海と空と教室と
今夜のカカシさんはいつもと少し違う。
いつものように任務が終え、報告書ついでにオレを誘って、いつもの居酒屋で飯食って酒飲んで、だけどいつもみたいに空の話をしない。
空きっ腹が落ち着くまであれこれ食べて、たわいない話をして、カカシさんは今、ちびりちびりと焼酎を舐めている。いつもなら頬杖ついて、青い空やそこに映える緑の葉っぱや、星や風の話をとりとめもなくしている頃なのに。
「あの…カカシさん。」
「ねぇ、イルカ先生。」
ふっとカカシさんが顔をあげた。
「オレね、昼間に任務終えたからぐるっと森を抜けてぐるっと海沿いに迂回しながら帰ってきたのよ。」
知っている。今回の任務は暗殺だった。真っ昼間、カカシさんはターゲットの警備の隙をついて任務を終わらせたのだ。木の葉の忍びの仕業とわからせないよう、迂回して帰ってきた事も知っている。カカシさんはどこか遠い所をみるように目を細めた。
「よく晴れていてね、真っ青な空を海が映していた。波がキラキラしていて、ねぇ、イルカ先生、遠くの、一番遠くの空の際ではもうどっちが海でどっから空かわかんないくらいキラキラしてて…」
カカシさんの目がオレをとらえた。
「その中を跳ねた…イルカの群れだった、波をはじいてキラキラさせて、たくさんのイルカが跳ねていた。」
真っ直ぐに、青い目がまっすぐにオレを見る。
「命が…はじけるようだった…」
カカシさんの青い目はオレだけを映している。今、ここにいるオレだけを。
「カカシさ…」
「出ましょうか。」
カカシさんはスッと伝票を持って立ち上がった。慌ててオレはその後を追う。酔ったわけでもないのに膝がなんだかガクガクして覚束なかった。
いつもより早い時間、オレはカカシさんの少し後ろを歩く。いつものように丸められた背中、だけど手はポケットの中じゃない。
なぁカカシさん、初めてだよな、初めてアンタはオレに、今生きている命が美しいって言ったんだよ。
海と空がとけあう狭間に跳ねた命がオレと同じ名前だっていうの、うぬぼれてもいいのかな。オレはアンタの手を取ってもいいんだろうか。
わかってんの?
オレはいったん握ったら絶対放さねぇよ?
アンタが放そうとしたらオレは目の前で喉笛かっ切って死んでやるよ?
アンタが六代目火影に内定したのは知っている。そのアンタの手を取るってことは、全世界を敵に回すのと同じなんだぞ。そんだけのリスク承知でアンタの手を取るオレの覚悟、受け止められるんだろうな。
煌煌と月が青白い影を投げかけてくる。白く照らされた道にオレ達の影法師、月光の中、オレ達は二人きりだ。
分かれ道に来た。いつものようにアンタは立ち止まり、だけど振り向かない。ただ、立っている。
「オレ…」
やっと言葉が出た。緊張で声が掠れてる。
「一日の授業終わって教室片付けて…」
カカシさんは動かない。オレに背を向けたままだ。
「誰もいなくなった教室でね、オレ…」
オレは大きく息を吸った。
「いっつも空、眺めるんです。どこかで任務についているアンタにこの空は続いているんだって…」
カカシさんの肩がぴくり、と揺れた。オレは一気に白状する。
「カカシさんと繋がっているんだって。この空の下、アンタが元気で生きていてくれさえしたら、オレはどんなことだってがんばれる。」
ゆっくりとカカシさんが振り向いた。青い目、海のような、空のような、深く透き通った美しい青、その青にオレは射抜かれる。
「イルカ。」
カカシさんの手がオレに向かって真っ直ぐに伸ばされた。アンタさえかまわなかったら、もとよりオレの気持ちに迷いはない。伸ばされた手をオレはしっかりと握る。
「オレの全てはアンタのもんです。」
月光に照らされ銀髪を青白く燃え立たせた男は、その青い目を柔らかく細めにっこりと笑った。
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