「お布団、足りないときは言ってくださいましね。」
「はい、ありがとうございます。」
結局、泊まることになったイルカは庭に面した和室に布団を敷いてもらっている。
「静〜、早く寝にいこ〜よ〜、静〜。」
まとわりつくカカシを片手でいなしながら、静は寝間着を枕元に置いた。
「寝間着、この人のですけどお使いくださいな。」
「何から何まですみません。」
「静〜。」
「あぁもう、みっともない。弟さんの前でしょうに。」
ペシリ、とカカシの手をはたき、静はにっこり笑っておやすみなさいを言った。イルカはただ恐縮して頭をさげる。静〜、静ってば〜、と騒ぐカカシの声が足音とともに別室へ消えて、イルカはほぅっと息をついた。
なんだかなぁ…
もそもそと寝間着に着替えて布団にもぐりこむ。
……疲れた…
体ではなく精神が疲弊した感じだ。写輪眼のカカシ、一体全体どういう人なんだろう。二つ名を持つからには優れた忍であることは間違いないのだが、あのろくでなしぶりはとても演技とは思えない。だが、どんな人間であれ、イルカはカカシが術をおさめるのを見届け、無事に連れ帰るのが課せられた任務だ。
火影様、オレ、がんばります。
今、イルカを支えているのは、老翁の己に寄せてくれた信頼だけだった。
イルカが布団に入って五分ほどたっただろうか、ふと、居間で物音がする。イルカは起き上がった。そういえば宿をとるという自分を引き止めたのはカカシだ。もしかしたら打ち合わせとかあるのかもしれない。ハタと気づいたイルカは急いで布団から出て居間へ行く。ふすまを開けると案の定、カカシがうつぶせに寝転がって本を読んでいた。
「あれ、何?なんか用?」
「へ?」
怪訝な顔をむけられ、イルカは戸惑う。
「あの…泊まれとおっしゃったので、何か今後の打ち合わせでもあるのかと…」
「んなもん、なーいよ。」
素っ気なく答え、カカシの目はまた本に戻った。イルカは突っ立ったまま、しばらくぽけっと寝転がったカカシの背中を眺める。このまま客間に戻って休むべきなのだろうか、だが、人目のない今、任務の方針だの合図だの、細かい打ち合わせをやるべきではないのか。
火影の話では、すでにこの街に目をつけている他里の忍が存在するらしい。ならばなおさら、怪しまれないよう、行動に細心の注意を払わなければならない。
明日からイルカはよそに宿をとるつもりでいる。火影からあずかった銭はそのくらい残っているし、薬売りで日銭も稼ぐつもりだ。女の家に居候する兄を連れ戻すべく奮闘するけなげな弟を完璧に演じるためにも、今のうちに任務に関する諸事項の確認をすべきではなかろうか。
「えっと、はたけ上忍…」
だからこそはたけカカシは女の寝所からすぐに居間へ戻ってきたのでは…
「あっあれっ…あのっ、静さんは…」
「ん〜、眠らせてる。」
「え?」
カカシは寝転がったまま本から顔をあげもしない。
「でも打ち合わせがないなら…あっあれ、じゃあ…」
「なに、打ち合わせもないのになんで女抱いてないのかっていいたいわけ?」
ふっと目を上げたカカシがニヤリ、とする。
「ウブな顔して、案外エッチだねぇ、イルカは。」
「なっ…ちちち違いますっ。」
イルカはボン、と赤くなった。
「オレはただ、そのっ…」
「は〜いはい、いいからいいから。」
おたつくイルカにカカシはヒラヒラと手を振った。
「照れちゃって。アンタ、ドーテー?」
「んなわけっ…」
「あらら、やっぱ童貞なんだ。」
「オッオレはもう二十歳ですっ、きょっ去年までは彼女だっていたんだからなっ。」
言わなくていいことまでうっかり口を滑らせたイルカは慌てて両手を唇に当てた。が、時既に遅し、口から出た言葉は取り消せない。きょとん、と目を見開いていたカカシはぶはぁ、と盛大に吹き出した。
「何、アンタ、去年までって、振られたの?そりゃ気の毒に〜。」
「かかか関係ないだろっ、っつか、なんでオレが振られたってっ…」
「ほら、振られたんじゃない。」
「ううううるさーーーいっ。」
思わず怒鳴ったイルカは、ハッと身を固くした。居間の隣に静がいるというのに、こんな大声を出してしまってはマズイ。隣の気配を伺うイルカの耳に、抑揚のない声が届いた。
「言ったでしょ、眠らせてるって。」
「え?」
意味が分からずカカシを見たイルカは、ハッと息を飲んだ。肘枕でイルカを眺めているカカシの顔はさっきと打って変わって表情がない。すぅっとカカシは己の左目を指差した。銀髪の間から、緋色が覗く。
「この目でね、何があっても朝まで目は覚めないよ。イイ夢みせてるしね。」
感情の欠片もみせない眼差しにイルカの背筋がゾクリと震えた。
「……じゃあ、もしかしてずっと…」
みっともなく声が掠れる。フッとカカシが口元をあげた。これまでの色のない空気が元に戻る。
「バカだねぇ。いつどこで敵に襲われるかわかんないでしょ。イルカね、任地で女、抱いたらダメよ。これ、草のジョーシキ。」
「すっ…すみません…」
カカシはごろりと転がって再び本を読み出した。イルカは困惑したままそれを眺める。
「んじゃ、おやすみ、イルカ。」
背中を向けたままそう言われ、すごすごと寝所へ帰った。
なんだかなぁ…
カカシの言う事はもっともだ。だが、なんとなく釈然としない。
なんであんな…
カカシが一瞬かいま見せたあの表情、何も見ていないかのような目がイルカの中にひっかかる。忍としての写輪眼のカカシの顔なのだろうか。だが、忍に徹した目とはまた違う気もする。どうにも胸のもやもやが晴れず、イルカは寝返りをうった。
やっぱよくわかんない人だ、写輪眼のカカシって…
考えてどうにかなるものでもない。まだ一日目が始まったばかり、これからが大変なのだ。諦めてイルカは目を閉じた。眠りに落ちる一瞬、銀髪の間からかいまみえた写輪眼が赤く光ったような気がした。
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