「なっ。」

驚きのあまり、言葉を失っていると、大石が続けた。

「剣道部の主将、知っているだろう?」
「結構女子にも人気あるな。うちは団体戦ダメだけど、あの男だけ突出して強いから。」

楽しそうに乾が眼鏡を押し上げた。
「ほら、立海大付属の真田弦一郎に似た男だよ。」
「たるんどるっ、という口癖まで一緒だったっけ。なぁ、乾。」

手塚の顔色が変わった。
「まっまさか、あんな濃い男に不二は…」

「あ、不二は断ったよ。」

乾の一言で手塚は力を抜く。大石がくすっと笑って言った。
「でも、凄かったのはその後でね。その話聞きつけた野次馬が不二の目の前でからかったんだよ、剣道部の主将をホモー、とか、気持ち悪ぃ、とかね。」

そうか、そうだろうな、普通気持ち悪いといわれるな…手塚は自分に向けられた言葉のように思えて胸がぎりりと痛んだ。
「その時不二が、あの不二が珍しく真剣に怒ったんだな。たまに試合の時みせるだろう?あの顔でね。」
まったくおれのデータの中にもないよ、こんなことは、と乾が腕をくんで唸った。大石も同意する。それから手塚に向き直るとおれは感心したけどね、と頷いた。

「人を好きだって思うことは気持ち悪いことなのって不二は言ったんだ。」

手塚の胸がどきっと高鳴った。

「好きな人のこと、好きって言える勇気を僕は凄いと思う。相手が同性だったらなおさらだ。僕は受け入れられないけれど、それは男だからってわけじゃない。彼の心は嬉しいし、美しいと思うって、きっぱり言い切ったんだ。」

その後はもう、そりゃ大変だよ、と大石が苦笑する。
「笑った不二しか知らない連中は腰ぬかすしね、ほら、目あけると不二、恐いから。」
「そのうえ、剣道部の主将は惚れなおしたみたいで、あきらめないなんて宣言してね。なんか訳わかんない女の子連中は盛り上がってるし、大騒ぎだったな。」

「あきらめないだと?」
手塚の顔がまた険しくなる。何に反応してるやら、とまた吹き出しそうになるのを乾は必死でこらえた。
「不二は部室か?」
駆け出しそうになる手塚を大石が呼び止める。

「手塚、生徒会なんじゃないのか?」
ぐっと詰まって立ち止まる手塚に乾が呑気な声をかけた。

「手塚、鞄を部室に持っていってやろうか。なに、ちゃんと不二に預けておくから安心しろ。」
「おれは別に…」

言い淀む手塚を無視して乾は踵をかえし大石を引っ張った。これ以上手塚といるとまた大笑いしてしまいそうだった。歩きながら大石が耳打ちしてくる。

「なあ、乾、もしかして手塚の本命チョコの相手って…」
「大石、賭けをしないか?手塚が本命とくっつくほうにハンバーガー食べ放題。」
「そりゃ残念。おれもくっつくほうに賭けたいんだけど。」
「それじゃ、賭けにならんな。」
二人はひっそりと笑いを噛み殺し、部室へ走り出した。





☆☆☆☆☆☆





手塚の鞄、頼むね。

帰り際、乾にそう言われた。何故?と問いなおすと大石が苦笑した。
生徒会が大変らしくてな、預かってきたんだが、ちょっとおれ達用ができてしまって、悪いけど。

でも僕は…

「うん、いいよ。別に僕、用事ないから。」
気がつくとにっこり笑って答えていた。

人気のなくなった部室に不二はぽつんと一人座っていた 。結局手塚を待っている。
つくづく自分が馬鹿だと思った。失恋を決定的なものにしたくなかったから、今日一日、手塚を避けていたのに。結局、チョコはまだ自分の手の中にある。

何故かなぁ…

しげしげと握ったチョコの箱を眺める。
冗談に紛らわして、河村にあげてもよかった。皆で食べてもかまわなかった。実際、手塚に手渡す勇気などなかったので、本当に皆で食べようと思っていたのだ。しかし、できなかった。

理由はわかっている。
あの剣道部の主将に真直ぐ見つめられ、好きだと言われたからだ。何故あんなに恐れもなくぶつかっていけるのだろう。断られるのは覚悟の上だと笑っていた。自分の気持ちはごまかせないとも。

僕は卑怯だよね…

チョコの箱を握ったまま、不二は窓際へ歩み寄り外に目をやった。冬の日はとうに落ちて、テニスコートの彼方に夕焼けが広がっている。赤い色、その上に広がる綺麗な青、青の上の群青色、手塚の好きな蒼い色、僕の好きな手塚の…あれ、と不二は目を凝らした。校舎の方から走ってくる人影がある。なんだか、必死に走ってくる。
「…手塚?」

バタンと勢いよくドアが開いて手塚が飛び込んできた。
「不ッ不二…」
「あ…」

そのまま言葉が続かない。体も動かない。二人とも、金縛りにあったように立ったまま互いを見つめた。ふと、手塚が不二の持っているチョコの箱に視線を落とした。手塚の表情が変わる。しまった、不二は慌てた。

「あ、これ、ち…違うんだ、あの、姉さんが、その…」
必死で言い訳を考えるがうまく口が動かない。
一言、女の子に押し付けられたと言えば何の問題もないのだが、そこまで頭がまわらなかった。ただ、口をパクパクさせていると、手塚がツカツカと歩み寄ってきて、不二の肩を掴んだ。

「あいつに貰ったのか。」
「…は?」

あいつって、誰?
手塚は恐い顔をしている。ますます不二はパニックにおちいった。

「不二、あいつに貰ったのか。受け取ったのか、奴のチョコを。」
切羽詰まった手塚の声に気押されながら、不二はようやく口を開いた。

「手塚…?なんのこと?」
「大石から聞いた、剣道部のっ…」

語気荒く詰め寄った手塚ははっと我に帰った。慌てて不二の肩から手をはずす。
「す…すまん…」
手塚は気まずそうに目をそらした。不二も俯いたまま何も言わない。沈黙が息苦しかった。先に手塚が動いた。目をそらしたまま、部室の机に置いてある鞄を取る。
「…悪かった…その…鞄を…」
「ね、手塚…」
不二が顔をあげた。にこっと笑う。

「彼女からチョコ、貰っただろうけど、でも、あの、これ…」
「…不二、一つ聞いてもいいか?」
いきなり手塚が不二の言葉を遮った。え、と不二の瞳が不安げに揺れる。
拒絶されるのかな、やっぱ、そうだよな…
そう納得したところへ、手塚がいぶかしげに聞いてきた。

「さっきから大石といい乾といいお前といい、何を言っているんだ?彼女っていうのはいったい誰だ。」

今度は不二が驚く番だった。
「だ…だって手塚…本命チョコ、貰いたいって…」


「おれは好きな奴からだったら受け取ると言っただけで、彼女がいるとは言っていない。」