イルカはぽかんとカカシの手元をみた。そこにあるのは銀細工の見事なかんざしだ。
「これを?」
「うん、これ、オレの死体が握ってるから、女に渡してアンタ、こう言うんだーよ。『これを静さんに渡すんだって兄は楽しみにしてました』ってね。」
「はぁ〜?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「何でそんな手のこんだこと…直接自分で渡せばいいじゃないですか。」
「な〜に言ってんの。死体が握ってるからより感動するんでしょうが。アンタ、自分の任務、わかってる?愁嘆場は盛り上げるもんなのよ。」
「愁嘆場ぁ?」
カカシの言葉に開いた口が塞がらない。
「愁嘆場って、アンタこそ何考えてんですかっ。」
「ん〜?どうやって綺麗に幕引きするかなぁってこと。」
「なんだそれっ。」
イルカはムッとした。自分たちは確かに忍だ。街の人々や静さんに偽りの姿を見せている。だからといって、これは芝居やテレビのドラマではない。あの人達は自分の人生を歩いているのだ。かりそめとはいえ、その人生に関わっておきながら、カカシの態度はいったい何だ。
「アンタ、そんなにカッコつけたいんですか。より感動するって、なんだよ、その言い草。」
思わず怒鳴ると、カカシはきょとん、とイルカを見た。
「何怒ってんの、イルカ。オレは単に『うみのカカシ』の人生に幕を引くだけでしょ。」
「分身で死体まで作って、しかもかんざしでお涙頂戴?はっ、そんなにいい人やりたいのかよ。『うみのカカシ』はとってもいい人でした、ってか?」
「そうだよ、いい人で『カカシ』は死ぬんだよ。」
悪びれずに言い放つカカシにカチン、とくる。
「へぇ…」
つい嫌みが口をついて出た。
「ふらふら遊び回るろくでなしが最後はきっちり涙と感動で締めくくってドロン、ですか。流石、皆の憧憬の的、写輪眼のカカシさんはたとえ草でもヒーローのままがいいんだ。」
言いがかりだというのはイルカにもわかっている。『うみのカカシ』は目立ちすぎた。死によって抹消した方がいい。だが、ここまで徹底した愁嘆場を用意されると、かえってこの街で過ごしたすべてを軽んじている気がしてイルカは悔しい。
「忍は、草は、相手をたばかってなんぼですからね。最後まで街の人達や静さんを手の平の上で踊らせるってわけですか。」
そのままカカシを睨みつけるが、嫌みをいわれた当の本人は相変わらずきょとんとしている。
「だって静が可哀想じゃない。」
「……は?」
「だから、盛大に愁嘆場やってやらないと、お静が可哀想でしょ。」
イルカは目をぱちくりさせた。静が可哀想だからとはどういうことだ。カカシにふざけた態度は微塵もないから、真面目にそう言っているのだろう。
「………あの〜。」
わけがわからなず目で問いかけると、カカシはしゃらしゃらと銀細工のかんざしを揺らした。
「ほら、お静はあんな女だからね、オレが賭け事で儲けた金じゃな〜んにも受け取らないわけよ。」
お静さんならそうだろうな、とイルカは納得する。あの人は何につけても一人でしゃんと立つ人だ。カカシはへらり、と笑った。
「その遊び人のカカシさんがよ、汗水たらして薬草摘んで、その金でかんざし買ってやったってなると、それだけで泣けるじゃない?」
「そりゃまぁ……って、アンタが摘んだんじゃないっ、オレだろオレっ。アンタ、センブリしか摘んでなかったじゃないかっ。」
「そりゃ置いといて。」
「置くなっ。」
思わず怒りで話がずれたイルカをまぁまぁとカカシは宥める。
「しかもよ、カカシさんは死ぬわけだ、誠意のこもった贈り物を握りしめて。女にとっちゃ最上の愛の形だと思わない?」
「そんな…」
イルカは戸惑った。
「でも、そんなことしたら、かえって残酷じゃないですか。静さんはアンタを忘れられなくなっちまう。静さんのためを思うなら、手ひどく裏切るなり捨てるなりしてアンタが泥かぶってでも思い切らせた方が…」
静はカカシを心底愛している。態度は素っ気ないが、端で見ていればよくわかる。黙ってカカシをイルカとともに都へ帰すつもりでいるのも、カカシを想えばこそのことだ。そんな女にかんざしなんか残して死んだら、一生静は独りをとおすかもしれない。だが、カカシはイルカの目の前でちっち、と人差し指を振ってみせた。
「女をわかってないねぇ、イルカは〜。ま、若いからしょーがないけど。」
アンタと一つしか違わねぇよ、と言いたかったが、見た目はもとより、経験値が随分違いそうなのでぐっとこらえる。カカシはにんまりすると、イルカの肩を抱いた。
「うわっ。」
体を引こうとすると反対にグッと抱き寄せられた。どうも最近、カカシはスキンシップ過剰だ。一瞬でも狼狽えたと知られたくなくて俯いたイルカの耳元にカカシは息を吹き込むように囁いた。
「覚えときなよ、イルカちゃん。女と綺麗に別れたきゃ骨の髄まで愛してるふりをすんの。ヘタに傷つけると、女はそっから動けなくなるからねぇ。」
「そっそれって不誠実なんじゃ…」
「誠実に人の一生ぶち壊してどーすんの。お馬鹿さん、誠実と自己満足は紙一重なんだーよ。」
「う…」
そう言われるとぐうの音もでない。だが、本当にそんな小手先が通用するのか。
「でっでもやっぱり、静さんは…」
「静みたいに裏切られたことのある女はね、そのまんまじゃ踏み出せないのよ。」
「え?」
思わずイルカはカカシの顔を見る。そこには軽い口調とは裏腹に、真面目な表情のカカシがいた。
「ま、世話にもなった恩返しってとこかねぇ。とにかく『うみのカカシ』は全身全霊で静を愛して死ぬわけだし、きっとまた、静は新しい人を好きになれるよ。」
イルカは思い当たった。何故フラフラ置屋だの料亭だのにカカシが繰り出しても、静は穏やかでいられたのか。カカシは信じさせたのだ。愛しているのは静だけだと、他にはけして目をむけないと。『うみのカカシ』が華やかな女性達の中で遊んでいたのは、ことさらそれを引き立たせるためだった。
「だから夕飯には必ず帰っていたのか…」
「ま、ね。」
「ったく、手が込んでるっていうか、アンタの方がオレの千倍お人好しじゃねぇか。よく写輪眼やってこれたな。」
ぼそっと漏れたイルカの呟きにカカシが苦笑する。
「いい人生じゃない。大事な人作って死ねる『うみのカカシ』は幸せもんだぁね。ホントのオレなんてな〜んもないまま死ぬんだから。」
一瞬、カカシの瞳に空ろな影がさしたような気がしてイルカはハッとした。
「あの…カカシさ…」
「さ、とりあえず薬草とって帰ろうか。」
スッとイルカから体を離し、このあたりは採り尽くしちゃったみたいだね〜、と呑気に言いながらカカシは草むらへ入って行く。イルカはただ突っ立ってその背中を見つめた。
なんもないまま死ぬって…?
何故そんな、自分の人生を諦めたようなことを言うのだ。写輪眼のカカシよ木の葉の誉れよ、と賞賛され憧憬を集める忍でありながら、自分には何もないなどと何故カカシは言う。
「なんで…」
気がつくと言葉が口をついて出ていた。
「なんでそんなこと言うんです。ホントのアンタはオレなんかが逆立ちしたって届かないほどすごい人じゃないか。」
草むらに屈んでいたカカシが立ち上がってイルカを見た。
「アンタ、望めばたいていのもの、手に入れられるだろ?何もないなんて、どうしてそんなこと言うんだよ…」
そこまで言ってイルカはハタと思い当たった。もしかしたらカカシは静を本当に愛してしまったのだろうか。写輪眼のカカシに人生を諦めたような言葉を吐かせるほど、静が大事なのだろうか。
「アンタ、静さんを諦めようとして絶望してんのか?でもそれ、実家に帰るとか何とか言って静さんを木の葉に連れて行きゃいいだけの話だろ?アンタならどうとでもできるはずだ。」
そう、本当にカカシが静を失いたくないと思っているのなら…
突然、イルカの胸がずきん、と痛んだ。何故、と己の痛みにイルカは戸惑う。だが、口は勝手にぺらぺらと動いた。
「カカシさんが静さんを愛してるんだったら、別に諦める必要なんかない。アンタ、写輪眼のカカシだろ?火影様だって少々の無理はきいてくれるし、なにより静さんはアンタを心底愛しているんだから。」
自分で言っていて胸が苦しくなってくる。切り裂かれるように痛い。
「任務が終わって本当のこと言ったって、あの人ならアンタを受け入れてくれますよ。他に身寄りもないって話だし…」
なんでオレはこんなこと言ってるんだ
「木の葉に連れていって所帯もてばいいじゃないですか。任地から嫁さん連れて帰ったなんて、写輪眼のカカシの武勇伝に微笑ましいエピソードが加わるってもんでです。」
なんでオレは辛いんだ、カカシさんと静さん、お似合いだってのに…
街での睦まじい二人の姿が脳裏に浮かび、イルカは全身が痛くなる。いつのまにかカカシがイルカの正面にたってじっと見つめてきた。堪え難くてイルカは足下に視線を落とす。
「里に帰って早速結婚式かぁ、はは、そしたらオレ、みんなから馴れ初めとか色々聞かれるだろうな。なんたって生き証人っていうか、案外すごいことかも、これ。」
「イルカ。」
静かにカカシがイルカの名を呼ぶ。その声すら聞くのが辛い。イルカは必死でしゃべり続けた。
「オレ、ただの中忍だから任務終わったらもうカカシさんとも会う事なくなっちまうけど、せめて結婚式くらい呼んでくださいよ。」
「イルカ。」
「やっぱ図々しいお願いですかね〜、でも静さんの晴れ姿、見たいじゃないですか。あ、もちろん、カカシさんの晴れ姿も…」
「イールーカっ。」
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