バン、と頬が鳴った。
「……え?」
イルカに叩かれたのだ。会場中がシンとなった。皆の目が集まる。当然だ。普段仲が悪いとはいえ、一介の中忍が里を代表する上忍の頬を叩いたのだから。呆然とイズモは叩かれた頬を押さえた。それをきっかけに周囲が騒然となる。噛み付いたのはくノ一達だ。
「きゃあ、カカシ、大丈夫?」
「ちょっと、はたけ上忍に何てことすんのよ、この中忍っ。」
「生意気っ。誰に向かって手ぇあげてんのっ。」
だが、イルカは周囲のくノ一など目に入らない様子でギリリ、とカカシ、つまりイズモを睨みつけてきた。
「こんなまどろっこしい手ぇ使いやがって。」
「えっ。」
嫌いな奴に同情から女あてがわれたとでもおもったのだろうか。それにしては様子がおかしい。
「さっきからオレを試すようなことばっかり、アンタの食べ物の好みをオレが間違うわけないだろっ。」
「はっはぁ…」
話が見えない。
「だいたい何だよ、こんなとこで素顔になって。」
「はい?」
素顔になっちゃいけなかったのか。でもなんで?
イルカはじわり、と目を潤ませた。
「オレの目の前で女はべらせて、嬉しいかよ。」
だからいったい何〜〜っ?
どうリアクションすればいいのだ。モテ男への嫉妬とは違う気がする。
うわ、イッイルカッ、何故泣く〜〜っ。
あの男気に溢れたイルカの黒い目からぽろりと涙がこぼれおちた。イズモはもうパニックだ。
「気持ち悪い中忍ね。」
「アンタ、もしかしてカカシのこと、好きなの?」
「サイッテー。」
女達がイルカとの間に割り込んで壁を作った。
「アンタみたいなもっさい男に好かれたってカカシは迷惑なの。」
「身の程わきまえなさいよ、変態。」
イルカを罵りながらイズモにしなだれかかる。
「安心して、カカシ。アタシ達が守ってあげる。」
「はたけ上忍、あっちで飲み直しましょうよ〜。」
「こんな変態、ほっときましょ。」
マズイ。
パニックになりながらもこの状況が最悪なことだけはわかる。これでますます仲が悪くなっては、カカシに変化するなどと命知らずなことを敢行した甲斐がない。
「ほっ火影様…」
イルカの後ろでやはりあんぐりと口を開けている綱手にイズモは助けを求めた。ここは火影の権威で女達を蹴散らしてもらうしか道はない。
「火影さ…」
ササッ。
目がそらされる。
「つっ綱手様っ?」
サササッ。
うそっ、聞こえないふり?
綱手はテーブルの方へ向いて酒を飲み始めている。知らぬ存ぜぬを決め込む気だ。間違いない。
っつか、オレは生け贄っすかぁぁぁっ。
こうなったらイズモも必死だ。ほとぼりが冷めたら、また仲良くさせろだの何だのと難題を押し付けてくるのは目にみえている。
どうせ捨て駒ならば自力で生き抜く道を探さねば。
イズモとて中忍、伊達に死線はくぐっていない。
まぁ、女に恨まれるのははたけ上忍だし。
中忍は処世術に長けているのだ。
中忍魂、見せてやるぜ。
腹を括ったイズモはゆったりとした動作で女達を体から引きはがした。
「ん〜、君達、あんまりこの人に失礼な事、言わないでくれるかな。」
「えっ?カカシ?」
「はっはたけ上忍?」
女達がぽかんとなった。そりゃそうだろう。美女ぞろいのくノ一達は、まさか自分達がないがしろにされるとは思っていない。
あ〜、もったいねぇなぁ。
豊かな胸や尻が名残惜しい。もうちょっと触っておけばよかった。だがまずは己の生命線確保だ。イズモはイルカのほうへ一膝進んだ。
「ごめんね、イルカ先生。嫌な思いをさせちゃったね。」
「カカシさん…」
見上げてくるイルカの目には涙が一杯にたまっている。
……だから何故泣くイルカ
コイツって泣き上戸だったっけ、と首を傾げながらイズモは微笑みかけた。
「正直に言うとね、今夜はオレ、イルカ先生とゆっくり話がしたくてここへきたの。」
極上の笑みを向ける。これでかなりポイントを稼げるはずだ。
「無礼講の飲み会だってきいて、それなら気軽に話せるかなって思って、一生懸命任務終わらせました。」
ふふ、と肩を竦めてみせる。イルカのために任務を終わらせたと、それくらい特別に考えているのだと匂わせたら、イルカだって悪い気はしないだろう。なんといっても里の英雄である写輪眼のカカシなのだ。ここで一挙に形勢立て直して、成り済まし任務を終わらせてしまえ。ところが、喜ぶかと思ったイルカの顔はみるみる青ざめていった。
「ゆっくり話って…ここで…?」
「え?えぇ、いい機会ですし…」
イルカが息を飲むのが聞こえる。イズモは焦った。また何か地雷を踏んだのか?
「ほら、オレ達、あんまり互いを知らないっていうか、せっかく共通の子供達を育てたのにそれじゃ寂しいでしょ。オレもね、普段の態度をちょっと反省したりなんかして、だから先生とは一度じっくり飲みながら話をね。」
一生懸命話すほどイルカの表情は強ばってくる。何だ、何がいけないんだ。
「えっと、だから…その…イル…うわわっ。」
いきなり胸ぐらを掴まれた。
「イイイイルカ先生?」
「何がゆっくり話をだ、しらじらしいっ。」
「ええっ?」
目の前のイルカは憤怒の形相だ。
「言いたいことありゃ二人っきりの時に言えばいいじゃねぇかっ。」
くしゃり、と悔しそうに顔が歪んだ。
「わざとらしく素顔みせたり普段と違うもの食べたり、こんな他人ばっかのとこで何がゆっくり話だよっ。」
大粒の涙がぽろりとその目からこぼれ落ちる。
「えっえぇっ?」
イズモは目を白黒させて戸惑うばかりだ。
「あっあの、イルカ先生?何かごっ誤解して…」
最後まで言うことが出来なかった。突然、唇を塞がれたのだ。
ぎょええええええっ
いくら仲のいい友達だろうが、野郎とキスなんか嫌だ。だがイルカの手が首筋をがっちりと固定してきて、じたばたもがけどもはずれない。
たーすーけーてーーーっ
唇を塞がれたまま涙目で見回すが、周囲もあまりの展開についていけず呆然としている。ぬるり、と何かが歯に当たった。イルカが舌をいれてきたのだ。
いっや〜〜〜〜〜っ
パニックが頂点に達したとき、ドカッと大きな物体が投げつけられた。がったーん、と大きな音をたてテーブルが吹っ飛ぶ。
「イルカッ。」
鋭い声が響いた。すさまじい殺気だ。離れたイルカが驚いた顔で入り口を見つめている。そしてひっくり返ったテーブルの上に転がっているのはもう一人の『イルカ』、投げつけられた物体というのはこれか。
イズモはギギギ、と軋んだ音をたてそうな首を無理矢理入り口に向けた。そして己の死を見る。そこには悪鬼羅刹の形相の、はたけカカシ本人が立っていた。
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