是清万華鏡8
     
     
 



「なんともひどい世界でやんすねぇ…」

カカシの肩に揺られながら子猫がしんみりと言った。

「あにさんの様子がおかしかった理由がわかりやすぜ。」
「ホント…」

イルカは恋人ではなく『世話役』だったのだ。だから召使いのような態度で、カカシの一挙手一投足にビリビリ反応したのだろう。

「なんかもう、裸エプロンとかいう気分じゃないねぇ。」

この世界のカカシはいったいどんなつもりでイルカを世話役に指名したのだろう。そしてイルカはどう思っているのだろう。考えると落ち込んでくる。暗い顔のカカシをちらりと横目でみた子猫がヒゲを揺らした。

「ま、でも、この世界のあにさんもカカッさんに惚れてんじゃねぇですかい?」
「そうかな…無理矢理じゃないのかな…」

そうあってほしいと思うが自信がない。なんたって受付やスーパーでの皆の反応は明らかにカカシを恐れていたではないか。くふ、と子猫が含み笑いを漏らした。

「手甲に頬ずりしてやしたぜ?」
「……あ。」

そういえば、影分身を外出させて様子をうかがっていたら自分の置いて来た手甲に頬を寄せ愛おしそうに名を呼んでくれたんだった。

「そこは自信持っていいのかな…」
「そんでもってこの世界のカカッさんもあにさんに惚れてやすよ。なにせ上忍のくせに世話役が一人、とか言ってやしたし。」
「そっそうかな…」
「カカッさん、自分のことでやしょうに。」
「そうなんだけど…」

すっかり弱気だ。子猫はケラケラと笑った。

「しっかしアレですぜ?この世界の殺伐したカカッさん、今頃あっしらの世界で何してやすかねぇ。案外、あにさんに無体でも働いてんじゃねぇですかい?」

カカシがぎょっとなる。

「ちょっ…」
「なんたって世話役でやんすからね。そりゃあ自分の意のままにってんで、ねぇ?」
「えええっ、そっそんなっ。」

狼狽え始めるカカシに子猫はますます楽しげに笑った。

「まぁ、あのあにさんがハイそうですかって素直に従うわきゃありやせんがね、って、ぴぎゃっ。」

がしり、とカカシは子猫を両手に抱えた。

「かっかっ帰るよ是清っ、イルカ先生が危ない、オレのイルカ先生の貞操がぁっ。」
「帰るって、んなわけにゃ、っつか冗談、冗談でやすって、カカッさん。」
「あぁ、どうしよう、こうしてる間にもオレじゃないオレの魔の手にイルカ先生、翻弄されちゃったりして、わ〜〜。」
「あっしをぶん回さないでくだせぇよっ。」
「子猫相手に何やってんだ、カカシ?」

じたばた騒いでいるところに野太い声がかかった。是清を両手に包んだまま顔を上げると、アスマがぽかんと立っている。

「アスマ?」
「あ?」
「お前、猿飛アスマ?」

すたすたと歩み寄るとカカシは髭を引っ張った。

「いでぇっ、何しやがるっ。」
「……アスマか。」

食って掛かろうとしたアスマはどこかぼぅっと自分を見つめるカカシに眉を寄せた。

「何だ、頭でも打ち付けたんじゃねぇか?カカシ。」

ガイとは違い、カカシの知っているアスマと違和感がない。

「ねぇ、アスマ…」

だがここはカカシのいた世界とは別次元の木の葉だ。恐る恐るカカシは切り出した。

「お前ってさ、世話役っていうか愛妾っていうか、そういうの、持ってるわけ?」
「はぁ?」

くわえ煙草を落としそうになったアスマは慌ててそれを指でつまんだ。

「何言ってんだ?」
「だから、お前には愛人がいるかって聞いてんの。」
「いるわきゃねぇだろ。」

呆れたように言われ、カカシはなんとなくホッと胸を撫で下ろした。内心、アスマまで愛人五人とか言われたらどうしようと思ったのだ。だが、次の瞬間、カカシの淡い希望は打ち砕かれた。

「猿飛んちは名門だからうるせぇってのはお前も知ってるだろうが。ちゃんと良家から正妻娶ってからじゃねぇと側室なんざ夢のまた夢よ、面倒くせぇ。」
「……やっぱアスマじゃない。」
「はぁ?」

がっくりうなだれたカカシにアスマは目を瞬かせる。

「……なんでもない。」
「お前、ホントに頭、大丈夫か?っつーかその猫、何だ?」

子猫が濃紺の瞳でじと、とアスマを眺めた。

「もう説明する元気もありぁせんや、行きやしょうぜカカッさん、こんな奴ぁ。」

ケッと吐き捨てる。

「紅姐さんにふられりゃいいんでさぁ。」
「なっ…」

目に見えてアスマが狼狽えた。

「ふ〜ん、こっちのアスマも姐さんにホの字ってわけね。」

思わずカカシも半眼でアスマを睨む。完全に八つ当たりだ。

「名門面するアスマなんぞふられて当然だぁよ。」

くるりと踵を返した。後ろでアスマが何やらあわあわしていたが放っておく。
ポケットに手を突っ込みカカシはふっと空を仰ぎ見た。そこにあるのは見慣れた木の葉の空だ。しかしここはカカシの属する世界ではない。
いつしか陽は傾いていた。家々から夕餉の仕度の匂いが漂ってくる。胸の奥がなんだか寒々としていた。寂しいでもなければ侘しいとも違う、妙な感覚だ。
カカシは駆け出した。今はこっちの世界のイルカであっても早く顔が見たかった。







イルカのアパートの階段を駆け上がると、カレーの匂いがした。カカシの世界と全くかわらぬイルカのアパート、部屋のドア、一瞬カカシは、このドアを叩いたらいつものイルカが顔を出すのではないかと期待した。このカレーの匂いがなによりの証拠で、ただいまとドアを開けたら『遅いッ』とイルカの元気な怒号、肉とジャガイモって言ったじゃないですか、どこで油売ってたんです?帰ってこないからしょうがなくオレ、買い物に行っちまいましたよ、ほら、早く手を洗って、テーブル片してくださいよ…

「おかえりなさい、カカシ上忍。」

ドアを開けたのは畏まったイルカだった。失望にしばしぼんやり目の前のイルカを眺める。

「カカシ上忍?」
「……カカッさん。」

べし、と子猫の小さな前足が頬を叩いた。

「あにさんが不安になりやすぜ。」

小さく囁かれ我に帰る。

「あ…あぁ、ただーいま、イルカせんせ。」

先生と呼ぶとやはり驚いた顔をする。もう一度小さく失望した。オレのイルカ先生じゃない。子猫がとん、と肩から飛び降りた。

「あにさん、今日はカレーの予定じゃなかったんでやしょ。さくら鯛があったんじゃありぁせんか?」

ちら、と上目遣いにイルカを見上げる。

「もしかしてあっしらが出かけてから買い物に行きやしたか。」

さっとイルカの頬に朱が走った。

「それは…」
「イルカせんせ?」

カカシが首を傾げると俯いた。

「カカシ上忍がカレーとおっしゃっていたので、もしかしたら召し上がりたいのかと…その…」

だんだん声が小さくなる。

「今までカレーとか…上忍にお出しするには失礼かと思っておりましたし…」
「え…」

愕然とした。そうだ、イルカは常々、自分はラーメンはもちろん、カレーだって定期的に食べないと禁断症状が出ると大騒ぎしていたのだ。それが今までカカシに気を使ってカレーを作っていなかったというのか。

「だって先生、月に一度は食べないと気が済まないって…」

うっかりそう言ってから慌てて口をつぐんだ。カレー中毒なのはカカシの世界のイルカだ。ここのイルカは別にカレー好きじゃないかもしれない。だが、イルカはハッと顔をあげた。

「なっ何故それをカカシ上忍が知って…」

ずきん、と胸が痛んだ。やっぱりこっちのイルカもカレー好きだったのだ。なのにカカシのせいで我慢して、こっちのカカシは何やっているのだ。
猛然と腹がたってきた。イルカに辛い想いをさせている自分、自分じゃないがこの世界の自分が許せない。思わずカカシはイルカを抱き寄せた。

「ありがと、せんせ。」
「じょっ上忍…」
「オレね、ホントはカレー大好きだから、月一で食べないとホントはダメなの。だから凄く嬉しい。」

ぎゅう、とイルカを抱きしめる。それから体を離し、どこかぼぅっとしているイルカに笑いかけた。

「手、洗ってくるね。テーブル片付けるからカレー、食べましょ。」

いつ帰れるかはわからないし、知らない世界での不安も大きい。だがここにいる間はイルカに笑顔でいて欲しかった。

 

一緒にサラダを作った。
テーブルを拭いた。
イルカのよそった皿を運んだ。
たったそれだけのことなのに、イルカは酷く戸惑った。それからとても嬉しそうに笑ってくれた。
この世界のオレ、なにやってたんだーーーーっ。



 
     
     
 

カカッさん、あまりにも違いすぎるこの世界にいささかキレ気味。そしてアスマは名門のお坊ちゃま。金角も定期的にカレー食べないと禁断症状がでます。ルーたっぷりが好きです。でもカレーにすると食べ過ぎてすぐ太ります…だめじゃーーーんっ…