週末はいい天気になった。
約束した時間より早めにカカシはカフェを訪れた。いつもの席を確保しようと思ったのだ。自分はイルカと会うのを思いのほか楽しみにしていたらしい。こんな気分は初めてだ。なんだか可笑しかった。
店員にカプチーノを頼み腰を落ち着ける。12月に入ってからケヤキの並木や店の周囲はクリスマスイルミネーションでキラキラしていた。街のあちこちから様々なクリスマスソングが聞こえてくる。なんとかという神様だったか、神様の子供だかが生まれた日のお祝いらしいが、火の国では宗教よりもお祭り気分だけが一人歩きして定着してしまった。それも悪くないとカカシは思う。皆が楽しく過ごせたらそれでいい。
神様絡むと話ややこしくなるしねぇ…
嫌なことを思い出しそうになってそれを頭から追い出した。せっかくイルカと会うのだ。過ぎたことを思い出してもはじまらない。飲み物が運ばれてきた。一緒にクリスマスツリーをかたどった小さなクッキーがついてくる。
「ちょっとだけサービスです。」
店員がにっこり笑った。
「今日はクリスマスイブですから。」
えっ?
今日はクリスマスイブだったのか。そうだ、12月24日だ。週末の土曜日とだけ思っていたので結びつかなかった。
「ヤバ…イブだよ。」
半ば強引に約束を取り付けてしまったが、クリスマスイブならイルカだって予定があるのではなかろうか。彼女とかいたらマズイ。イルカは律儀な性格のようだから、カカシとの約束を守ろうとするかもしれない。恋人達の一大イベントに水をさすような真似をしてしまったか。
「彼女とモメたらやばいよね…」
小さく呟いてから、全然ヤバイと思っていないことに気がついた。イルカはなかなか整った顔をしているし性格もよさそうだ。彼女くらいいるだろう。だが、そう思うと胸がもやもやしてくる。
「女いるかなぁ、いるよねぇ、あのウブそうなとこが母性本能くすぐるだろうし…」
イルカは来ないかもしれない。いや、来られない時はお互い連絡しようと式を渡した。あの時は急な任務が入った時に備えたつもりだったが、そうだ、恋人と過ごすクリスマスイブというのをすっかり失念していた。カカシは空を見上げる。式の来る気配はない。イルカはこっちへ向かっているのか。そうだったらいい、イルカに彼女なんていなければいい…
「……って、アホかオレは。」
己の思考回路にカカシは目眩を覚える。これじゃまるで恋する乙女だ。
「いや、確かになんか可愛かったけど、なんつーか愛嬌あったけど、いやいやいや落ち着けオレ、男相手に何考えてる、気まぐれにも陰間茶屋とか行った事ないし行きたいとも思わないしっ。」
陰間茶屋など考えつく時点で終わっているとはまだ気付いていない。
「とにかく、今日はゆっくり一緒にお茶飲んだらそれでいいし…ぅわっちぃっ。」
がぶりと飲んだカプチーノは泡の下がまだ熱かった。ゲホゲホむせていると頭上でピィィと鳥が鳴いた。暗部の緊急召集だ。カカシはこれ以上なく顔をしかめた。なにもこんな日に召集がかからなくても。
「なんか呪われてる気分…」
舌打ちしてチャクラを練る。もしイルカが来るとしたらそろそろ着く時間だ。イルカがカフェに来たら手元に行くよう式を仕掛ける。なんとなく直接式を飛ばしたくなかった。自分はよっぽどイルカにここへ来てほしかったらしい。
任務が終わったら木の葉の中でイルカを探してみようか。一緒にカフェへ出かけても良い。
それはとても魅力的な思いつきで、一気に気分が浮上したカカシは足取り軽く任務に向かった。
それから数年、悪化した情勢を収めるために里へ帰ることが出来なくなるとは、この時考えもつかなかった。
☆☆☆☆☆
「よぉカカシ、7班はあがりか?」
「ん〜、意外に早く脱走猫つかまえたからねぇ。もうおしまい。」
暗部任務で三年、その後里へ戻ってもすぐに外の任務に駆り出される生活が三年、カカシが上忍師として呼び戻された時にはすでに六年の歳月が流れていた。
「こんにちは、イルカ先生。」
「あ、お疲れさまです、カカシ先生。」
そしてあの時の中忍はアカデミー教師になっていた。しかも下忍達の担当上忍と元担任としての再会だ。しかしカカシは「はじめまして。」と挨拶した。六年前に会っていたことをおそらくイルカは気付いていまい。あの時は私服で素顔だった。
「あいつら、がんばってますか?」
「ま、猫の捕獲に関しては随分進歩しましたねぇ。はい、報告書です。」
現在、受付で挨拶をかわす程度の間柄だ。
「はい、結構です。」
報告書のチェックを終えたイルカが顔をあげにこりと笑う。軽く会釈してカカシは受付所を後にした。
笑顔は昔のままだなと思う。この六年、ふとした時にイルカの笑顔を思い出していた。過酷な任務につくほど鮮やかに浮かんでくる笑顔にカカシはいつも励まされた。たった一度、言葉をかわしただけの中忍が何故ここまで心に深く入り込んでいるのか、自分でも不思議だった。こういうのを一目惚れというのだろうか。
六年たって再会したイルカはしっかりした大人の男になっていたが、柔らかな空気と笑顔は変わっていない。やはり好きだと思う。忘れられなかった。六年経ってイルカへの想いはつのるばかりだ。
「しっかし、どうやって口説きましょうかね…」
イルカに恋人がいないのはリサーチ済みだが、至極真っ当な男性であるイルカを同性の自分が口説くのは至難の業だ。しかも女避けにうさんくささを演出してきたのがどうにも仇になっている。イルカも近づきにくいと感じているのだろうか。
ちょっと好感度あげる努力してみようかなぁ、とカカシは小さくため息をついた。
木の葉の里に新しく小洒落たカフェがオープンすると宣伝が入ったのは、木の葉崩しのゴタゴタが一段落した冬のことだった。任務の合間に立ち寄った上忍待機所にカフェのチラシが放ってあった。思わず手に取ってみる。場所は区画整理された地区の大通り沿いだった。クリスマスイブにオープン、ミニクッキープレゼント、と装飾文字が並んでいる。そういえば六年前にイルカと約束したのもクリスマスイブだった。あれ以来、任務にあけくれる日々が続いていたが、久しぶりにカフェに座ってくつろぎたい。
イルカを誘いたいな…
そう思った。しかし、イルカとの距離は相変わらず挨拶を交わす程度で全く進展していない。このままでは誰かにかっさらわれかねないと焦りだけがつのってくる。
「う〜ん、行きたいよねぇ…」
つい声に出たのと紅とアンコが連れ立って入ってきたのが同時だった。
「え、何?どこに行きたいのよカカシ。」
間が悪いというか、ついていない。美貌のくノ一は後ろからひょいとカカシの手元を覗き込んだ。そしてぶぶっと吹き出す。
「やだ、カカシってば、似合わない〜。」
「え、何よ何?」
肉感的な気の強い美女はカカシの手からチラシを奪い取る。そしてケラケラと笑い声をあげた。
「カフェですってぇ?アンタが?よりによってアンタがぁ?」
指差してまた笑う。カカシはむっつりと言った。
「オレだってカフェくらい行っていいでしょ。何がおかしいの。」
「だってだって、カカシがカフェだって〜。」
「やめなさいよ、アンタみたいにうさんくさい男が座ってたら女の子達が敬遠しちゃうわよ。」
「ほんっと、絶対営業妨害。」
ひどい言われ様である。
「アンタってさぁ、腕は立つけど近寄りたくない忍びランキングやったら絶対トップ3に入るって。ガイとイビキと並んでさぁ。」
アンコがシシシ、と笑う。
「せめて猫背なおしなさいよ。そんなんじゃいつまでたっても恋人できないわよ〜。」
キャラキャラと笑いながら紅がチラシを振った。それをひょいと取り返すとカカシはドアへ向かう。
「余計なお世話だぁよ。」
口でくノ一にかなうとは思っていない。早々に退散することにした。
結局任務だの何だのとイルカを誘う機会を逃し続け、クリスマスイブになってしまった。カフェオープンの日である。
昼のうちに任務を終えたカカシは、今度こそイルカを誘おうと決めて受付に向かった。受付のシフトは確認ずみだ。イルカは午後二時あがりでアカデミーは冬休み、そしてクリスマスイブだ。思いのほか臆病な自分がイルカと距離を縮めるためには今日しかないような気がする。
今日、カフェがオープンするそうなんですが、ちょっと行ってみませんか。
唐突だがここはストレートに言ってみよう。そして六年前に会っていることをほのめかしてもいい。とにかく今のままでは埒があかない。何度も口の中で誘い文句を転がしながらカカシは受付のドアを開けた。
「オシャレなカフェなんですよ。イルカさん、ちょっと行ってみません?」
柔らかい声が聞こえた。もちろんカカシのものではない。
「や、しかし、オレみたいな野暮ったい男と行っても。」
「私、カフェのこと聞いてからイルカさん誘いたいなってずっと思ってたの。」
「は、いや、あの…」
受付カウンターに座るイルカの前に数人の若いくノ一達が陣取っていた。その中の一人が盛んにイルカを誘っている。童顔で可愛らしいタイプだ。上目遣いにおねだりされたイルカは赤くなって狼狽えている。しまった、とカカシは焦った。誠実で穏やかなイルカは結構モテる。クリスマスイブに今まで木の葉にはなかったオシャレなカフェがオープンするとなったら、想い人に告白する絶好のチャンスである。イルカとの距離を詰めるきっかけ作りにしようと考えるのはなにもカカシばかりではなかったのだ。
「イルカさんのお友達とアタシ達も一緒にっていうのはどう?」
ためらうイルカにくノ一の友人達が攻勢をかけてきた。
「イルカさん、二時あがりでしょ。お友達誘って行きましょうよ。アタシ達もそのカフェ、行ってみたいし。」
「受付担当さん達との合コンでもいいわよ。」
美人のお誘いに二時あがりの受付職員達が色めき立つ。
「ね、イルカさん。」
カカシの出る幕はない。内心の落胆を押し隠しつつ、イルカの隣に座る受付担当に報告書を提出した。くノ一達に阻まれてとてもじゃないがイルカに近づけない。六年前といい、クリスマスイブは鬼門なのだろうか。
異国の神様に恨まれた覚えはないんだけどねぇ、と肩を落としたカカシがカウンターを離れた時だった。
「あ、カカシさん。」
突然呼びかけられた。イルカの声だ。
「待ち合わせ、カフェの前でいいですか?」
「……?」
くノ一達の向こうから縋るような目でこっちを見ている。わけがわからずぽかんとしているとイルカは満面の笑みをくノ一達に向けた。
「申し訳ありません。オレ、ちょっと卒業生のことではたけ上忍にご相談申し上げたいことがあって、約束していたんですよ。お誘いは本当に嬉しいんですけど。」
にこやかに、しかし有無をいわせぬ調子でイルカは言いきった。
「オレのことは気にせず今日は皆さんだけで楽しんでいらしてください。」
ひらりとカウンターをこえ、イルカがカカシの側へ歩み寄ってくる。申し訳なさそうな表情にカカシはあぁ、と理解した。積極的なくノ一達の誘いを断りきれず困っていたところに顔見知りの自分が現れたから、渡りに船とばかりに出任せの約束を言いだしたのか。強引なタイプはイルカの好みではないらしい。ホッとしつつカカシはイルカのウソにのることにした。
「ん〜、じゃあ、具体的な場所とかそこで打ち合わせましょうか。」
「はい、是非。」
あからさまにイルカは安堵の表情を浮かべる。くノ一達が凄まじい形相で睨んできたが、気にせずカカシはイルカと廊下へ出た。人気のないところへくると、ガバリ、とイルカは頭を下げた。
「申し訳ありません。口からでまかせで失礼なことを。」
相変わらず律儀な姿にカカシは口元を綻ばせる。
「ん〜、オレはかまわないけど、でもよかったの?結構可愛かったじゃない。イルカ先生にぞっこんみたいだったし。」
「からかわないで下さいよ…」
顔を上げたイルカが恨めしそうな顔をする。堪えきれずカカシは吹き出した。イルカは耳まで赤くなる。
「ひどいなぁ。」
「あぁ、ごめんごめん。」
立派な大人になってもこの人はどこか可愛い。そして今、こうやって素直な感情をイルカが見せてくれるのが嬉しかった。誘ってみようか。ウソからでた真、ってことで、勇気を出してカフェへ誘おうか。
「えっとね、イルカせん…」
「カカシさん、もしお暇なら本当にカフェ、行ってみませんか?」
「……え?」
目の前にイルカの大真面目な顔がある。
「オレ、二時あがりなんで、着替えてすぐ行きます。先にカフェで待っていてください。」
「あの…」
「それじゃ、失礼します。」
カカシの返事を待たずイルカは踵を返すと受付所の方へ走り去った。取り残されたカカシは呆然とそれをみやる。
「……イルカ?」
どこからともなく、受付棟の廊下にまでジングルベルの音が流れてきていた。
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