ナルトは大はしゃぎだった。今まで親身に修行をつけてくれた者はいなかったらしい。
午前中一杯、あれこれ修行させたあと、昼飯は一楽のラーメンをおごってやることにした。特大味噌チャーシュー、と騒ぐナルトに苦笑いしながら、自分は塩を頼んでカウンターに腰を下ろす。
「でも、それにしてはお前、基本がちゃんと出来てるねぇ。」
向こうのナルトは滅茶苦茶だったのに、という言葉は飲み込んだ。ナルトはニシシ、と歯を見せて笑った。
「イルカ先生が毎日、補習してくれてたってばよ。」
「そう。」
頬が弛む。こっちのイルカもやっぱりイルカなのだ。
「じゃあ、今度はお前なりの術がつかえるよう、応用を中心にやっていくかな。」
がんばるってば、と胸を張るナルトが不憫で愛おしい。どうやったらこっちのナルトは仲間を見つけられるだろう。上忍師のシステムがないこの世界で、差別するような大人が隊長をつとめるチームが仲間意識を育てられるとは思えない。へい、おまち、と置かれた味噌チャーシューに夢中でとりかかるナルトを見つめていると、心配ばかりがつのってくる。
「カカシ先生、食べないんだってば?ソイツ、待ってるってばよ。」
ナルトが麺を口一杯頬張ったまま指差した。カウンターに降りた子猫がぷりぷり怒っている。
「ラーメンがのびちまいやすよ、カカッさん。早く取り分けておくんなせぇ。」
醤油を頼んだ子猫は、大人一人分くらいペロリと食べる化け猫だが、なにせ器が大きいので食べられない。
「あぁ、ごめんごめん。」
カカシは急いで小皿に麺とスープを取り分けた。カウンターの向こうから一楽のオヤジさんが呆れた顔で猫とカカシを眺めている。
「あ、こいつ、気にしないで。」
この世界のカカシは猫など連れていないのだから無理もない。誤魔化し笑いをすると、違う違うとオヤジさんは首を振った。
「いやね、こんなこと言うのもなんですが、はたけ上忍ほどの御方がうちみたいな店にいらして下さるってだけでも驚きなんですがね。」
ブッ
思わず塩ラーメンを吹いた。
「うわ、カカッさん、きたねぇでやんす。」
「ごっごめんっ。」
げほげほしながら口を拭いていると、オヤジさんは更に目を丸くした。
「はたけ上忍が猫に謝るってのも、いや、そもそも、里のトップ上忍が里長以外の者に謝るってことがあるのかい?」
「こっちのカカッさん、謙虚さが足りねぇでやんす。」
こそっと子猫が囁くのに激しく同意だ。全く、我ながらなんて嫌な奴だろう。
「でもオヤジさん、イルカ先生はここに来るでしょ?オレ、一緒にきたことなかったっけ?」
さりげなく聞いたつもりが、またひどく驚かれてしまった。
「イルカ先生がラーメン食べんの、カカシ上忍…カカシ先生が任務でいない時だってば。」
オヤジさんにかわってナルトが答える。
「……うそっ。」
「そういうの、遠慮してるっていうってばよ。」
あんなにラーメン好きなのに。
呆然とするカカシの下で子猫がメンマをかじりながら言った。
「こっちのカカッさんはナルトにラーメン奢ってなかったんですかねぇ。」
「こっち?」
「あっ、いや、なんでもない。」
カカシが慌てて手を振った。子猫もしまったと口を押さえ、それから知らん顔できぃきぃとおかわりを要求した。ナルトはずぞぞ、とラーメンをすすり、僅かに首を傾げる。
「カカシ先生はあんまオレに話しかけてはこなかったけど、心配してくれてんのはわかってたってばよ。」
え、とカカシと子猫が同時に目を見開く。
「オレがチビの頃から気がつくとカカシ先生、見ててくれたじゃん。オレ、知ってたってば。酷いことされそうになると姿、見せてくれたのは守ってくれてたんだろ?」
案外照れ屋だってば、とナルトは笑った。
「でもやっぱ、こうやって話、してくれるほうが嬉しいってば。」
鼻の奥がつん、と痛くなった。涙が滲みそうになる。
「見てるだけってのはもうやめたんだよ。」
ぼそり、と言うとナルトがきょとんと首を傾げた。
「お前のこともイルカ先生のことも。」
カカシはにこー、とする。
「ほら、チャーシューやる。食え。」
やりぃ、と喜ぶナルトを見つめ、カカシはこっちの自分をバカだと思った。大事なものは大事だと言えばいいのに、ちゃんと正面から守ってやればいいのに。バカな奴だ、バカで臆病だ。
たし、と小さな肉球が指を叩いた。子猫が紺色の目を細めている。
「ほい、食ってくんな。」
どん、と餃子の皿が目の前に置かれた。
「オヤジさん?」
「オレのおごりだ。はたけ上忍。」
テウチがうんうん、と強く頷いた。
「これを機会に次はイルカ先生と食べにきてくんな。こんな店だが味にはちったぁこだわりあるしな。」
「最高においしいですよ、オヤジさん。」
カカシはありがたく餃子をいただく。
「次はイルカ先生と一緒に来ます。オレ、恋人と一緒にラーメン食べるの、憧れなんですよ。」
テウチが嬉しそうな顔をする。ナルトはノロケてるってば、と笑った。少し勇気を出しさえすればこんな暖かい空間を持つことができるのに、手を伸ばそうとしなかったこっちの自分、腹が立つばっかりだったカカシは初めてこっちの自分を哀れだと思った。
昼食の後、陽が陰るまで修行をつけて、それから五代目のところへ行った。手っ取り早く済ませてまたイルカを迎えにいくつもりだ。カカシを見ると五代目は苦虫を噛み潰したような顔をした。理由はわかっているので何も言わない。しかし謝る気もない。綱手はふぅ、とため息をついた。
「たった三日で随分引っ掻き回したもんだね。」
「オレは普段どおりのこと、してるだけですよ。」
しれっと言い放つ。
「他に何かありますか?オレ、イルカ先生迎えにいかなきゃ。」
綱手がますます眉を寄せる。
「向こうじゃお前、そんなことしてるのかい?」
「当たり前です。不規則なオレと違ってイルカ先生の予定はある程度決まってますからね。一緒に帰れる時間は大事にしなきゃ。残業のときはご飯作ってあげなきゃだし。」
「今日はオムライスでやんす。」
子猫が元気な声をあげた。
「卵にケチャップでハートを描くんでやす。あっしのにぁラブリイなあっしの似顔絵でやすよ。」
「……勝手にしな。」
五月蝿そうに綱手はシッシッと手を振った。
「変わった事があったら報告するんだよ。明日も一応顔、出しな。」
「テンゾウが報告するでしょうに。」
それから天井を見上げる。
「ねー、テンゾウの分もオムライス作ってやろうか。ケチャップで葉っぱ描いてやるよ?」
返事はない。やれやれとカカシは思う。
「じゃあ、オレはこれで。」
カカシは会釈をして執務室を出た。今日はイルカをちゃんと職員室まで迎えにいくつもりだ。さて、ここまで好き勝手したら、こっちのカカシはどうするだろう。
「せいぜい困ればいいんでやすよ。」
カカシの心を読んだかのように子猫が言った。
「困って、そんで手を伸ばしゃあいいんでさ。」
本当にその通りだと思った。
職員室に迎えにいったら、やっぱり職員全員からビビられた。シンとした職員室はきっと自分達が出て行った後は蜂の巣を突ついた騒ぎになるだろう。イルカは色々と言われるかもしれない。キツい思いをさせるだろう。だけどイルカのことをもう世話役などと召使いのように扱って欲しくない。なにより、イルカ自身にわかってもらいたい。自分達は愛し合っていると、互いに大事なのだと、イルカは恋人として堂々としていればいいのだと。だからカカシは今日もイルカと手を繋いだ。
「あの、カカシ上忍…」
「なーに?」
ん?と顔を傾けると、イルカは何か言いたそうにしたが、そのまま俯いた。
「何でもないです、申し訳ありません。」
じっと地面を見つめたままカカシに引っ張られるようにしてイルカは歩く。
難しいねぇ…
人の心がそう簡単にほどけないのはイヤというほどわかっている。だが、カカシを見ないイルカは寂しい。ふう、とカカシは息をついた。空を仰げば夕焼けだ。
「ほら、イルカ先生、綺麗な夕焼け。」
カカシは西の空を指差した。
「夕焼けの赤は穏やかでいいねぇ。」
ようやくイルカが顔をあげた。カカシはホッとする。繋いだ手に力をこめてカカシはじっと空を眺めた。
「オレねぇ、昔は夕暮れ、嫌いだったのよ。」
なつかしい心持ちで言う。
「夕暮れ時って一人っきりだと寂しいじゃない。みんな家族の待つ家に帰っちゃってさ、道を歩くとご飯の支度してる匂いや物音して、いろんな声が聞こえて来て、そりゃ昼飯時だって似たようなもんなんだろうけど、夕方はなんだかね、妙にしみじみしちゃうわけ。あぁ、みんな家族がいるのに、オレは独りぼっちなんだなぁって。でも…」
横を歩くイルカは空ではなくカカシをじっと見つめている。目をあわせカカシは微笑んだ。
「こうやってイルカ先生が一緒に歩いてくれて、ご飯食べてくれて、イルカ先生の住んでる家がオレの家になっちゃって。」
繋いだ手を振る。
「今は夕暮れが好きになったなぁ。なんか幸せーって気分?こうやって一緒に帰れるからだろうねぇ。」
「カカシ上忍…」
「イルカ先生と家族になれて幸せ。」
イルカの黒い目が揺れる。
「カカ…シ…上…」
唇が震えた。
「オレは上忍の…」
絞り出すような言葉は最後まで出てこない。
「うん、恋人だぁよ。」
イルカの目を覗き込んでにこり、と笑う。
「恋人で、もう家族でしょ?」
黒曜石の瞳に涙の膜が張った。それを誤摩化すようにイルカは顔を伏せる。
「さ、帰ろ。オレ達の家へ。」
「は…い…」
涙声だ。カカシの胸も熱くなる。
「今日はカカシ特製、オムライスだから。」
「はい…」
「ケチャップでハート、描いてあげる。」
ぐす、と鼻を鳴らしたイルカは、拳で目を擦ると顔を上げた。
「はい、カカシ上忍。」
ニカ、と笑う。心の底からの笑みだ。肩の子猫がきぃきぃ騒いだ。
「ハートの下にはL・O・V・E でやんす。」
イルカが思わず、といった風で吹き出した。
「なんだそりゃ。」
「恋人オムライスでさぁ。」
「子猫のくせにどこでそんなこと覚えたんだ。」
是清相手に楽しげだ。少しはほぐれてきたのだろうか。カカシの言葉を信じはじめてくれたのか。そうだったらいい。だってこっちのオレも間違いなくイルカを愛しているのだから。
こっちのオレ。
深く鮮やかに赤みを増す夕焼け雲を仰ぎながらカカシはそっと呼びかけた。
お前が言葉にできない分、オレが伝えてやるから、だからもうイルカを泣かすな。
朱に染まった雲の彼方の、薄水色の夕空に、銀の星が一粒輝く。小さく瞬くその星に、いつしかカカシは、カカシの世界のイルカの面影を重ねていた。
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