イルカはすぐに影分身を作り、カカシに変化させる。そして全力で一本杉を目指した。カカシの気配はすでにない。後方でぶわり、と殺気が膨れ上がった。いくつもの気配が連携をとってイルカを追ってくる。中心にいるのはかなりの手だれ、おそらく上忍クラス、だが足には自信があった。なによりカカシが信頼してくれている。敵の忍はクナイや鋼糸を使ってイルカの進路を曲げようとしてきたが、影分身のカカシで敵を攪乱して必死で一本杉に向かう。数本、クナイを背中に受けてもイルカは構わず突っ走った。何が何でも逃げ切れと言われた。一本杉でカカシが待っている、惚れた男がそこにいる。影分身が敵に消された。あと数メートル、カカシがいないことに気付いてももう遅い。空中に青白い光が見える。
「こんちくしょぉぉぉっ。」
最後の力を振り絞ってイルカは跳んだ。追っていたイルカが自分たちの方向へ跳躍してきたのに驚いたのか、敵の忍達の気配が揺れる。その上に青白い光が炸裂した。ドン、と地響きがおこり、イルカも吹っ飛ばされる。
「カカシさ…」
誰かがイルカの手を掴んだ。すさまじい爆風が起こったが、その風に乗るように誘導される。カカシだ。ドン、ドン、ドン、と立て続けに爆発が起こった。目の端に地面が炎に覆われているのをとらえる。真っ赤な業火に乗ってバチバチと青白い火花が空中を走っていた。あの火の勢いでは土遁でも逃れられないだろうし、空中に跳んでも青白い電撃で焼かれるだろう。
逃げ道はこの風に乗るしかないってわけか…
今更ながら写輪眼のカカシの実力に舌を巻く。カカシは着物の裾をなびかせながら軽やかに風を渡っていた。裾に夏草を散らした薄物を身にまとう銀髪の男は殺戮の場にあっても夢のように美しい。ぶわっと一度、下から熱い空気の固まりに体が押し上げられたと思ったら、山の斜面に着地することができた。
助かった…
ホッと息をついたイルカは、すぐに生き残った敵がいないか気を探り始めた。これからカカシが術の取り込みをはじめる。一人も生かしておくわけにはいかない。だが、ぐいっと強い力が肩を引いた。
「イルカッ、怪我を…」
カカシが血相を変えている。
「見せて、毒はっ?」
「あぁ、これ。」
イルカは背中に刺さったクナイを見た。この程度の怪我に顔色をなくしているのが写輪眼のカカシだと思うとなんだかおかしい。
「大丈夫です、毒は塗ってないみたいで。それに、ほら。」
イルカは着ている藍色の着物をはだけた。中にきっちり鎖帷子を着込んでいる。
「備えあればってね、だからたいして深く刺さってないんです。」
カカシがあからさまにホッと安心した顔をする。イルカは悪戯っぽく笑った。
「アンタみたいにチャラチャラした着物じゃこうはいきませんよ。基本です、基本。」
「ったく、心臓に悪いことしてくれて。ほら、手当するよ。」
今更ながら狼狽えたのが恥ずかしかったのか、カカシの頬がわずかに赤くなっている。さっきから素のカカシに丸ごと触れているような気がして、イルカは嬉しくなった。カカシはイルカの背後にまわってクナイを抜き、イルカが懐に持参していた薬を塗り込む。抜きながらクナイをあらためていたが、毒の有無を見たのだろう。ビッと音をたて、カカシは自分の着物の袖を引きちぎった。縦に裂いて傷に巻いていく。
「今は時間がないから応急手当だけど、オレがひっくり返った後でもちゃんと手当しなさいよ。医療用具は小屋にあったでしょ。」
「はい。」
「念のため毒消し、塗り込んだから。飲み薬の方もちゃんと飲んで。」
「はい。」
背に触れるカカシの手が温かい。山裾では炎がようやく収まっていたが青白い稲妻はいまだ空中を走っている。生きている者の気配はない。こんな地獄絵図を見下ろしながらほんわか気分に浸っている自分は相当おかしい、とイルカはぼんやり思った。だが、所詮忍の感覚など、こういうものだ。敵を殺してなんぼの世界、骨の髄までしみ込んでいる。
ぽつぽつと大粒の雨が落ちてきた。と思う間に、ざぁっと激しく降り始める。雨粒が地を這う稲妻にぶつかる度にバチバチという音が響いてきた。イルカは兵糧丸と丸薬をカカシに差し出す。
「一粒ずつ先に飲んでください。少し回復してからじゃないと無理だ。」
カカシは頷くとガリ、と丸薬をかみつぶして飲み込んだ。
「そろそろ時間だ。」
「はい、後はおまかせを。」
イルカは目の前にある色違いの瞳をジッと見つめた。ぐっしょりと濡れた銀の髪が額にかかる様すら美しい。
「オレはあなたを守る、何があっても。」
「イルカ…」
どちらからともなく唇が近づいた。ふわ、と合わさる。カカシの手がぐい、とイルカの後頭部を押さえた。口づけはたちまち深くなり、互いに夢中で舌を絡め合う。
「ん…」
イルカはたまらずカカシの背にしがみついた。カッと体が熱くなる。角度を変えてむさぼり合う度にどちらのものとも言えない唾液がこぼれた。叩き付けるような雨がそれを流してしまう。
もったいない、カカシのものは全て欲しいのに…
イルカは絡んだ舌をよりキツく吸った。ぎゅっとイルカを抱きしめるカカシの腕の力が強くなる。
「……は…ぁ…」
名残惜しげに唇が離れ、吐息が漏れた。イルカもカカシも荒い息をつき、頬が紅潮している。カカシがもう一度だけ、ちゅと軽く唇を合わせてきた。
「必ず帰るよ、二人で。」
イルカはカカシを見つめ、頷いた。
カカシがスッと立ち上がり、施術を行う中心に端座する。印を組むと一瞬周囲の空気が揺れ、結界札が発動した。イルカはクナイを構え注意深く辺りを伺う。術の取り込みと封印がはじまった。これ以降、カカシは外敵に対して完全に無防備になる。イルカは全神経を張りつめて山全体の気を探った。真昼だというのに空は暗く、雨はますます激しい。
カカシさん…
一歩間違うと写輪眼のカカシといえど命を落とす。大粒の雨に打たれ、ひたすら祈ることしか出来なかった。
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