和食店の個室に入ったらバリバリ緊張された。
口布を降ろしたら驚かれた。
……まぁ、こっちのカカシは皆から怯えられているからしょうがない。っつか、そんなことより…
とぎ、都議、磨ぎ…
青ざめた紅が射殺すような目で睨みつけてくる。カカシと子猫はまじまじとその顔を見た。
「……えっと…クナイ研ぎ?」
「なんでやねん。」
ぺし、と前足裏拳で突っ込む子猫にカカシはアハハハ、と乾いた笑い声をあげた。
「お前、お笑い極めたね。」
「カカッさんの逃避したい気持ちにつられたんでさ。」
もう一度アハハハ、と笑いあい、それからガバリ、と身を乗り出した。
「「伽ーーーっ?」」
一人と一匹はあんぐりと口を開ける。
「なんでー?昼飯食うだけで伽の指名になっちゃうの?」
「それともこっちのカカッさんがそういうお人なんでやすかい?」
「やめて、そゆこと言うのやめてっ。」
オレはオレを信じたいー、頭を抱えるカカシに紅が戸惑いの表情を浮かべた。
「あの、くノ一が上位の者に呼ばれるときは世話役か伽の指名なものですからてっきり…」
申し訳ありません、と身を縮める。がくりとカカシは脱力した。
「そんな姐さん相手に恐ろしい…っつか何その人権無視。よくくノ一から文句出ないね。」
「ろくでもねぇ里でやす。」
肩を落としたカカシはハァ〜、とため息をついた。
「オレはただ、姐さんとアスマ、互いに惚れてるならくっつけばいいのにって話をしようと思っただけ。」
「えっ…」
目に見えて紅が狼狽えた。
「ほら、やっぱりこっちの姐さんもアスマが好きなんじゃない。
「いっいえ、そんな不敬な…」
ぱぁ、と紅は耳まで赤くなった。だがすぐに青ざめる。
「私は一介の上忍にしかすぎず、猿飛上忍のような名家の御曹司にはふさわしくありません。」
カカシは額を押さえた。またコレか。階級だの身分だの、この世界に溢れるつまらない拘り、うんざりする。
「じゃあさ、紅はアスマが他に嫁さんもらってもいいんだ。」
少し意地悪を言ってみた。紅がハッと気を揺らす。案外わかりやすい。
「へ〜、紅ってその程度しかアスマのこと、好きじゃないんだ。ふ〜ん。」
子猫がきぃきぃ叫んだ。
「姐さん、このまんまじゃヒゲ、名家のご息女とやらと見合いしちまいますぜ、いいんですかい?他の女のものになっちまうんですぜ?」
ぐっと紅が唇を噛み締める。カカシはにんまりした。
「じゃあさ、ヒゲがもし紅を妾に指名したらどーすんのよ。聞けばアイツ、正妻もらったら堂々と愛妾置くらしいじゃない。」
ぶわり、と紅の体から怒気がたちのぼった。真紅の目がカカシを睨みつける。
美しい女だと思った。豊かな黒髪に包まれた美貌は今は蒼白で、しかし真紅の瞳だけは激しい色を宿している。つつましく内側に苛烈さを秘めた極上の女だ。
でもねぇ…
カカシはそれでも、カカシの世界の紅の方がいいと思う。傍若無人でアンコとつるんではたかってくる魔女で、だけど心根は優しくて案外面倒見がいい姐御肌の紅、がさつさが惜しい、といえばぶん殴ってくる紅がやっぱりいいと思う。
カカシは冷ややかな視線を紅に向けた。自分がその気になれば上忍でも動けなくなることをカカシはよく知っている。案の定、紅がますます青ざめ身を固くした。
「愛妾になる?アスマは紅に惚れてるから正妻より大事にしてもらえるよ?」
カカシはわざと意地悪く言った。
「ようは女の戦場で勝利するわけだ。紅、勝率高いしね。」
要請があればそれもしかたありません、などと答えたらもうこの話は終わりだ。そんな紅はみたくもない。だが、美しいくノ一は決然とカカシの目を見返して来た。
「真っ平御免だわ。」
カカシの冷え冷えとした視線にも揺るがない。
「そうなったら上忍として最前線に立つ。私は忍びよ。そして意志を持った人間だわ。」
「うん、ごーかっく。」
パッとカカシは破顔した。
「それでこそ紅だよ、安心した。」
「姐さんはやっぱり姐さんでやしたね、カカッさん。」
子猫が嬉しそうにピャ〜,と鳴く。拍子抜けした紅が力を抜いた。その時、店員が失礼しますと襖を開けた。頼んだ和定食がテーブルに並べられていく。子猫は喜んでぴょんぴょん飛び跳ねた。
「こら、是清、じっとしてなさいよ。あ、取り皿、何枚か頂戴。この子が食べやすいように。」
「カカッさん、あっしぁ木の芽和えは好きじゃねぇんで、そっちのゼリー寄せと交換しやせんかい?」
「わかったよ。我が儘だねぇ。あ、ほら、紅も食べなよ。」
自分が食べるのは後回しにしてカカシは子猫が食べる世話をやいた。紅がどこかぽかんとそれを見つめる。
「はたけ上忍って…」
「え?」
子猫に強請られて茶碗蒸しをふーふーさましてやっていると紅が目を瞬かせながら呟いた。
「はたけ上忍、そんな顔でお笑いになる方だったんですね。」
「へ?」
紅がふわりと笑った。
「え?え?何よ?」
わけがわからず首を傾げていると子猫がきぃきぃ声を上げた。
「カカッさんカカッさん、エビくだせぇ、エビ。」
後ろ足で立ってカカシの手をパタパタはたく。二人と一匹での食事はなごやかなものになった。
結局、アスマの話はそれでおしまいで、後はあれこれ雑談に花が咲いた。カカシの話は主にイルカのノロケであったが。
会計をする段になると、紅は自分の分は払うと言った。
「紅の口からそんな台詞が出てくるなんて…」
カカシは思わず目頭を押さえる。
「は?」
「なんでもないでやーんす。」
感動ひとしおなカカシに代わって子猫が応えた。
「ま、今日のところはカカッさんに奢られてやってくだせぇ。」
「ありがとうございます、はたけ上忍。」
紅は深々と頭を下げた。初めよりは柔らかい態度になったが、やはり遠慮が先に立つらしい。
「はたけ上忍、ねぇ…」
この世界では仕方がないと思ってもどこか寂しくてカカシはガシガシ銀髪をかきまわした。
「じゃ、また時間あったら飯行こうね〜。」
ヒラヒラと手をふると、カカシはアカデミーに足を向けた。
「どこにいくんでやす?」
「う〜ん、イルカウォッチ?」
肩の子猫にそう答えるととん、と地面を蹴った。木の枝と屋根を使ってアカデミーに走る。風紀委員のガイが出てくるかと期待したが、今日は現れず少し残念だった。
カカシの世界でイルカウォッチする時の教室横の欅の大木は、こっちの世界でも健在だった。気配を消していつもの大枝におさまる。丁度授業中で、黒板に何か書いているイルカが見えた。教師のイルカはカカシの世界のイルカと全くかわらない。大口あけて笑い、なにやら親父ギャグを飛ばして子供達を凍り付かせ、悪戯する子供にはチョークが飛ぶ。こんなに生き生きとしたイルカがカカシと暮らすアパートでは萎縮しているのだ。
「やっぱなんとかしなきゃいけないよねぇ。」
肩の子猫がぱたりとしっぽを揺らした。
「こっちのカカッさんが戻って来た時、腰抜かすくらいラブラブになってりゃいいんじゃねぇですかい?」
「もちろん、そのつもり。ねーテンゾウ。」
欅の別の大枝に向ってカカシは小さく呼びかけた。
「職務ご苦労さんっていいたいとこだけどさ、いい加減お前もオレとおしゃべりしてみない?」
だがシン、として返事はない。子猫が鼻を鳴らした。
「職務に忠実なこって。」
「オレんとこのテンゾウはもうちょっと可愛げあるんだけどなぁ。」
寂しい世界だねぇ、そう呟くと僅かに気配が揺れる。
「ねー、こっちのテンゾウはちゃんと仲間作ってる?辛い事ない?」
返事はなくてもカカシは語りかけた。
「あっちのテンゾウはね、大蛇丸の人体実験のせいで随分苦労したんだけど、でも素直で可愛い奴だよ。あいつがいたから安心して暗部抜けられたんだよね。優秀なんだけど抜けててさ、まだ現役暗部のくせ里に帰ってきちゃ平気で飯たかりにくるし、すぐ女の子いふられてるし。」
ふふ、とカカシは肩を揺らした。
「ねぇ、テンゾウ、お前がこっちのオレにも飯たかったり先輩先輩ってうるさいくらいまとわりついてくれてればいいなぁ。」
相変わらず返事はなかったが、カカシの言葉が届いてくれればいいと願わずにはいられなかった。
|