その22
 
 
 

もちろんイルカにはわかっている。銭袋と一緒にこの札を渡されたとき、火影から聞かされた。

「はい、三代目はあなたが術を身の内に取り込むわけにはいかなくなる状況も考えておられましたから。」

何もなければ、数日動けないカカシをイルカが介抱して連れ帰ればよかった。だが、他里の忍に気付かれた場合には、写輪眼のカカシは追っ手をねじ伏せ術を里まで持ち帰らなければならない。つまり、カカシ以外の何かに術を封印する必要が出てくる。

「オレを依り代にして術を札に封印してください。それがオレの任務です。」

強大な力が流れ込むのだ。普通の中忍であるイルカに耐えられるはずがない。おそらく、術の封印とともにイルカは命を落とすだろう。

「オレは己の任務を全うします。」

絶対に裏切らず、しかもいざという時にはその身を犠牲にするのをためらわない、そんな人物がサポートに必要だったからこそ、火影はイルカを選んだのだ。

『あやつは鼻が利く。巧く立ち回っておるようじゃ。よもやこの札を使うことなどあるまいて。』

イルカに札を渡しながら漏れた火影の呟きは、半ば祈りにも似ていた。今ならよくわかる。三代目はカカシの情の深さをよく知っていたからこそ、安易に札を使う事はないと信じた。そして…

「だめだ、その札は使わない。アンタ、死んじゃうんだよ、それ使ったら。」

バン、と畳にカカシは両手を叩き付けた。青と赤の瞳が燃え盛る炎のようだ。イルカはしばしそれに見惚れた。

「オレが何とかするって言ってるでしょ。つまんないこと考えるんじゃないよ。」

カカシは膝前に差し出された札を掴むと火遁でボッと燃やしてしまった。

「ほらね、やっぱり…」

イルカは苦笑いする。

「火影様がアンタにこの札、預けなかったわけだ。」

そして、懐から同じ札を取り出した。カカシが目を見開く。

「貸してイルカっ。」
「だめですよ。」

ピッとカカシから札を遠ざけるイルカは、中忍ではない、いつもの顔に戻っている。

「上忍命令、札をオレに渡して。」
「やなこった。こんな時だけ上司面すんじゃねぇ。」
「じゃあ腕ずくで、恨みっこなしだよ。」

殺気だって片膝たてたカカシの胸に、イルカはドン、と札を突きつけた。

「カカシさん、アンタがそんなんだから、火影様はオレに札を渡したんです。オレがアンタの背中を押すようにって。」

そのままカカシを見上げる。カカシの瞳が戸惑ったように揺れ、そのことにイルカは安堵した。カカシの瞳は今、ちゃんとイルカを映している。

「このまんまじゃ共倒れだってのに、自分からコイツを使うなんて出来ないんでしょ。アンタ、写輪眼のカカシのくせにダッメダメですからねぇ。遊び人だしだらしねぇしチャラチャラしてるし…」

ぐっと目に力を込めてカカシを睨み上げた。

「オレらが失敗したら、この世はまた戦、戦の火の海だ。だのに中忍一人、駒に使う事もできねぇって、情けねぇぞ、はたけカカシ。」
「イルカ…」

カカシはどこか呆然とイルカを見つめている。

「オレは死にゃしませんよ。」

イルカはカカシを見上げたまま、へへ、と笑った。

「こう見えても結構しぶといんです。だからこの任務に選ばれたってくらいで。」

赤と青の澄んだ瞳がちゃんと自分を見ている、それだけで胸が満たされる。唐突にイルカは理解した。

あぁ、オレ、この人の事、好きなんだ。

フラフラと勝手に遊び回るカカシの後を追いかけてツケを払ったり無駄遣いに腹を立てたり、そんな日常の中でいつのまにか惹かれていた、この人がみせる優しさや情の深さや寂しさに。イルカは札を突きつけたままのカカシの胸にとん、とおでこをつける。明日死ぬとなった時に気付いた己の恋心、このくらいは許して欲しい。

「オレはただの中忍でさ、ホントはアンタにこんな無礼な口、叩ける立場じゃねぇけどさ、今は弟って役割だし、ちょっと生意気言わせてくれよ。」

カカシはじっと動かない。

「アンタね、ほっとけないんですよ。写輪眼のカカシな〜んて二つ名持った忍だからどんなすげー人かと思ったら、なんてこたない、ただの寂しがり屋さんじゃないですか。ったく、オレとあんま違わねぇ若造のくせ、人生諦めたような目ぇ、すんじゃねぇ。」

ぴく、とカカシの肩が揺れた。わかりやすいなぁ、とイルカは笑う。

「カカシさんのさ、心から笑った顔、見てぇって玉丞さんが言ってたよ。アンタに今までどんなことがあったのか、何でアンタがあんな空っぽな目ぇすんのかわかんねぇ。でもさぁ…」

ぎゅっとイルカはカカシの着物を掴んで顔を埋めた。

「生きてりゃこれからいいこともあるに決まってる。オレが保証するから、だからさ…」

あぁ、泣きてぇ…

イルカはカカシの胸元を掴む手に力を込めた。

なんて人に恋しちまったんだろう。100パーセント見込みのない恋なんかして、馬鹿じゃないのかオレは。今更想いを告げる気はない。だげど、オレが死んでもこの人には…

「ちょっとくらい、世の中捨てたもんじゃねぇって思い直してくれよ、周り、見回してくれよ、アンタを本当に大事に思ってる奴らのこと、気付いてやってくれよ。」

イルカは一度グッと顔を押し付けると、腕を突っ張って体を離した。目の前の秀麗な顔にニカッと笑ってみせる。

「たまには弟の言うとこ、ちゃんと聞け、クソ兄貴。」
「イル…」

カカシが何か言う前にイルカは立ち上がった。これ以上顔を合わせていると、何を口走るかわからない。

「んじゃ、オレ、もう寝るから。さ〜体力温存温存。」

カカシに背を向け、自分の寝所に足早に向かう。イルカ、とカカシの声がしたが、イルカはそのまま寝所の障子を閉めた。胸が詰まってどうしようもなかった。


 
 
 
鈍ちんイルカ、やっと自分の気持ちを自覚。そして行き当たりばったりで思いついたこの札のエピソード…わははは〜