「昨日の今日で随分やらかしてくれたじゃないか。」
執務室に入った途端、一喝された。
「もう報告行きましたか。さっすが、こっちの世界は規律正しく統制がとれてますねぇ。」
「なんだい、皮肉かい?」
綱手が表情を険しくするがカカシは悪びれない。つかつかと執務机の前へ進む。
「確かにこの世界はオレの世界とは別です。だからあれこれ口だすつもりはありませんでしたよ。例えアスマが名家うんぬん抜かす大馬鹿者だろうがガイが風紀委員なんぞ気色悪いことしてようがオレの知ったこっちゃない。でもですね、」
綱手の正面にダンと両手をついた。
「ナルト、あいつを里はどうするつもりなんです。四代目のご子息だのと表面は敬語使って、その実つまはじきじゃないですか。いや、もっと悪い。九尾のチャクラで傷がすぐ塞がるのをいいことに都合良く利用している、あれのどこがチームです、冗談じゃない、ナルトは道具じゃないっ。」
カカシの剣幕に綱手は僅かに目を見開いた。
「何を見た?」
「何をって、あぁ、見ましたよ。任務帰りのチームの胸くそ悪くなるような苛めをね。」
「他の三人はピンピンしてやしたがナルトの小僧一人がボロボロだったんでさぁ。」
子猫のきぃきぃ叫んだ。綱手が眉を顰める。
「それで連れ帰って飯を食わせたのか。」
「いけませんか。オレはあいつの上忍師です。」
「上忍師?」
ますます綱手は眉を寄せる。子猫がきょと、と首をひねった。
「今更驚くことでもありゃあせんや。ナルトの小僧があにさんとカカッさんに飯をたかるなんざ、日常茶飯事でやしょうに。」
「確かにうみの中忍はナルトの担任だったしお前、こっちのカカシも四代目の忘れ形見だってんで気にかけていたようだが、ほとんど交流はなかったはずだぞ。だいたい、あの分をわきまえたナルトが飯をたかるなど考えられん。」
「「ナルトが分をわきまえている?」」
カカシと子猫の素っ頓狂な声に綱手はのけぞった。
「なっ何だい」っ…」
「ナルトですよ?意外性No.1といえば聞こえはいいですけど、その実突拍子もない鉄砲玉のナルトですよ?あいつにわきまえるだけの分がありますかっ。」
「そーでやすよ、あっしをみりゃあかまい倒して、あの小僧の悪戯ぶりはあにさん譲りでやんす。その小僧が分をわきまえるなんざ、へそが茶ぁ沸かしまさぁ。」
カカシと子猫の言葉をじっと聞いていた綱手はフッとため息をついた。
「ここはお前達の世界ではない。忘れるな。」
すぅっと目を細める。
「お前の世界のナルトは忌み子ではないようだな。」
一瞬、カカシの眼差しが険を含んだ。
「へぇ、こっちの五代目はアイツのこと、そんな風に呼ぶんですね。」
カカシが皮肉げに口元をあげた。
「オレの世界でもナルトは九尾のせいでつまはじきでしたよ。でも下忍になって、少しずつアイツのことをわかってくれる仲間が出来た。オレの上忍師仲間だってアイツを差別なんかしない。なによりオレの里の五代目はアイツを可愛がってくれてましたよ。口が裂けたって忌み子なんて言わない。」
綱手の琥珀色の瞳がじっとカカシを見つめた。
「この世界が気に入らないようだね、カカシ。」
「えぇ、気に入りませんね。大事な人を世話役にしか出来ない妙ちくりんな制度も、それを定めた三代目も、オレの可愛い部下を忌み子呼ばわりするあなたも、全て気に入りませんよ。」
怒るかと思ったが、意外にも綱手はフッと微かな笑みを浮かべた。
「お前の世界じゃ里長にそんな口が叩けるのかい?」
カカシの肩から子猫がぴょこりと顔を出した。
「あっちの乳ババァは賭け事好きのろくでなしババァでやすが、そんなチンケなことで腹立てたりするようなお人じゃありやせんぜ。」
「そうかい、向こうのアタシは賭け事好きのろくでなしかい。」
どこか嬉しそうな笑みだ。喧嘩する気満々だったカカシは面食らった。
「え〜っと、五代目?」
「ところで、さっきからお前、上忍師上忍師と繰り返しているが、それは何だ?」
「は?」
もしかしてこの世界は上忍師の制度がないのだろうか。
「あのぅ、つかぬことをうかがいますが、アカデミーを卒業した子供達はいったい…」
「そんなもの、自動的に下忍として任務を割り振られるに決まっている。隊長が中忍のチーム任務だよ。他に何があるというんだい。」
「えぇっ。」
カカシは絶句した。アカデミーを出たばかりのヒヨッコどもが忍としての修練を積まないまま中忍のこなすチーム任務に赴いて大丈夫なのか。最初の頃、ナルト達が農作業や犬の散歩ばかりやっていたのは、上忍師が指導するためにわざわざ安全な里内任務を選んでいたのだ。なのにいきなり中忍を隊長とするチーム任務とは、死んでこいといわんばかりのシステムだ。
「もしかしなくてもこの里、下忍の殉職率、高くないですか…?」
「当たり前だ。忍びなぞ、生き残ってナンボだろうが。」
「うわ〜。」
「殺伐とした里でやんすね…」
「おい、頭抱えてないでお前達の里の話を聞かせてみろ。」
綱手は豊かな胸の前で腕組みした。
「ろくでなしなアタシってのにも興味がある。それに」
ふんぞりかえっているくせにどこか表情は柔らかだ。
「なによりカカシ、怒ったり笑ったりするお前なんて、あたしゃ初めて見たよ。」
「……こっちのオレっていったいどんな奴なんでしょうね。」
「嫌な奴くさいでやんす。」
子猫はケロリと言い放つ。カカシは一つため息をつくと壁際から椅子を引っ張ってきて執務机の前に陣取った。
「オレのほうこそ、ここで何がどうなってるのか聞きたいですよ。心の準備しとかないとキレそうです。」
「じゃあ、歴史のおさらいをやってやろうかね。」
そういって綱手が話はじめた木の葉の歴史は、カカシを打ちのめすに十分なものだった。
「三代目が大蛇丸を殺したんですか…」
「そうだ。最初、見逃したばっかりに親友のダンゾウ様が大蛇丸の実験材料にされて殺された。猿飛先生はそれを悔いて、自らの手で大蛇丸を処分なさった。」
「うぇ、ダンゾウが親友…」
「なんだ?」
「……いえ、何でも…」
カカシの世界でもある意味、三代目にとってダンゾウは大事な友だと思う。ただ、ダンゾウが歪んでいるだけだ。
「じゃあ、根、は存在しないんですか?」
「根?」
「いえ、いいです、はい…」
暗部が一枚岩なのはいいことだ。続きを促すと綱手は表情を曇らせた。
「猿飛先生は大蛇丸やダンゾウ様の件以来、すっかりお人が変わられた。己の甘さが弟子に大罪を犯させ、友を死に追いやったと悔いておられた。」
「だからここまで身分や規則を厳格になさったのですか。」
「かもしれんな。元々どの里でも身分の上下は厳格だが、大戦の終わる頃には木の葉はすっかり今の体制が定着したよ。お前の世界でも大戦はあったのだろう?そんな緩やかな体制でよく負けずに持ちこたえられたな。」
カカシは何も言えない。カカシの世界でも忍びの上下関係はきちんとあるし必要だとも思うが、この木の葉はどこか歪んでいるのではないか。ただこの世界には根と火影派の対立がない。厳格な体制が権力の分散をふせいでいるのも確かだ。
「九尾の事件はほぼ同じみたいですけど、後の対応は全く違うんですね…」
そういえばサスケはどうしたのだろう。この世界には大蛇丸はいないし、音の里もない。ならば里抜けせずにすんでいるのだろうか。
「あの、うちはサスケはどうしています?」
綱手の顔が険しくなった。
「裏切り者のうちはか。」
「え…」
聞くのが恐ろしい。
「うちはの反乱は三代目が首謀者達を断罪した。うちはの宗家は取り潰しだ。ただ長男のうちはイタチと次男うちはサスケは里を出奔して行方知れずだ。」
「なんてこった…」
カカシは額を押さえた。こっちのサスケもまた、過酷な運命を背負っているのか。
「他のうちはの人達はどうしているんです?」
「反乱に加担していない者達に咎めはないからな。普通に里で暮らしているよ。まぁ、肩身は狭いかもしれないが。」
僅かな救いだ。その後、上忍師のシステムに興味を持った綱手にあれこれ質問され、解放されたのは昼だった。
「なんだか疲れたねぇ、是清…」
本部棟を出て、カカシは中庭のベンチにどっかりと沈んだ。
「カカッさんが落ち込むことじゃありやせんや。所詮あっしらはこの世界の住人じゃないんでやすぜ?」
「そりゃそうなんだけど…」
こっちの世界が不幸の塊なわけではない。カカシの世界だって様々な矛盾を抱え、たくさんの不幸が散らばっている。なのに心が重い。
「こっちのオレはサスケと個人的に関わってなかったみたいだしねぇ…」
サクラとも接点はない。こっちの五代目は春野サクラの名前すら知らなかった。違う世界だとわかっていてもひどく寂しい。
「親父の死に様だけはオレの世界と一緒ってのも、なんだかねぇ。大蛇丸がいなくても結局三代目、病死しちゃってるし…」
「明るい展開でも期待してやしたか?まだまだ甘いでやんすよ、カカッさん。」
「それでもさ…」
パラダイスのような世界があるわけない。そんなことはわかっている。だけどこの世界には救いの欠片もみつからない。建物も風景も、カカシのよく知る木の葉と変わらないのに、人の心や運命はこうも違うのか。
「せめてイルカ先生とこっちのオレの関係くらい、もちょっとラブラブにしちゃいたいよねぇ。」
はぁ、とため息をついた時、子猫が首を伸ばして道の向こうを見た。
「あそこにもう一人、なんとかしてやった方がいいお人が来やしたぜ。」
「あれ…」
受付棟から出て来たのは夕日紅だ。子猫が肉球で頬をつついてくる。
「昼時でやすし、飯でも食って話をしちゃあどうですかい?」
「え…でもなんかなぁ…」
この里に上忍師という制度がないからには、こっちのカカシと紅の交流はほとんどないのだろう。受付で会った時の尋常でない怯えられようを思うとどうにも話しかけにくい。
「姐さんが気の毒でやんしょ。ヒゲの阿呆は家柄とかなんとかくだらないこと抜かしてたじゃありやせんか。今のままじゃあの二人、絶対くっつけねぇですぜ?」
「そんな、オレはこの世界の人間じゃないのに、介入しちゃマズいでしょ。」
「あにさんには介入する気満々でやしょ。一人も二人もかわりゃしやせんや。」
「……お前、姐さん贔屓だもんね。」
よっこらしょ、と親父臭いかけ声とともにカカシは立ち上がった。
「ま、オレが話をしたくらいでどうこうなるとも思えないけど。」
子猫がヒゲを揺らす。
「ハナから期待なんざしてやせんよ。ただ、見て見ぬ振りってぇのも後味悪い、それだけでやす。」
「そーね。」
のっそりとカカシは紅の方へ歩いた。カカシに気付いた紅はサッと顔色をかえ、それから恭しく頭を下げる。
「えっと、紅…」
びく、と紅が肩を揺らした。そんなに怯えるほどこっちのカカシは殺伐としているのか。
「……なんか落ちこむ。」
「カカッさん、ガンバ、でやす。」
ぺし、と肉球で活を入れられる。ガシガシとカカシは銀髪をかきまわすと、とりあえず笑ってみた。
「あのさ、もうお昼食べた?」
「え?」
紅がぎょっと顔を上げる。
「あの、はたけ上忍…?」
「そうだ、オレ、おごるよ。姐さん、花筏のランチ食べたいって言ってたじゃない。あ、こっちに花筏があればの話なんだけど。」
「え…いえ、私は…」
戸惑う紅の手をカカシは引っ張った。
「じゃ決まりね。行くよ?」
「はっはたけ上忍っ。」
「姐さん、せっかくのおごりでやす。行きやしょうや。」
ぴょん、と是清が紅の肩に飛び移る。話をしなければと思うあまり、傍からみると手を繋いだ状態で歩いていることをカカシはすっかり失念していた。
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