外に出たカカシと子猫は同時に大きく息を吸った。早春の冷たい大気にふわりと梅の香がかおる。
「何だったんでやしょう…」
是清がぽつりと言った。
「うーん…」
カカシも眉を寄せる。
「まぁ、とにかく買い物すませて帰ろうか。イルカ先生、待ってるしね。」
「今日はカレーでやすよ、カカっさん。」
子猫が僅かに声をはずませた。
「カレールーの箱をあにさんが出してやした。やっぱり一ヶ月に一度はカレーでやす。」
木の葉で暮らし始めてから子猫の食の好みは格段に広がった。今は香辛料にはまっているらしい。
「猫はたまねぎ入ってたらダメなんじゃないの?」
「あっしに食えねぇものなんざありぁせん。伊達に二百年、化け猫をやってませんや。」
「苦手な餅も征服したしねぇ。」
「当然でやす。あ、カカっさん、スーパーでイチゴ大福買ってくだせぇよ。」
子猫は小さな舌でぺろりと口の周りを舐めた。
「イチゴロールもついでに買っときやしょうか。」
「お前ね、太るよ。」
受付所の違和感を振り払うように、一人と一匹は軽口を叩きながらスーパーへ足を向けた。
スーパー木の葉大門通店はイルカのいきつけの店だ。一緒に暮らし始めてからはカカシもよく利用する。しかし、こんな重苦しい空気が店内に満ちたことがあっただろうか。
今度こそカカシと子猫は途方に暮れた。なにせ、店に入った途端、居合わせた客達がぎょっとした顔で自分達を見たのだ。それから皆、一様に視線をそらし、そそくさと別の売り場に逃げ出した。そう、まさに「逃げ出した」のだ。
「……ねぇ、是清。」
「なんでやすか…」
「………オレ、何かしたっけ?」
「あっしに聞かねぇでくだせぇ…」
すでにカカシと子猫の視界に入る人影はない。今朝、任務帰りにこのスーパーに寄った時には、別段かわったこともなかった。それどころか、埃にまみれた忍服を見た店員が労いの言葉までかけてくれたというのに。
「…………買い物、済ませようか、是清。」
突っ立っていても始まらない。カカシは精肉コーナーで若鶏手羽元と木の葉牛の切り落としをカゴにいれた。鳥の骨からいい出汁がでるとイルカのカレーはいつもこの組み合わせだ。それからじゃがいもを入れ、菓子コーナーに向かった。特売品を探す気分ではない。『春のイチゴ祭り』で菓子をかったら早く帰ろう。
「……って是清、やってないじゃない。」
「あっあれぇ?」
菓子やパンを置いたコーナーにも、催し物ワゴンを置いたコーナーにも、どこにも『春のイチゴ祭り』など書いてない。
「そんなはずありやせん。あっしぁ今朝のチラシで確かに見たんでやす。」
「スーパー木の葉中央店の間違いなんじゃないの?」
「全店共通のチラシでやすよ。」
さかんに子猫は首をひねっている。
「う〜ん、イチゴ大福、出てないねぇ。」
カカシは隅で黙々と棚整理をしている店員に話しかけた。
「ねぇ。」
「ははははいっ。」
店員は直立不動の姿勢になった。
「はっはたけ上忍、何かございましたでしょうかっ。」
「あ…えっとねぇ…」
どうにもやりにくい。
「今朝のチラシにね、『春のイチゴ祭り』って出してた?」
「いいいいえっ、イチゴ祭りは来週の予定でして、もっ申し訳ありませんっ。」
店員はガチガチに緊張している。カカシは困って肩を竦めた。
「あ〜、ごめんね、オレの勘違いだったみたい。じゃ、イチゴ大福はまだ?」
「はっはいっ、申し訳ありませんっ。」
ペコペコと頭を下げ始めた店員に礼を言ってカカシは慌ててその場を離れた。何故こうも皆怯えるのだろう。そうだ、受付所といい紅といい、あの表情はカカシに対する怯えだ。
「オレが何したってのよ…」
釈然としないまま、カカシは豆大福と桜餅の詰め合わせパックをカゴに入れた。もう早く家に帰りたい。
「おかしいでやすよ、確かにあっしは今朝のチラシで見たんでやすから。」
子猫は子猫で、納得がいかず首をひねりっぱなしだ。
「帰ろ、是清。」
またもや店員に怯えられながらレジをすませ、カカシと是清は家路を急いだ。
「ただ〜いま。」
「あにさーん、帰りやした〜。」
「イルカせんせ〜。」
一瞬、台所にイルカの姿がないことにどきりとした。だが、すぐにカカシはホッと力を抜く。浴室で水を流す音がしているしチャクラも感じる。カレーの材料がなければ料理できないので、風呂掃除でもはじめたのだろう。
「あにさん、ちゃんといやすよ。」
子猫が小さく耳打ちしてきた。
「よかったでやすね、カカっさん。」
「なっ何言ってんの。」
イルカがいなかったらどうしよう、などと子供みたいな不安を感じたのが恥ずかしくてカカシは赤面した。変な目にあったせいか、なんだか日常の些細なところがずれているような奇妙さがぬぐえない。不安をはらうようにカカシは明るい声を出した。
「せんせ、聞いてよ。なんかおかしな目にあっちゃってねぇ。」
がさがさと買い物袋を探って和菓子をテーブルに置く。是清がぴょんと肩から飛び降りた。
「春のイチゴ祭り、やってなかったんでやすよ〜。虚偽の広告でやす、火の国広告機構にあっしぁ訴えやすぜ。」
大騒ぎしながら浴室に走って行く。
「おおげさだねぇ、お前は。」
ぷっと吹きながらカカシは肉のパックを冷蔵庫にしまった。
「あれ?」
チルド室にさくら鯛がある。
「せんせー、今日、カレーじゃなかったの?それともこっち先に食べてカレーは明日にする?」
浴室に向かって声をかけるのと、わぁ、という叫び声があがるのが同時だった。
「なっなんだこの猫、どっから入ってきた。」
ぴゃっ、という是清の悲鳴がしたかと思うと、イルカが浴室から出てきた。やはり風呂掃除だったらしく裾と袖を捲った姿で、是清の首ねっこをつまみ上げている。
「なにしやがんでぃ。」
「うわ、しゃべりやがった。なんだコイツ。」
それから顔をあげカカシに気付くと、さぁっと顔を青ざめさせた。
「あっ、おっお帰りになられていたのですか、カカシ上忍。」
「はいぃ?」
カカシ上忍、今、イルカは上忍と言ったのか?ぽかんとするカカシの前でイルカがおろおろと狼狽え始めた。
「あの、上忍の式が来たのでお帰りはもう少し後になると思いまして…」
あまりの衝撃にカカシは言葉が出ない。呆然とイルカを見つめたまま固まる。イルカがハッと是清を見た。
「この猫、申し訳ありません。すぐに追い出しますから。」
「ぴきゃーーーーっ。」
ぶら下げられた是清がジタバタ暴れはじめた。
「あにさんっ、正気ですかい、あにさんっ。」
イルカは問答無用で是清をつまみあげたまま戸口に急ぐ。
「カカッさぁんっ。」
ぴぃ、と鳴かれてカカシはやっと我に帰った。慌ててイルカの腕を掴む。
「ちょっちょっと待って、イルカ先生。」
びくん、とイルカの体が跳ねた。その隙をついて是清は床に降り立つ。
「酷いでやすよ、あにさんっ。」
「そうだよ、いったいどうしちゃったの、あなたまで。」
「賭けですかいっ、賭けしてんでやしょ、にしてもやりすぎでやすっ。」
「ねぇ、ホント、みんな変なんだけ…」
カカシは口をつぐんだ。
「イ…イルカ先生?」
イルカが蒼白になってぶるぶる震えている。思わず手を離すとイルカはそのまま踞った。
「イルカせ…」
「お許し下さい、お許し下さい…」
腕を顔の前で交差させイルカは震えている。
「お許し下さい、どうか…」
「あ…あにさん…」
途方に暮れカカシと子猫はただ顔を見合わせていた。
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