「カカッさん…」
子猫が低く唸った。カカシもどきりと足を止める。
どうやら任務帰りらしいが、ナルトと一緒にいるチームメイトらしき二人の下忍や隊長である忍びに見覚えはなかった。ナルトはボロボロだった。いや、ナルトだけがボロボロだ。そして同じ任務をこなしたはずなのに、他の三人はかすり傷一つ負っていない。妙に不自然だ。気配を消したままカカシはそっと近づいた。隊長である男の声がする。
「ではここで解散。ご苦労だったな。」
「隊長、腹へりましたー。」
下忍の一人が騒いだ。
「なんだお前、里についた途端にそれか?」
「だって、なぁ。」
「飯だけを楽しみに任務がんばったんですよー。」
三人だけがやたら親しげに会話している。そう、不自然に親しげだ。カカシは眉をひそめた。子猫の毛が逆立っている。楽しげな隊長の声が響いた。
「しょーがねぇな。まぁ、お前らも頑張ったことだし、朝定食でも奢ってやる。」
「やりぃっ。」
喜ぶ二人の下忍の後ろでナルトは所在なげだ。隊長である男はにこにこ顔でナルトに声をかけた。
「うずまき下忍、我々は飯に行くから、君はゆっくり休んでくれ。ご苦労だったな。」
下忍達が意地の悪い笑みを浮かべる。
「じゃあな、ナルト。お前と一緒の任務だとホント、助かるわ。」
「さすが四代目の御曹司だよな。またよろしく頼むぜ。」
カカシの中で何かが切れた。
「ちょっとアンタら。」
この世界に関わらないつもりが、気がつくと声をかけていた。ぎょっと三人がカカシを見る。
「はっはたけ上忍。」
隊長である男が最敬礼した。下忍達は小さく写輪眼だ、と言ったなりカチコチに固まる。ツカツカとカカシは歩み寄った。
「アンタ、隊長でしょ。なんでナルトだけ飯に連れてかないのよ。だいたい、」
カカシはナルトの体を指差す。
「この子だけボロボロってどういうこと?どういう任務だったか知らないけど、アンタらかすり傷一つないじゃない。」
押さえきれない殺気に下忍達は蒼白だ。男もダラダラと脂汗を流している。
「いいいいえ、はたけ上忍、そのっ、四代目のご子息であられるうずまき下忍を我らごときが一緒に食事するなど、不敬きわまりないですので、ですからっ、そのっ…」
じろり、と睨むと男は喉の奥から悲鳴を上げた。今にも卒倒せんばかりに震えている。下忍二人は腰を抜かして座り込んだ。その時、カカシのベストがつん、と引かれた。ナルトだ。ナルトはへへ、と笑った。
「いいんだ、カカシ上忍、オレってば、腹減ってねぇし。」
カカシ上忍、その呼称に再びカカシは打ちひしがれる。ナルトまでカカシ上忍、覚悟はしていたがもの凄く寂しい。
「ナルト…でもお前、血が出てるじゃないか。」
そっと腕の傷に手をそえると、ナルトは驚いた顔をした。僅かに目を瞬かせるとニカ、と笑う。
「カカシ上忍だって知ってるだろ?オレ、怪我してもすぐ直っちまうからさ、だからオレってば、任務で大活躍なんだってばよ。」
カカシのよく知る満面の笑み、だが、心の底から笑っていないことくらいすぐわかる。
「オレが活躍して、みんなも怪我しねぇですんで、だから全然大丈夫だってば。」
「ナルト…」
なんだこのナルトへの扱いは。四代目の御曹司とかなんとか、口だけ綺麗ごとを言ってその実、陰湿な苛めだ。
「馬鹿だね、お前は。」
カカシはナルトの髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「すぐ直るからって怪我したら痛いでしょ。それに食いしん坊のお前が腹減ってないなんて、オレには信じられないね。」
ナルトの青い目が見開かれ、それからくしゃり、と顔を歪めた。カカシは胸が詰まった。この場でナルトを抱きしめたかった。だが、それが出来ないほど全身傷や打ち身だらけだ。
「まず手当してやる。それから、そうだな、イルカ先生と一緒に飯、食おうか。オレね、朝ご飯買って帰るって約束したのよ。」
「えっ。」
ナルトがぱぁ、と顔を輝かせた。
「イルカ先生んち?行っていいの?」
「当たり前でしょ。だって、お前の一番好きなのはイルカ先生の奢ってくれるラーメンじゃない。」
ま、朝だしラーメンじゃないけどね。
そう言って笑うとナルトがきょとん、とした。
「カカシ上忍、なんでそれ、知ってるんだってば?」
がくり、とカカシは肩を落とす。
「……もしかしてオレ、お前の上忍師じゃない?」
「じょうにんし…って、なんだってばよ?」
「いや…気にしないで。」
よろけそうになるのをなんとか踏ん張り、脂汗を流しながら固まっている男を再度睨んだ。
「つまんない苛めするんだったら今後、容赦しないよ。あ、それから、任務遂行に不適切な部分ありって報告はさせてもらうから。」
卒倒しかけている三人を置いて、カカシはナルトの肩に手を置いた。
「いこっか、ナルト。」
ナルトが嬉しそうに見上げてくる。その表情に涙が出そうだ。
「でもカカシ上忍、なんで猫、肩に乗せてんだ?」
「……あ」
ちら、と子猫をみると、こちらはヒゲがへにゃりとなっている。
「あっしの関わってねぇ世界ってなぁ、寂しいもんでやんす…」
「ははは…」
その寂しさはカカシにも十分理解できる。ナルトからカカシ上忍などと呼ばれるなど、本当にこっちの世界は最悪だ。
「決めた。」
誰にいうともなくカカシは宣言した。
「関わるだけ関わってやる。こっちのオレ、戻って来てから慌てるがいい。」
こっそり見張っているテンゾウの焦った気配が伝わってきたが、そんなのは無視だ。
「……カカシ上忍、何言ってるってば?」
「なーんでもなーいよ。」
ぽん、とナルトの頭を撫でるとカカシはにっこり目を細めた。
「それからね、ナルト、オレのことはカカシ上忍じゃなくて、『カカシ先生』いい?これからそう呼んで。」
ぽかんとするナルトにカカシは笑みを深める。
「術とかね、これからお前に色々教えてあげる。だからね、カカシ先生だぁよ?」
「ホント?」
ぱぁ、と顔を輝かす。そんなナルトが愛おしくてたまらなかった。
冗談口を叩きながらナルトと一緒にパンを選んだ。あまりに驚いた周囲の客達はただ二人を凝視していた。それ以上に驚いたのがイルカだ。
「センセ、ただーいま。」
「ただいまでやんす。」
「お邪魔するってばよ、イルカ先生ー。」
二人仲良く、パンの袋を抱えてドアを開けたら、真っ黒な目をまんまるにしたまま交互にカカシとナルトを見つめる。内心、笑いをかみ殺しながらカカシは台所へ向った。
「今日はオレ特製、サンドイッチ作ってやる。是清はオレを手伝ってよ。ナルト、お前はまず手を洗ってから傷を手当してもらえ。それが終わったら卓袱台拭いたり片付けたりしてろ。」
「わかったってばー。」
会った時とは打って変わって、ナルトはゴムまりが跳ねるように居間へ走る。
「あっあの、カカシじょうに…」
「いーからいーから、先生はナルトの怪我、手当してやって下さいよ。」
イルカの背中をぐいぐい押して居間へ押し込んだ。冷蔵庫からハムやソーセージを取り出していると、居間の声が聞こえる。
「ナルト、おめぇ、いったい何があったんだ?」
「え?任務帰りにカカシ先生に会っただけだってば。」
「カッカカシ先生?なんだそりゃ、おいっ。」
砕けた物言い、やはりこっちのイルカもナルトと信頼関係を築いているのだ。カカシは嬉しかった。
「よかったでやんすねぇ、カカッさん。」
子猫がにんまりこっちを見ている。
「お前、たまにオレの心が見えてるんじゃないかと思うよ…」
「カカッさんがわかりやすいんでさぁ。」
ケラケラ笑うと,子猫はまな板の上にのった食パンに向ってサッと前足を振った。あっというまにパンがスライスされる。
「さっすが。」
「パンの耳も切りやしょう。後でラスクにしておくんなせぇ。」
「はいはい。」
カカシは猫が切ってくれたパンに手早く具材をはさみこむ。ちら、とイルカが顔を覗かせた。
「あっあの,上忍…」
「あ、手当終わりました?じゃあイルカ先生はコーヒーいれて下さい。おーい、ナルトぉ、お前、何飲む?」
台拭きをもってナルトが飛び跳ねて来た。
「オレンジジュース。」
「よし、特製人参ジュースを作ってやろうか。」
「うえ、勘弁だってばよ。」
バタバタと居間へ逃げていく。カカシはアハハ、と笑い声をあげた。それをイルカはどこかぼぅっと見つめている。
「ん?」
「あっ、いえっ」
ハッと我に帰ったイルカは慌てて手を振った。
「何でもありません。」
「うん。」
カカシが目を細めると、イルカがふわ、と笑った。
「コーヒー、いれます。」
「うん、御願いね。」
イルカが笑ってくれた。カカシはほっとする。肩に子猫がぴょいとのり、囁いた。
「あにさんが笑ってよかったでやんすね、カカッさん。」
カカシは目を瞬かせる。本当にこの化け猫、人の心を読むのではなかろうか。子猫はしれっとしっぽを揺らしていた。
賑やかな朝食になった。最後のソーセージを子猫とナルトがとりあったり、こっそりのけたピーマンをカカシがナルトの口に放り込んだり、笑い声が絶えなかった。イルカも自然な笑みを浮かべている。カカシはそれが嬉しかった。
「食った食ったー、ごちそうさまだってば。」
「じゃナルト、一緒に片付けるぞ。」
二人で立ち上がるとさすがにイルカが慌てて腰を浮かした。
「いっいえ、上忍に片付けをさせるわけには…」
それをまぁまぁ、とカカシは押さえた。
「イルカ先生は出勤準備あるでしょ?オレも火影様に用があるから一緒に出ましょうよ。な、ナルト。」
おぅ、と元気な返事がした。
「しっしかし…」
「イルカ先生ー、オレとカカシ先生にまかせとくってばよ。」
台所からぴょこりと金髪が覗きニシシ、と笑う。
「お前、カカシ上忍にその呼び方…」
「オレがそう呼ぶよう言ったんです。」
カカシが穏やかに笑う。
「オレ、あなたみたいにナルトの先生になりたくて。」
「修行つけてもらうんだってば。」
「カカシ上忍…」
イルカはどういう顔をしていいのかわからない、といった風情で突っ立ったままだ。
「あにさん、早くしねぇと遅刻でやんすよ。」
「わぁっ。」
テーブルの上から是清が声をかけると、イルカは飛び上がった。どうもまだ、子猫の存在に慣れていないらしい。
「あっしの関わってねぇ世界ってなぁ、ホント、寂しいでやんすねぇ…」
さっきと同じ愚痴を子猫はほろりと零していた。
いい天気だった。梅の蕾がわずかにふくらみはじめている。ナルトを真ん中に挟んで三人は歩いた。たったこれだけのことに酷く嬉しそうな顔をする子供が不憫だ。
この世界のナルトはちゃんと仲間を作れているのだろうか。後でサクラや他の子供達の様子も見てみよう、そしてサスケのことは火影に確認しなければならない。
ナルトにきちんと体を休めろと言ってアパートの前で別れた後、イルカと二人で並んで歩いた。ナルトをはさんでいる時には豪快な笑い方をしていたイルカが、二人きりになるとどこか萎縮してしまうのが寂しい。だが、それは仕方がない。少しずつイルカの心を解きほぐそう。そして…
「ふっふっ、こっちのオレ、戻って来た時困惑するがいい。」
「カカシ上忍?」
「あ〜、なんでもないです〜。」
ひょい、とイルカの手を握った。
「じょっ上忍っ…」
すぐ目の前はアカデミーの校門だ。生徒や出勤途中の同僚達が目を丸くしているのがわかる。だがカカシはかまわなかった。
「ね、せんせ、今日は受付?」
耳まで赤くなりながらイルカは首を振った。
「いっいえ、今日はずっとアカデミーで…」
「そ、じゃあ迎えにいくから、待っててね。」
それだけ言うと、どろん、とかき消えた。こうなったら徹底的にラブラブを見せつけてやる。世話役なんて下世話な風習、くそくらえだ。子猫が肩の上でヒゲを揺らして笑っていた。
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