「さ、オレ達もかえろか。」
砂埃の先に車が見えなくなって、ぽんぽん、とカカシが支えていたイルカの両肩を軽く叩いた。夕方とはいえ真夏の日は長く、あたりは明るい。イルカは強い西日に目を眇める。
「はい…」
ぼんやりと答えたイルカの肩をカカシは抱いた。店の者達に片手をあげて挨拶すると、ゆっくりと歩き出す。俯いたまま歩くイルカの足下を砂埃が白く汚した。
「変わらないよ、イルカ。」
ぽそっと呟きが落ちてきた。ハッと顔を上げるとカカシの端正な横顔がある。
「着物が詰袖になって、島田結って、ただそれだけだ。お由は明日もここで暮らして、店の連中もいつもの仕事をして、何も変わらない。」
カカシはイルカの肩を抱いたままだ。その手のぬくもりがなんだか安心できる。
「明日もまた今日と同じだ。」
そう、今日はお由の水揚げ、幸吉屋がお祝い気分に包まれ、今夜の金でお由の借金が少し減り、ただそれだけだ。明日からはまた皆変わらぬ日常を過ごす。
「……はい。」
変わるのはオレ達だ…
イルカは再び俯いた。
もうすぐ術をカカシがとりこみ、任務が終わる。そうしたら人のいい『イルカ先生』も遊び人の『カカッさん』もこの街から消える。
そしてただの中忍とはたけ上忍になるんだ…
なんだか胸が詰まった。いつのまにか自分はカカシをこんなに身近に感じている。だがこの関係はかりそめなのだ。偽りの日常、かりそめの親愛、だのに、この人の手は何故こうも温かいのか。カカシの体温に胸が締め付けられる。任務が終わったらもう感じることもないカカシの温もり…
「何、泣いてんの?イルカ。」
慌てたような声が耳元にした。
「え…」
瞬きをすると、ぼろっと目から涙がこぼれた。
「イッイルカ?」
カカシが顔を覗き込んでくる。イルカは焦った。いつの間にか涙が出ている。
「なっ泣いてなんかっ。」
きまり悪くてぷい、とそっぽをむくイルカの目元をカカシが指で拭った。
「ほら、泣いてるじゃない。」
「ほっほっとけよっ。」
顔をそむけると肩を抱く手にきゅっと力が込められた。
「だーかーら、情を移すなっていったでしょ。んっとに世話がやけるんだから、イルカは。」
「泣いてねぇって。」
「はーいはい。」
そのまま抱き込まれるようにして往来を歩く。道行く人が妙な顔で自分たちを見ているのがわかったが、イルカはまだこの温かい手を感じていたくて離れる事が出来なかった。
ヤマユリの花を静はたいそう喜んだ。お前さんがアタシに花なんてねぇ、と目を細め、ヤマユリを床の間に活けた。
イルカは取ってきた薬草を水洗いして陰干しにした。カカシがそれを手伝ってくれた。採った薬草の中には、なかなか手に入らない珍しいものがいくつかあり、薬問屋に高く売れるな、とイルカは嬉しかった。少しはお金を貯えておかないと本当に一文無しになってしまう。
布団にもぐったのはもう深夜に近かった。イルカは横になりながら、今日一日を思い返す。
なんだか意外だったな…
山へ行ってよかったかもしれない。少しはカカシの心に触れることができたのだろうか。あの人は、何も映さないような目をするけれど、その奥には柔らかい気持ちが隠れているような気がする。置屋へ薬を届けに行く自分を引き止めたのも、カカシの優しさからだろう。カカシはお由の水揚げが今日だと知っていた。結果的にその場に立ち会えてよかったと思うが、カカシが肩を支えてくれていなければ、自分は何を口走ったかわからない。
明日、お礼言わなきゃ…
カカシに礼をいって、それからお由のために宿題を作ってやろう。二日か三日くらいしてから訪ねていって、そしていつものように勉強を教えよう。自分が変わらない日常でいることが、少しはあの子の助けになればいい。
「オレも修行が足んねぇなぁ…」
イルカはふと、涙を拭ってくれたカカシの指の感触を思い出した。どきん、と鼓動が跳ねる。自分を心配そうに、困ったように覗き込む赤と青の綺麗な目、急に胸がどぎまぎしてきた。
「カッカッコ悪かったしな、オレ。」
熱くなった頬をごしごしとこすり、イルカはがばっと布団をかぶった。
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