え?
「どこの里だか知らないけど、だめだぁよ、弱いもの苛めは。」
振り仰いだ先に、銀色がきらめいた。すらりとした肢体の、長身の忍が屋根の上に立っている。黒い口布で顔の半分を隠し、木の葉マークの額当てで左目を覆った銀髪の忍、ぎょっとなったイルカが後ろを見ると、カカシがにぃっと口元を吊り上げている。
「アッアンタ…」
明らかに影分身だ。カカシは忍術を使ってしまった。街に入り込んでいた連中はチャクラが練られたことに気付いたはずだ。
「アンタ、なんてこと…」
食って掛かりそうになったイルカの前で、カカシは大仰に屋根の上を指差し叫んだ。
「あ〜っ、口布に銀髪って、もしかしてあの人、有名な写輪眼のカカシーー?」
「なっ…」
イルカは絶句した。影分身を出したばかりでなく、写輪眼のカカシの名前まで叫ぶとは、こっちに注意を向けてくれと言わんばかりの行動だ。
「バカッ、アンタ、何をっ…」
「写輪眼のカカシさん〜〜ん、助けてください〜、金にモノを言わせる悪い奴が忍を使っておれ達をひどい目にあわせようとしてるんです〜〜〜っ。」
止めようとするイルカにかまわず、ブンブンと手を振るカカシに、屋根の上の影分身は目を細めた。
「ん〜、オレ、任務依頼されてないんだけど。」
「そこのひっくり返っている親父が金は出します。お願いします、受けてくださいよ。」
カカシが道ばたの元締めを指差した。
「えっ、あっ?」
「出すでしょ、親分。」
素っ頓狂な声をだした元締めだが、カカシに念を押されてこくこくと頷いた。
「ほらね、出すって。」
カカシは己の影分身と交渉をはじめる。
「もう、この親父、儲けるだけ儲けてるから、木の葉の言い値でokですよ。」
「おっおい、カカッさん…」
「親分さん、ここはオレらの命かかってんのよ。出し惜しみしてどーすんの。」
一瞬狼狽えたがそこは一帯を仕切ってきた男、肝は座っている。
「わかった。写輪眼のカカシさん、ここに金額の書いてねぇ小切手がある。これで契約頼みたい。木の葉の好きな金額書いてくれてかまわねぇ。」
「ホントは木の葉の受付とおしてもらいたいんだけどねぇ、ま、さっきから見てたらちょ〜っと目に余るもんがあったしね。」
ひらり、と影分身は屋根から元締めの横へ降り立った。懐からだされた小切手をピッと指で受け取る。
「契約成立。」
「ありがとうございますっ、写輪眼のカカシさんっ。恩に着ますっ。」
イルカはこの茶番劇に開いた口が塞がらない。カカシと影分身を交互に眺めてただ突っ立つばかりだ。
「じゃ、そーゆーことで。」
影分身はスッと一歩踏み出すと正面から忍崩れの雇われものを見据えた。ズン、と空気が重くなる。写輪眼のカカシの殺気だ。
「オレ、この人達に雇われたから。」
「ひ……」
忍達は真っ青になってがくがく震え始めた。格の違いは素人にも明白で、雇い主の派手な男は大慌てで懐から札束を取り出す。
「ばっ倍、倍払う、いや、五倍、十倍でもいい。こいつらの何倍でも払…」
男は最後まで言う事ができなかった。凍り付くような殺気が向けられたのだ。
「アンタ、忍を馬鹿にしているのか。」
低く通る声は鋭利な刀剣のようだ。
「オレ達木の葉の忍は一度契約を交わした雇い主をけして裏切らない。だからこそ依頼がくるんだ。そんなこともわからないのか。」
下衆め、と吐き捨てられて、そのまま男は泡を吹いて昏倒した。写輪眼のカカシは震えている忍達に視線を移す。
「で、アンタ達はどーすんの?オレとやりあう?」
「けっ契約は解除するっ。」
「ゆゆゆ許してくれっ。」
がばっと土下座する忍達に写輪眼のカカシは冷たく言い放った。
「二度目はない。行け。」
並の忍が写輪眼のカカシの殺気に耐えられるわけがない。ひぃ〜っと悲鳴をあげながら忍崩れどもは逃げ去った。
わぁ、と歓声があがる。息をひそめていた周囲の街の人達がわらわらと駆け寄ってきた。賭場の手下の連中も全員怪我をしているくせに拳をふりあげて笑う。
「あっありがてぇ。」
カカシが元締めを抱き起こした。元締めは影分身に深々と頭を下げる。
「本当に感謝する。約束通り、好きな金額を書いてくれ。なに、たとえ借金したってきっちり払いまさぁ。」
「オレは木の葉の忍だからね。」
影分身は小切手をヒラヒラ振った。
「規定の料金をいただきますよ。」
それから煙とともに掻き消える。おぉ〜、と再び感嘆の声があがった。
「写輪眼のカカシってなぁたいした忍じゃないか、えぇ?カカッさん。」
感極まっている元締めにカカシはヘラヘラおちゃらけた。
「ほんとだねー、オレ、あーゆー人と名前一緒でなんかすごいじゃな〜い?」
「なに言ってやがんでぇ、一緒の名前ならもっとあのお人みたくシャンとしやがれってんだ。」
「あ、ひど〜〜。」
周りにいた人々がそれにドッと笑う。イルカは蒼白になったまま、その場を動けない。どうすればいいのだ、すでに忍の一団には気付かれた。向こうもあからさまに気配を向けている。これでは自分が依り代になって術を取り込む暇などない。任務は失敗だ。
「イッルカ〜。」
カカシがやってきて、ぎゅっとイルカを抱きしめた。
「そ〜んな顔しないで。もう大丈夫だぁってば。」
「先生、心配ねぇって。写輪眼のカカシが助けてくれたってなりゃあ、このうらなりに雇われる忍もそうそういねぇよ。まぁ、その前にカタ、つけるがな。」
泡を吹いて気絶している男をすでに手下どもが縛り上げている。野次馬も三々五々、散って行った。
「さ、イ〜ルカ、午前中の間に薬草、採っちゃうんでしょ。とっとと済ませちゃお。」
ぎゅうぎゅうイルカを抱きしめたまま、カカシは周りに聞こえる声で言った。元締めが呆れたような声を出す。
「おいおい、カカッさん、山なんぞに今から行くのかい?一雨くるぞ、こりゃ。」
空はますます暗く、雨雲が重くたれ込めてきていた。
「昼前には帰ってくるから。オレも濡れたくないしね。」
イルカを抱き込んだまま歩き出すカカシの背に、気をつけんだぞ、と声がかかる。カカシはひらひらと片手を振って挨拶した。
「行くよ、イルカ。」
「カ…カカシさん…」
イルカの声が掠れる。
「カカシさん、何故…」
カカシの胸元を握った。
「他にも方法はあったじゃないですか。だのになんであんなっ、写輪眼のカカシの影分身なんかっ。もう連中、オレ達を…」
「うん、すっかりマークされちゃってるね。」
「カカシさんっ。」
思わず激昂して顔を上げたイルカは息を飲んだ。青と赤の瞳がじっとイルカを見つめている。ひどく静かだ。
「そう、敵を全滅させないかぎり、もう道はないの。」
グッと肩を抱く手に力が込められた。
「イルカ、オレ達二人、生き残るし任務も成功させる。覚悟きめてよ。」
「アンタ…」
イルカは泣きそうになった。
「アンタ、上官失格だな。中忍一人くらい、捨て駒にできねぇなんざ、なっさけねぇ。」
憎まれ口にカカシは優しく目を細めた。
「バッカだねぇ、イルカは。」
スッと顔を前方に向けたカカシの口元には笑みが浮かんでいる。
「可愛くてお馬鹿さん。」
「なんだそりゃっ。」
「ふふ…」
そろそろ街の北の出入り口だ。門を出たらなだらかな傾斜の草原が麓まで広がっている。
「イルカ。」
カカシが厳しい顔になった。
「三代目の爺さんがサポートに寄越したんだ。忍としてのアンタの力、信用するよ。」
「はい。」
カカシに信頼されている、そのことだけでさっきまで絶望していたのが嘘のように気分が高揚してきた。
「門を出たらオレが一瞬、目くらましをかける。影分身で一体をオレにして走れ。結界のはずれの一本杉、わかるね。夕べあそこに忍犬使ってトラップ張っておいたから、何が何でもそこまで逃げ切って。」
「はい。」
どうやらカカシは最初っから札を使う気はさらさらなかったようだ。こうなったらカカシの覚悟に答えなければ。でなきゃ男がすたるってもんだ。
「一本杉で青白い光が見えたら、とにかく南西37度に跳んで。逃げ道はそこだけ、いいね。」
「はいっ。」
力が満ちてくる。
「一撃で決める。そして、オレとアンタで里に帰るよ。」
答えるかわりにイルカは、肩に置かれたカカシの手に己の手を重ねた。カカシが力強く頷いた。
「よし、行こう。」
「はいっ。」
二人は一気に駆け出した。
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