだ手はまだ熱をもっているというのに…


手塚はまた胸が苦しくなってくる。振払うように額に手を当てた時、三上の声が飛び込んできた。

「やっぱりマズかったかな、手塚さん。」

話を聞いていなかった。ぎくっと顔をあげた手塚に、三上は困ったように笑った。

「ほら、夕べ、ロビーでおれが不二さんに、部活に参加してくれないかって頼んでたでしょう?不二さん、撮影会が引けたら覗きに来てくれるって約束してくれたんですけど、やっぱ余計な事でしたね。」

どうやら三上は、手塚が黙って不二を連れ出したのを気にしているらしい。手塚は困惑した。

「おれのほうこそ、すまなかった。その…」

まさか『不二がお前に笑ったから嫉妬しました』とは言えず、手塚がきまり悪そうに言葉を探していると、三上がうんうんと力強く頷いた。

「手塚さんも大変ですよ。あんなふうに写真クラブですっけ、露骨に不二さん、ガードしはじめたら、揉める前に何とかしきゃって思いますからね。いや、おれらが悪かったんです。不二さん引っ張ってきちゃって勝手に盛り上がったし、女子連中が妙な騒ぎ方したから。」

手塚は内心、胸をなでおろした。三上は、夕べ手塚が不二を連れ出したのは写真クラブと生徒会のもめ事を避けるためだ、と思い込んでいる。今はその勘違いがありがたかった。

「あ、ところで、手塚さん、うちの顧問が舞い上がっちまって、レギュラ−全員との練習試合、勝手に組んじゃって、あの、1セットマッチだし、うち、弱いからなんですけど、いいですか…?」

事後承諾で申し訳ないです、と恐縮する三上に、手塚は苦笑した。

「いや、気遣ってもらってかえって申し訳ない。」

三上が嬉しそうに破顔し、手塚はなんとなくそれに救われ、いつしか気分が軽くなっていた。




☆☆☆☆☆☆




コ−ト脇には人だかりが出来ていた。部活ついでの練習試合が、刺激の少ない田舎町のどうやら一大イベントの様を呈してきている。青学生徒会のメンバー達も見物に来ていた。自由時間といっても遊ぶ場所があるわけでなし、テニスコ−ト脇での見物を決め込むことにしたようだ。もっとも、女子連中は応援する気満々で、相変わらず学校同士、火花を散らしている。

コートにはすでに練習試合相手のテニス部レギュラ−陣が控えていた。準備は万端らしい。だが、皆ガチガチに緊張していた。無理もない。あの『手塚国光』と試合ができるのだ。テニスをやっているものには、高校1年生にしてプロへの道を歩み始めている手塚は雲の上の人である。コートは異様な緊張と昂揚した雰囲気に包まれていた。

三上とともに手塚があらわれると、ざわめいていたコートがしん、となった。当然のことだが、手塚はラケットはもちろん、テニスウェアも持ってきていない。ラケットは顧問のものを借りる事にし、テニスウェアのほうはサイズがあわず、辞退するしかなかった。三上がまたさかんに恐縮する。手塚は気にするなと手を振り、学生服の上着を脱いだ。シャツと黒い学生ズボンのままラケットのガットの張り具合を確かめてコートに入る。その存在感にあちこちからため息が洩れた。


練習試合といっても、手塚にとっては軽く流す程度のものだった。それでも手塚は楽しかった。やはりボールを追うのはいい。あまりに下手くそで、たまにボールがおもわぬイレギュラーをするのがまた手塚を楽しませた。

1球打つごとに女生徒が黄色い声を上げていたが、手塚の耳には入っていなかった。ひととおり練習試合が終わる頃、突然、澄んだ声がコートに響いた。

「手塚ーっ。」

はっと見上げると、梅林のほうで不二が手を振っている。

「手塚、調子どうー?」
「不二さんっ。」

三上が笑顔全開で不二のほうへ駆け寄っていった。

「あ、三上さん、昨日はありがと。お言葉に甘えてきました。」

にこにこ不二が笑うと三上は真っ赤になった。

「不二さん、手塚さんと少し打ちませんか。おれらじゃレベル違いすぎて。」

くすっと不二は肩をすくめて周りにいる写真クラブ員達に何か言うと、下に降りてくる。じろっと睨み付けてくる写真クラブを三上はあえて無視した。

「手塚はね、ボールさえ打てればいいんだから、気にしなくていいよ。」

くすくす笑いながら不二は手塚の側に歩み寄る。

「ね、そうでしょ、手塚。」

上目遣いに微笑まれ、手塚は少し慌てた。何か、いつも以上に色っぽいのは気のせいか。その時、ふっと強く梅の香りがした。

「…?」

手塚は思わず不二を見つめた。不二が怪訝な顔をする。

「手塚?」
「いや、今、梅の匂いが…」

梅林から漂ってきたにしては香りが強すぎる。

「お前、梅の花でも持って来たのか?」
「まさか。」
「梅の匂い?」

三上が訝しげに首をひねった。

「おれには何も。」

ふっと香りが消えた。


気のせいか…?


手塚は軽く頭を振った。そして不二に向き直る。

「それより不二、ちょっと打つか?」

返事のかわりに不二がにこりとする。三上が自分のラケットを差し出した。

「おれので申し訳ないです。」
「すまないね。」

不二に微笑まれて三上はまた赤くなる。手塚の胸がずきっと痛んだ。

「手塚、今日はどういうのにする?」

不二がグリップを何度か握り直しながら聞いてきた。

「服がこれだからな。あまり汗をかくのもなんだろう。」

レギュラ−八人と練習試合をしたあとだというのに、手塚は汗一つかいていない。今さらながら、三上達テニス部員は『手塚国光』に驚嘆する。

う〜ん、そうだね〜、と小首をかしげて何か考えていた不二が手塚に耳打ちするよう伸び上がった。

「もうちょっと、君のすごさ、見せつけたいんだけど。」

ふっと鼻腔をかすめる梅の香り、手塚がはっと目を見開く。不二の顔が近くにあった。妖艶な笑みを口元に浮かべている。触れる程頬を近付けた不二は吐息とともに手塚に囁いた。

「青学の手塚国光がどんなにすごい男か、僕がみせつけたいんだ。」
「…ふ…不二?」

いつにない不二の態度に手塚は戸惑った。すっと離れた不二はもうコートに向かっている。くるっと振り向くと、さっきの妖婉さなど微塵も感じさせない笑顔であっけらかんと言った。

「手塚ーっ、テクニック使いまくりでラリ−、続けない?」
「あ…ああ、それでいい。」

我に帰った手塚もコートに入った。ちらっと周りをうかがうと、手塚とのやりとりを目の当たりにした三上達テニス部員が顔を赤くしてぼうっと不二をみている。彼らが不二の色香にやられたのは一目瞭然だった。

手塚はむっとなった。油断も隙もない。片恋の相手は魅力的で、ライバルは増える一方だ。不二の無自覚さが恨めしかった。

しかし…

手塚は妙な違和感を感じる。不二は確かに魅力的でたまにとんでもない色艶をかもしだすが、さっきの不二はどこかおかしかった。


不二のあの笑み、不二はあんな笑い方をしていただろうか。


「手塚、サーブ、もらうよ。」

不二の声に手塚は雑念を払う。不二は切れ長の目でひたと手塚を見据えていた。


本気でくるな。


手塚は静かに気合いを入れた。今はボールだけを追えばいい。そして、その先にいるのは不二だ。コートの中のおれだけの不二。

不二のサーブがうなりをあげた。




☆☆☆☆☆☆




「やっぱ全然、すごいですっ。」

三上が目を輝かせている。不二とのラリーは二人ともかなり本気でやった。といっても、試合のように相手を打ちまかすテニスではなく、お互い持てる力を全開にして心を触れ合わせるようなテニス、不二とだけ手塚はそういう打ち方ができた。それにギャラリーが圧倒されたのはいうまでもない。いつしかコートには二人のボールを打つ音だけが響いていた。

「おれっ、感動しましたっ。」

汗を拭う二人の側で三上達部員が興奮している。不二は手塚の隣でにこにこ笑った。

「ね、手塚ってすごいんだよ。」
「それはお前もだろ。」

手塚は不二の額を小突く。ふふっと不二は肩を竦めると、そろそろ戻らなきゃ、とコ−ト脇を見上げた。写真クラブがこちらを見ている。

「ありがとう。おかげで楽しかったよ。やっぱりラケット持つと落ち着くね。」

不二はラケットを三上に渡すと、じゃ、後でまた、と手塚に手を振り、写真クラブのほうへ駆けていった。ふわっと梅が香る。手塚はぎくっとその背を見つめた。

何だ…

違和感がぬぐえない。

ボールを打ち合って確信した。何かおかしい。不二が不二でないような微妙な違和感がある。どこが、といわれても言葉で説明できないのだが、真摯にボールを打ちあえるからこそ感じる何かがある。技もスピードも確かに不二だ。しかしこの奇妙な感じは何なのだろう。ふと、夕べ見た夢がよみがえる。

「手塚さん、じゃあ、お願いします。」

三上の声で手塚は我に帰った。、練習試合の後、コーチを頼まれていたのだ。不二の背を見送っていた手塚は気がかりを残しながら再びコートに戻った。


☆☆☆☆☆☆☆
片思い手塚君、ぐるぐるしてます。でも、不二君のことは誰よりもわかるんだよね〜、君は。写真クラブのアイドル、不二君、テニス部と水面下のバトルが激しい?だって、不二君に触れるのって同じクラブ員の特権だもんねぇ。さ〜って、ラブラブにむかってゴーゴー(なっ何だってばよっ、その投げやりな視線はっ)