「突然山が崩れてきて、後はもうわけわかんなくて、気がついたらオレ一人で…」
イルカはぼろぼろと涙をこぼした。
「早く兄を捜してください。お願いですっ。」
「わかった、先生、カカッさんは俺らが見つける。だから先生は病院に行こう。怪我してるじゃねぇか。」
元締めがイルカの肩をつかんだ。
「オレも探しますっ。早く見つけないと兄がっ兄上がっ…」
イルカはなかば錯乱状態で叫んだ。もちろん、三日も遭難していた人間らしく掠れ声で弱々しくだ。我ながら迫真の演技だと思う。泣きながらちらり、と伺うと、警察以外にも随分と街の男衆が出てくれているのがわかった。元締めや若い衆、置屋の男衆はもちろんのこと、大店の手代やら団子屋のお光っちゃんの親父さんやら、太鼓持ちの玉丞まで脚絆をまいて捜索隊に加わっている。
愛されてんじゃねーか、カカシさん。
どこかに控えているカカシに向かって、心の中でイルカは呟いた。周囲では土砂崩れに巻き込まれたというイルカの言葉に、あちこち分担で泥をかき分ける作業を始めている。だが、山の斜面全体が崩れているので、埒があかない。担架の手配をしている元締めに、イルカは再びすがりついた。
「親分さん、親分さん、こないだ写輪眼のカカシと契約したんでしょう?頼みます、写輪眼のカカシを呼んでください、オレ、オレ、一生かかってもお金、払いますから。」
掠れる声でふらつきながら、とぎれとぎれに訴えると、元締めは困り果てた顔をした。
「せっ先生、そりゃ無理だぜ、あんときゃあ、たまたま居合わせた写輪眼の好意で俺達ゃ助けてもらったんだ。そうそう忍に出くわせるわきゃねぇし、ましてや写輪眼のカカシだぞ。もう二度と姿拝む事もねぇ忍じゃねぇか。」
「でも、でも兄が…」
「先生っ。」
ずるずると力をなくしてイルカが倒れこみ、元締めが慌てて担架を呼んだ時、ゆったりとした低音が落ちてきた。
「どーもアンタ方にはご縁があるようだ。」
音もなく長身の男が泥の上に降り立った。皆が膝上まで泥に浸かっているというのに、男は僅かばかりも足を汚さず、まるで泥の上に浮いているように立っている。
「しゃっ写輪眼のカカシ…さんっ。」
気力を振り絞ったようにイルカが声をあげた。皆がぎょっと銀髪の忍を注視する。
「帰り道だったんだけどねぇ、何?お兄さんが行方不明なの?」
ゆったりと、しかし迂闊に触れたら切り裂かれそうな空気を纏った写輪眼のカカシは、おどおどと救出を依頼する元締めにしょうがない、という顔をしてみせ、土遁で土砂を取り除き始めた。捜索隊に加わった人々は、初めて見る忍の技に腰を抜かさんばかりに驚いている。イルカといえば「兄上、兄上、」と意識もうろうとしたふりをした。
そもそも、ここまで茶番をするハメになった原因は、カカシが己の姿のままの影分身を使ったせいだ。いくら写輪眼の時の姿が口布と額当てで顔を隠しているとはいえ、もとが同じ造作、後々妙な疑いでも持たれたら五月蝿い事になる。一度写輪眼のカカシを皆の目に晒した以上、『うみのカカシ』の死体と写輪眼のカカシを並べたほうが後々いいだろう、と相談しあったのだ。
でもきっと、それだけじゃないんだろうな…
元締めに体を支えられてぐったりとするふりをしながら、イルカは思った。カカシなりに街の人々へ別れを告げているのだろうと。
ったく、情が移ってんのはどっちなんだか。
なんだかんだいってもカカシだって二十歳そこそこの若造だ。かりそめとはいえ、はぐくんだ好意や関係をばっさり切り捨てるほど捌けてはいないのだ。
そろそろ分身が見つかるあたりだな。
案の定、捜索隊から声があがった。
「おい、あれじゃないのかっ。」
「カカッさんだ、おい、あそこだっ。」
土遁で大岩が持ち上げられた脇に白い体が転がった。写輪眼のカカシがひらり、と跳んで、その体を抱えて戻ってくる。息をのむ人々の前で、写輪眼のカカシはだめだった、というように首を振った。ちょうど運ばれてきた担架の上にそっと『うみのカカシ』の遺体を横たえる。
「あ…あぁ…」
泥に足をとられ転がりながら、イルカは『うみのカカシ』の遺体に這いよった。
「……あに…うえ…」
分身の頬に震える手を添える。当然だがひやりと冷たい。街で遊び歩いていた姿のカカシが死体になっている、本体のカカシが横にいるとわかっていても胸が詰まった。なんだか本当に悲しくなってきて、そのままイルカは遺体に取りすがる。
「兄上、兄上ーーーっ。」
これで終わりだ。自分の恋に別れを告げよう。
「あぁぁぁ…あぁーーっ…」
悲嘆にくれるイルカの周りで、男達の間から啜り泣きがもれた。
「先生よぉ、先生…」
イルカの背をさすりながら、元締めが男泣きに泣いている。
「こんなむごい…むごいことがなぁ…」
ごしごしと溢れる涙を拭うもの、肩を落とし啜り泣く者、皆泥だらけのまま泣いていた。写輪眼のカカシは黙って踵をかえし、斜面のむこうにトン、と跳ぼうとする。
「写輪眼のカカシさん。」
その時、元締めが涙声のままカカシを呼び止めた。
「ありがとうございます、写輪眼のカカシさん。そんでね、これも何かのご縁と思って、ちぃっと話を聞いちゃくれやせんか。」
カカシが振り向くと、元締めは涙が流れるまま両手を膝において頭を下げた。
「このお人はねぇ、高名なあなた様とおんなじ『カカシ』なんて名前だったんで。まぁ、同じなのは名前と髪の色くらいでございやしょうか、このお人ときたひにゃ、ほんっと遊んでばっかで賭け事で勝った銭はパッパ使っちまうしツケはためるし昼間っから芸者遊びはやってるしでね、いい加減なお人でございやしたよ。」
手のひらで涙をぐい、と拭い元締めは笑う。
「でもねぇ、心根の優しい人でねぇ、アタシらだってまともな稼業じゃございやせん。荒くれどもぞろいで、堅気の衆からは嫌われておりやす。そんなアタシらでもなんだかねぇ、心底気の許せる、優しいお人だったんですよ。」
周囲の啜り泣きが大きくなった。写輪眼のカカシはじっと元締めを見つめている。
「あなた様にとっちゃ縁もゆかりもない、ただ『カカシ』って名前だけが一緒の男ではございやすが、この場で冥福だけでも祈っていただけやせんでしょうか。あなた様のお名前と同じだって無邪気に笑っていやしてねぇ、このお人は。」
そこまで言うと、元締めは感極まったように涙をあふれさせた。男衆も啜り泣きながらカカシに頭を下げる。カカシはゆっくりと頷いた。
「線香あげるわけにはいかないけど、一緒に祈らせてもらうよ。それにしてもこの人…」
カカシは僅かに目を細める。
「なんだか愛されてたんだね、この人。」
「はい。」
元締めが力強く答えた。
「アタシらみぃんな、カカッさんのことが大好きでございやしたよ。」
それから肩を震わせて涙をこぼした。カカシはにこり、とした。
「幸せ者だぁね。」
それだけ言うと木の葉を散らして姿を消す。あとは啜り泣きだけがあちこちからあがった。
イルカは分身の胸に頭をもたせ、元締めとカカシのやり取りを聞いていた。なんだか、綺麗なもので胸一杯満たされたような気分だ。
するすると涙をこぼしたまま、斜め上に空を見上げた。雨上がりの夏空は澄み切ってどこまでも青かった。
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