今年のバレンタインデーは異様な雰囲気に包まれていた。


いつ、どこであの手塚国光がチョコを受け取るか、その話で校内はもちきりだった。
本命チョコに遠慮したテニス部ファンのチョコは、当然レギュラ−陣に集中し、無愛想な乾の机の上にすらチョコの山ができた。また、将来有望株の一部一年にもチョコが集中したため、お互い横目で相手のチョコの数を伺いながら「あいつにゃまけねぇ。」と呟いていたとか。


手塚の本命チョコ以外に、もう一つ事件があった。
愛想の固まりのような不二周助がチョコを断っているのだ。しかも、その理由が、女心を感動で震わせるに充分なものだったので、噂は一挙に駆け巡った。曰く、


「昨日、姉のチョコづくり、手伝わされたんだけど、といってもラッピングだけどね。でも、姉を見て思ったんだ。女の人って、本当に想いを込めてチョコ、用意してるんだなって。だから、気軽になんて受け取っちゃ失礼なんだって、はじめてわかったんだ。今まで僕、子供だったんだね。ごめん。」


でも気持ちはとても嬉しいから、そうにっこり微笑まれた女子達は、改めて不二様ゲットのために明日からがんばろう、と心の中でガッツポーズを決めていた。不二にしてみれば、かなわぬ恋心をチョコにたくす彼女達に己の姿を重ねて、こうやって皆、恋を諦めるんだなぁ、などとセンチになったが故の言葉だったのだが。

年の離れた姉に溺愛されている不二は、女の強かさと逞しさを今一つ把握しきれていない。だから、あ〜あ、ストーキングの種、自分から蒔いちゃって相変わらず鈍いね、と乾に笑われた理由がわからず、ぽかんとしていた。





☆☆☆☆☆☆





放課後、早々に不二は部室に逃げ込んでいた。
いくらカッコつけたところで、手塚がチョコを受け取るところなんかみたくもなかった。話は否応もなく伝わってくるだろうが、それでも失恋の決定的な瞬間なんて見ないにこしたことはなかった。


昼休みは動き、なかったよなぁ…


この期に及んで、未練がましく隣の席の彼女の様子を伺っていた自分が情けない。
ひっきりなしに訪れる女子達に断りの笑顔をむけながら、いつ手塚がここへ来るのか、それとも彼女が手塚のところへいくのか、気を張っていた。そして、学活が終わる頃には限界が来ていた。これ以上はもうだめだ…気がつくと鞄をひっつかみ、部室に駆け込んでいた。

まだ、誰も来ていない。皆、女の子達に捕まっているのだろう。手塚は…手塚は今頃、彼女からチョコを受け取っているのだろうか…不二はぶんぶんと頭を振った。早く着替えて、素振りでもしよう、そう思ってバッグを開けると、青と緑の包み紙がラケットの横から覗いている。


馬鹿みたいだ、僕…


ふいに視界がぼやけた。熱いものが頬を伝う。


あれ…僕、泣いてるのかな…


手を頬にあてる。ぽろぽろと涙がこぼれた。不二は床に座り込んだ。


手塚…手塚、手塚、手塚…


今頃は誰かに微笑んでいるだろう君。僕にはけして向けられない笑顔を受け取る彼女。


「痛いなぁ…すっごく痛くて…まいっちゃうよ、手塚…」


今のうちに泣いておこう。泣いて、涙を枯らしておかなきゃ。だって僕は幸せな君のノロケを聞いてあげなきゃいけないんだから。そして、コートのなかでは君の隣に立つんだから。
「コートの中の君だけは誰にも渡さない…」

嗚咽を押し殺して、不二は泣いた。
今のうちに、皆がチョコを、手塚がチョコを受け取っている間に。





☆☆☆☆☆☆





手塚は朝から不二を気にしていた。なのに、いつもより姿を見かけない。かといって、女の子に囲まれている不二には声をかけるのが憚られた。


声をかけたから何がどうというわけではないんだがな…


放課後、不二の姿を探すのに全く見当たらなかった。部室に行きたかったが生徒会の仕事が入っている。気分がずん、と暗かった。


「手塚、眉間の皺が深いよ。」
「今から生徒会か?」


意外な組み合わせの声が手塚の背にかけられた。振り向くと大石と乾が立っている。二人とも、チョコが入っているとおぼしき大きな紙袋を抱えていた。

「ああ、そうだ。しかし、凄い量だな。」
二人が一緒とは珍しいな、と思いながら、手塚はあきれたように言う。乾がにやっと笑った。

「不二と手塚が断ってくれた分、全部こっちにまわってきてね。」
「一年の海堂や桃城あたりもすごいことになっていたらしい。おかげでまたつまらん張り合いを始めて。」

困ったもんだと肩を竦める大石に、手塚が慌てた顔を向けた。

「不二が?チョコを断ったのか?何かあったのか?」
大石と乾は顔を見合わせた。

「なに、手塚、知らなかったのか?学校中評判になっているぞ。」
「相変わらず疎いね。」
「な…なんで不二は断ったんだ?」

手塚は内心焦った。
まさか、好きな女の子がいるとかいわないだろうな、それとも…
「別に深い意味はないみたいだけどね、でも、断りの文句が泣かせたな、不二の奴。」
あれは結構、天然のたらしだからな、と乾がノートをトントン叩きながら呟くと大石が頷いた。
「本人が自覚してないぶん、かえってタチが悪いかもしれん。」

あれじゃあ、女の子はかえって燃えちゃうんだがねぇ、と呑気に笑う二人に手塚はあたふたと畳み掛けた。

「なッなんて言ったんだ、不二は。まさか好きな…」
「別に。ただ、皆想いを込めてチョコ用意してるのがわかったから、気軽に受け取るのはその気持ちに失礼だ、とかなんとかいったんだったな、大石。」
「今まで僕は子供だったんだね、ごめん、とか付け加えたもんだから、大騒ぎさ。女の子達、気合い入れなおしてたよなぁ。」

こわいこわい、と大石が笑った。手塚はほっとした。少なくとも不二に本命がいたわけじゃないらしい。あからさまに気の抜けた顔をする手塚に、大石が問いかけてきた。

「で、手塚はどうだったんだ?」
「何が?」
「だから、彼女からチョコ、もらわなかったのか?」
手塚は不思議そうに問いなおした。


「彼女って、誰だ。」


「……………」
大石が怪訝な顔で女の子の名前をあげた。
「彼女からもらったんじゃないのか?」
「なんでおれが顔も知らない相手からチョコを貰わなければならないんだ。」

乾がノートを口にあてた。肩が微妙に震えている。その横で大石がぶっとんだ。
「てってっ手塚っ、今日一日のこと、思い出せっ。」
「何だいきなり。いつもと変わらん。」
「変わらんって、変わらんってっ、」
あたふたとする大石に代わって乾が口を開いた。
「誰か、何か言って来なかった?特に女の子。」
「………」

たしか今日はずっと不二を探していて、途中で何人か懲りもせずチョコをもってきたのを断って…
「手塚、おかしいと思わなかったのか?今年、チョコもってくる女の子がいきなり激減したらその理由を考えないか?」
「?去年、きっぱり断ったからだろう?」
我が事のようにうろたえた大石が口を挟む。

「いや、だから、不二のクラスの、その…彼女が…」
「だから、おれはそいつのことは知らんと言っている。」

違うクラスの女子までおれは覚えきれん、むすっと答える手塚に、大石はあんぐりと口を開けた。乾がこらえきれんとばかりに笑い出す。つられて大石も吹き出した。
「手っ手っ手塚っはっはっはっはっ」
「何だ、いったいっ。」
「いっいや、いいんだ。気にしないでくれ。」

体をよじって笑いこける二人に手塚は憮然としている。乾がやっと笑いをおさめて言った。

「じゃ、手塚、不二のもう一つの話も知らないね。」

手塚の眉間の皺がまた深くなる。
むっつりと黙っている手塚に二人は顔を見合わせ、また笑い出した。いい加減焦れ始めた手塚の肩を大石がおかしそうにばんばん叩いた。



「不二の奴、男にも告白されたんだよ。」