「んじゃオレ、報告書出してきます。帰りにお肉とじゃがいもね。他に必要なものある?」
是清を肩にのせてカカシはサンダルを履いた。バタバタとイルカが台所から出てくる。
「一応他は大丈夫なんで。あ、でも何か特売やってたらお願いします。」
「りょーかい。」
「あにさん、相変わらず貧乏性でやんすねー。」
カカシの肩の上の子猫がきぃきぃ声をあげた。
「カカっさんは高給取りなんでやすよ?せっかくあっしの尽力でいい婿迎えたんでやすから、ちったぁ贅沢っってもん、覚えてみちゃどうですかい。」
「お前のは自分が旨いモン、食いたいだけだろ。」
イルカにデコピンされて子猫はぴゃっと鳴いた。
「ちゃんと忍猫見習いのふりして、綱手様の用事もすませてくるんだぞ。」
「あっしに抜かりはありぁせんや。伊達に齢二百年、重ねてるわけじゃねぇんで。」
手の平サイズの子猫は胸をはる。
そうなのだ。この子猫、なりは生後十日ほどのチビ助だが、二百歳の化け猫である。ひょんなことから関わりを持ったイルカに恩返しをすると押し掛けてきたが、嫁取りをさせるはずが里の上忍、はたけカカシとの縁を取り持ってしまった。すったもんだの末にイルカとカカシは無事に結ばれ、務めを終えて帰らなければならないはずの化け猫も舞い戻ってきて、今では二人と一匹、仲良く暮らしている。
「カカっさんカカっさん、スーパー木の葉で春の苺祭りやってるはずなんでさ。」
子猫がぴょんぴょんカカシの肩の上で飛び跳ねた。
「三時のティータイムはイチゴ大福といきぁせんか。綱手のババアの用事なんざ一秒もありゃあ充分でやすし、夕食までまだ間がありやすぜ。」
去年のこの時期、子猫の正体を看破した綱手とモメた。そのとき、カッとなった子猫は「化け猫の呪い」を綱手の額に刻んだのだが、人からたっぷりの愛情を注がれ生涯を終えた猫に人を殺す呪法が使えるはずもなく、呪いの成就は賭け事の大当たりという結果を生んだ。以来、子猫は綱手のお気に入りである。今日も賭場に出る許しを貰った綱手は、呪印を刻んでもらうべく、嬉々として子猫を呼んだのだ。
九尾の事件以来、妖獣の類いに敏感な里人を刺激しないよう、一応子猫のことは『カカシの忍猫見習い』という扱いになっている。そのおかげで子猫は自由に里を動きまわれるようになった。ただ、自分で歩くより、イルカやカカシの肩に乗って移動する方が楽しいらしい。今日も深夜に終えた任務の報告書を出すというカカシの肩にのって受付所へ一緒に行く。肩に乗ったまま買い物をするのも子猫のお気に入りだった。
「イチゴロールも捨てがたいでやんすが、今日はイチゴ大福の気分でやす。」
「ボロ、お前、餅系は歯にくっつくって苦労してたじゃねぇか。」
「あっしの名は千手院是清って、何度言やあ覚えるんですかい、あにさんっ。」
きぃきぃと子猫が抗議した。手の平サイズの化け猫は、灰色や茶のまじったボロ雑巾のような毛色なのだ。
「歯にくっつくのも一興、餅はあっしのマイブームでやす。」
「わかったわかった、カカシ先生、イチゴ大福お願いします。それとその苺祭り、他にも美味しそうなものがあったら。」
「イルカせんせも食いしんぼだからね〜。」
ちゅ、とイルカの頬にキスをしてカカシは口布を引き上げた。
「じゃ、すぐ戻りますから。」
「いってらっしゃい。」
カンカンと音をたててイルカと暮らすアパートの階段を降りる。梅の香りがふわりと漂った。アパートの先にある公園の梅が満開だ。
「是清、明日のお天気は?」
「晴れやすぜ。」
カカシの肩の上で子猫は気持ち良さそうに目を細めている。
「二人とも休みだし、明日は弁当持って梅の花見にでも行く?」
「そりゃあ名案でやす。」
きぃきぃ声で子猫が喜んだ。
「そうと決まりゃあ、気合いいれておやつを仕入れやしょう。」
ぴょんぴょんと是清はカカシの肩で飛び跳ねた。いつものことながら、こういうとき、カカシはじんわりと幸福を噛み締める。イルカや子猫の喜ぶ姿はカカシの胸をいつも温かくしてくれた。
「弁当のおかずもね。」
「卵焼きは甘めでお願いしやす。」
「はいはい。」
「ソーセージはあらびきでやんすよ。」
「はいはい。」
弁当のおかずの話をしながら梅の古木が白い花を咲かせている公園の角をまがった時だ。ぐらり、と地面が大きく揺れた。
「うわっ。」
下から突き上げられるような衝撃にカカシは思わず地面に這った。
「じっ地震でやすぅっ。」
化け猫のくせに情けない声をあげて是清がカカシの頭にしがみつく。揺れはすぐに収まった。カカシはホッと息をつく。
「ひどい揺れだったねぇ。」
立ち上がって周りを見回す。相当揺れたと思ったが、周囲の家々に大きな被害はなさそうだ。飛び出してくる人もいないし、窓が割れたとか瓦が落ちたとか、そういう様子もなかった。
「結構建物、頑丈なのかね?」
上忍の自分が立っていられないほどだったのに。
「カカっさん、足腰弱ってるんじぁありぁせんか?」
きぃきぃ子猫が笑った。
「お前ね、これでも現役よ。」
頭をちょい、と突ついて受付所へ急ぐ。外から見えなくても建物の中はひどいかもしれない。となると、里にいる忍び達に召集がかかる。状況によっては帰れないので一応イルカに式を飛ばしておいた。
受付棟も途中にあるアカデミーの校舎も全く変わりなかった。物が落ちたり壊れたりした形跡もない。
「変わりありやせんねぇ。」
子猫も首を傾げている。
「まぁ、被害がないのはいいことだよ。」
カカシも首をひねりつつ受付所のドアを開けた。途端にざぁ、と固い空気が流れた。
「ん?」
不思議に思って見回す。受付所にいる忍び達は全員、妙に強ばった表情で俯くか他所に目をやっていた。
「どうしたんでやしょ。」
子猫も戸惑ったように見回した。いつもなら是清が受付所に来ると猫好きな忍び達が撫でにくるというのに、今日は皆体を強ばらせ雑談すらしていない。
「お前、まさかバレたんじゃ…」
是清は化け猫である。九尾以来、里人は妖獣に敏感だ。だから忍猫見習いと誤摩化しているのだが、もしバレたら一騒動起こってもおかしくない。
身を縮める是清の頭を撫で、カカシはカウンターに歩み寄った。幸い、座っているのはイルカと仲のいい同僚、カンパチだ。さっぱりした気持ちのいい気性の男でカカシはこの男を気に入っていた。はじめはしゃちほこばっていたが、カカシが頻繁に話しかけたり、イルカ関係の頼み事をするせいで、今ではすっかりなじんでいる。彼に聞けば何かわかるかもしれない。
「これお願い。」
ひらり、と報告書を出す。
「さっきすごい地震だったね。別に被害はなかった?」
「じっ地震ですか?」
「オレ、思わずコケてね、いや、すごかった……どしたの…?」
目の前の中忍の顔色は蒼白だ。途方に暮れた目でカカシを見ている。
「ちょっと、真っ青じゃない。大丈夫?」
「いっいえ、申し訳ありません、すぐに報告書の処理をいたしますので。」
わたわたとペンを取るがその手がぶるぶる震えている。
「カンパチの旦那ぁ。」
ぴょこん、と是清がカウンターの上に飛び降りた。
「随分景気の悪い顔じゃありぁせんか。なんぞあったんで?」
ちょこりと顔を覗き込む。中忍は飛び上がらんばかりに驚いてガタン、と椅子を鳴らした。カカシはヒヤリとした。やはり是清が化け猫だとばれたのだろうか。だが、次の瞬間、その疑念は消えた。蒼白な顔のままカンパチがカカシを見る。
「はっはたけ上忍、この子猫はいったい…」
「へ?」
カカシと是清は顔を見合わせる。
「はたけ上忍の忍猫でいらっしゃいますか?しっ失礼しました。」
ガタガタと椅子を戻しカンパチは報告書に印をついた。
「けっ結構です。おっおっお疲れさまでした。」
ガバ、と頭を下げられてカカシはこれ以上話しかけることが出来ない。
「え〜っと…」
助けを求めるように周囲に目をやれば、皆俯いてしまう。ごそごそと是清がカカシの肩によじのぼってきた。
「カカッさん、罰ゲームでやしょうかね。」
確かに、受付所中が変な雰囲気だ。
「あぁ〜、まぁ…」
とりあえず戻るしかあるまいとカカシは肩を竦める。
「あ、そうだ。五代目はどこ?」
頭を下げたままのカンパチに声をかけてみた。もともと、是清を受付所に呼びつけたのは五代目だ。
「ほっ火影様は都からまだお戻りになっておりません。今夜里へお着きになると先程連絡が。」
「都〜?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「そんな話、聞いてなかったけど…」
「もっ申し訳ありませんっ。」
何が申し訳ないのかわからないが、これ以上怯えるカンパチに声をかけるわけにはいかず、首をひねりながらカカシは踵を返した。妙な雰囲気に是清も口をつぐんだままだ。その時、からり、と受付所の扉が開いた。
「あれ、姐さん。」
入ってきたのは夕日紅だった。カカシはホッと息をつく。紅とは飲み友達だ。この妙な雰囲気、彼女ならば何かわかるかもしれない。
「や〜、よかった。よかった。」
ぶんぶんと手を振りながらカカシは紅に歩み寄った。
「待機所に行こうかと思ってたけど手間省けたよ。ちょっとなんか皆変でしょ、ゲームかなにかやってんの?それとも…」
そこまでしゃべってようやくカカシは紅の様子に気がついた。口を一文字に引き結んで固く手を握りしめている。紅のぴりぴりとした緊張がこちらの皮膚まで伝わってくるようだ。
「姐さん…?」
「はたけ上忍、私に何か御用でしょうか。」
ずざざざーーーっ
カカシは思わず後ずさった。
はたけ上忍?あの紅が、カカシと呼び捨てにして人に酒を平気でたかる魔女がはたけ上忍?
「ねねね姐さん?」
是清とカカシは一緒に体を震わせた。
「何、はたけ上忍なんて、気持ちわるっ。」
殊勝な紅なんて怖すぎる。
「敬語使ったっておごらないよ、っつか姐さん、姐さんまでなんかの罰ゲームとか?」
だが、紅は心底驚いた顔でカカシを見つめる。それからひどく不安げな表情を浮かべた。
「あの、はたけ上忍、わたくし、何か失礼でも…」
「しっ失礼って、姐さんが?怖い物なしの姐さんが失礼でもって…」
カカシは絶句する。いったい何の冗談なのだろう。
「カカっさん、いったん帰りやしょう。こりゃあ妙なんてもんじゃあありやせん。」
子猫が耳元で小さく囁いてきた。
「だいたい、超らぶりぃなあっしを姐御がかまわないってのがおかしすぎやす。」
超らぶりぃかどうかは置いといて、確かに、いつもなら是清をみると飛んできてかまいたおす紅が何一つ興味を示さないのはおかしい。カカシは固い表情を崩さない紅に肩を竦めると受付所を後にした。
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