その6
     
     
  「イルカちゃ〜ん、怒んないで、ほら〜。」

カカシが声をかける。日暮れ時、仕事帰りの人々で混み合う通りをイルカはズンズンと大股で歩いていた。その斜め後ろをカカシは懐手でついていく。

「お兄ちゃんが悪かったから、ね?」

悪かったという割には、のんびりとした声音だ。イルカはくるりと振り返った。

「オレ…わっ私にはおっお考えがわかりかねますっ。」
「おわっ。」

その剣幕にカカシは両手を肩まであげてのけぞった。

「お考えって…」
「しらばっくれますかっ、聞きましたよ、お世話になっている方の財布から札を抜くなど言語道断ですっ。」
「あ〜。」

カカシがどこか拍子抜けしたような声を出す。だがそれにかまわずイルカはまくしたてた。

「返せばいいというものではないでしょうっ、しかも賭け事で儲けた金など。」
「あのさ〜。」
「賭場へ行く金欲しさって、ぜんたい人として間違ってますっ。」
「あのさ、イルカちゃ〜ん。」
「なんですかっ。」

ガリガリとカカシは銀髪をかいた。

「イルカが怒ってるのってそこ?」
「え?」
「フツーもっと違うとこ怒るだろうに。ほらオレ、今、草だし。」

へらっと笑われ、イルカはかぁ〜っと赤くなった。カカシは顎をさすりながらにま、と口元をあげる。

「こぅ、なんで『はたけカカシ』なんて本名名乗ったんですか〜、とかさ。」
「わっかってんじゃねーかっ。」

イルカは相手が上忍だということを忘れて怒鳴りつけた。

「怒るとこ多すぎてどっから手ぇつけりゃいいのかわかんねーんだよっ。」
「あらら、こわ〜。」

カカシはわざとらしく数歩飛び退った。イルカといえばしばらくブルブルと拳を震わせていたが、相手は自分の上司、これ以上無礼な真似をするわけにはいかない。ただ、目の前のへらへらした顔を見ているとどうにかなりそうだったので、プイッ、と顔を背けてまた歩き出した。

「あ、ちょっと待ってよ〜。」

へらへら男は呑気にイルカを追ってくる。


火影様、ホントにこいつが里を代表する写輪眼のカカシなんでしょうかっ。
憤懣やるかたなく、イルカは夕焼け空を睨みつけた。









「おっしず〜、今帰ったよ〜。」

ただいまただいま〜、とカカシは引き戸を開け、当然のごとく静の家へあがりこんだ。

「……すみません、お邪魔します…」

恐縮しながらイルカも後に続く。図々しいとは思ったが、とりあえず状況を正確に把握しなければならない。居間へ入ると、台所から割烹着姿の静が出てきた。

「まったく、どこへいても夕飯には帰ってくるんだから、しょうがないねぇ。」

カカシが金を抜いては賭場や料亭に繰り出すのは日常茶飯事なのか、静はもう怒鳴らず笑うばかりだ。

「静〜、今夜のご飯、何〜?」

カカシはすでにちゃぶ台に陣取り、頬づえついて甘えた声を出す。

「魚善の旦那が稽古のついでにっていいのを持ってきてくれてねぇ、キンメを煮付けたんだよ。」

それから静は、居間の片隅で小さくなっているイルカに微笑みかけた。

「イルカさんも夕食、召し上がってくださいな。たいしたものはございませんけどね、一緒に食べるとおいしいって申しますでしょう?」
「は…すみません。」

恐縮して頭を下げるイルカに静はまた柔らかく微笑んだ。


いい人だなぁ…


今更ながら、この人を利用しているのかと思うと後ろめたい。台所に入った静がイルカに話しかけてきた。

「宿をとるのも何ですから、ここにお泊まりになってくださいましな。この人を連れて帰らなきゃならないんでございましょ?身支度はすぐに出来ますから、出立の時までどうぞお楽に。」
「えっ。」

イルカは思わず声をあげた。おひつを抱えて居間へ戻った静をまじまじと見つめる。

「あっあの…静さん…」
「やっだよ〜、オレは一生、静と暮らすって言ったでしょ。都なんざくそくらえだぁね。」

頬づえをついていたカカシが口をとがらせた。静は青菜の皿や汁椀を並べながら素っ気なく言う。

「なに寝言お言いだよ。お前さんみたいに手のかかるのを誰が一生面倒みるもんかね。だいいち、ここまでお前さん探してやってきた弟さんにどう顔向けする気だい。」
「静といるったらいるんだよ、オレァ〜。」

むっつり顔でカカシは箸をとり、飯をかっこみはじめる。

「あれ、食べる前はいただきます、だろ?行儀がなってないよ。」
「へいへ〜い、いっただっきま〜す。」

小言を並べながらも静が目を細める。その表情にイルカは胸をつかれた。


この人は…


静はカカシを心底愛おしんでいる。だからこそ身を引こうとしているのか、明るい笑顔で。罪悪感がどっと胸に押し寄せる。

「イルカさん、どうぞ。お口にあうかわかりませんけど。」
「あっ、いっいただきます…」

イルカも慌てて箸をとった。

「こんなところですけど、お泊まりになってくださいましね。」
「いっいえ、そこまで甘えるわけには…宿をとる費用くらいは残っておりますので。」

タケノコの煮付けを頬ばったイルカはもごもごと答えた。静が飯をよそいながらふふ、と笑う。

「そんな寂しいこと、おっしゃるもんじゃございません。それに、これから都へ戻られるためにもお金は大事になさらないと。」
「もともと薬売りをしながら旅してましたから。それに、この街でも少し商いをしていこうかと思ってるんです。」

あたりさわりのない返事をしていると、突然カカシが割り込んできた。

「泊まってきゃいーじゃない。」

青菜をつまんだ箸をイルカにむかってちょいちょい、と振る。

「どうせオレァこっから動かないし、ま、久方ぶりの兄弟の語らいってのもいいんじゃないの?」
「また行儀の悪い。箸使いがなっちゃいませんよ。」
「へいへ〜い。」
「本当に、二十六にもなって、箸の一つくらいちゃんとお使いなさいな。」


ぶーーっ


イルカはみそ汁を吹きそうになった。


二十六ーーーっ?アンタ、二十一だろ、っつか五歳もサバよんで申告してたんかーーっ


目の前の男はイルカに向かってにんまり口元をあげてみせる。確かに、そのスレきった顔は二十六、七にしかみえない。



無茶苦茶だ、この人、マジ無茶苦茶なんですけど、火影様…


ぐらぐら目眩を覚えたイルカの胸からは、さっきの罪悪感だの切なさだのは見事にふっとばされていた。


 
     
     
 
超すれっからし振りにイルカ卒倒寸前。
えーと、一応ちゃんとカカイルです。これからちゃんとカカイルになります(多分)
(いや、このまんまじゃ本当、ただの江戸人情話になっちゃうよ)