あの人、いるかな…
翌日もカカシはアカデミーの敷地に忍び込んでいた。もちろん、モモタロス声の教師を探すためである。昨日、衝撃的すぎる出会いに後を追うこともできず、名前を聞くこともできなかった。だが、アカデミー教師であろうことは確実だ。
モモタロス声の教師があんな可愛い人だったなんて…
カカシはぽぅっとその容姿を思い浮かべた。身長は自分と同じくらいだろうか、引き締まった体躯、きりりとした口元、意思の強そうな黒い目、立派な成人男子なのに、子供みたいな無邪気な顔で棒切れを振っていた。そしてカカシの目の前に降り立ったときのあの衝撃、今でもなんだか胸がどぎまぎする。
「可愛い人だった…」
カカシは呟いてから、一人顔を赤くした。こんな気持ちは初めてだ。足下がふわふわしている。あの人のことを考えるだけで鼓動が跳ね上がり、落ち着かなくなる。これが噂に聞く恋、一目惚れというやつなんだろうか
「いっいや、待てオレ、早まるな。」
カカシは飛び跳ねる心臓を落ち着かせるように胸に手をあてた。
「早計は身を滅ぼす。勘違いかもしれないもんね。ほら、言うじゃない、吊り橋の恋って奴、あんまりびっくりしてオレ、恋って勘違いしちゃった?落ち着こう、とにかく落ち着こうっ。」
スーハー、大きく呼吸する。
「落ち着けはたけカカシ、お前はそれでも上忍か。だいたい一目惚れなんてこのオレがするわけないでしょ、今日はその勘違いをただしにきたわけであって…」
目を閉じてぶつぶつ己に言い聞かせるよう呟き続けた。
「落ち着いて慎重に対処すべきだよね、なにせ相手のあることだし、結婚申し込むにしても一生の問題だから、どっちの家で暮らすかー、とか仲人やっぱ三代目かなー、とか…」
そこまで言ってカカシはハタと我に帰った。
「けけけ結婚って〜〜」
きゃあ、と両頬を手で包む。
「何言ってんのオレーー、ってか、結婚申し込む前にまずおつきあいでしょうがっ、って、そーじゃなくてっ。」
ゴンゴン、と頭を打ち付けた木の幹がめきょ、と軋んだ。
「まだ名前も知らないっつの。」
あぁ〜、とカカシは木の根元にしゃがみこんだ。やっぱり自分はかなり浮ついているらしい。
「そうよ、まずはどこの誰だか確認からはじめないと、基本は大事だよ〜基本はっ。」
アカデミーの職員は大半が中忍だ。建物に忍び込んでも気づかれないだろう。気を取り直して立ち上がった時だ。
「よし、じゃあ今日は卒業試験にむけて基本忍術の実技の復習をおこなう。」
このモモタロス声っ。
カカシは急いで木の枝に飛び上がり、声の方を眺めた。木立の先に一括りにした黒髪が揺れている。卒業を控えた学年なのだろう、十二歳前後の子供達の列正面に若い教師が腕組みをして立っていた。
あの人だっ。
カカシは思わず身を乗り出した。
あの人だあの人だ…
心臓が早鐘を打つ。体が熱い。枝を掴む手に自然と力がこもる。黒髪の教師は子供達を見回した。
「来週はいよいよ試験だ。実技はこれが最後の授業となるので、各自心してかかるように。」
「はいっ。」
元気のいい返事に教師はにっこりと笑う。
ずこっ
カカシは胸を押さえた。なにやら今、ど真ん中を貫く衝撃が走った感じだ。
「ふぐぐっ…」
息をつめて衝撃に耐えていると、一人の子供が手をあげて大声で叫んだ。
「イルカせんせー、オレってば本番に強いから大丈夫だってばっ。」
「ばっかやろうっ。」
教師が怒鳴った。
「地道な積み上げがあってはじめて本番に強くなるんだっ、覚えとけっ。」
それから教師は子供達にくるりと背を向けた。
「オレより遅れて演習場についたヤツはランニング二十周追加っ。」
ダッと駆け出す教師を子供達は大慌てで追い始めた。
「わーっ、イルカ先生ーーっ。」
「そんないきなり卑怯ーーっ。」
口々に悲鳴をあげながら子供達はかけていく。一瞬の喧噪の後、木立の中にはまた静寂が戻った。しん、とした空気にただ校舎から漏れ聞こえる授業の声だけが微かに響く。
「……イルカ先生…」
どこかぼぅっとカカシは呟いた。
「…イルカっていうんだ、あの人…」
イルカ先生、イルカ先生、なんて甘い響きだろう。カカシは何度も口の中でその名前を転がした。
「イルカ先生…」
折れた大枝を握ったまま、カカシはぽやん、と立ち尽くしていた。
「すまぬのぅ、カカシよ。」
あれ…
「十年ぶりの里、ゆっくりと休ませてやりたかったのじゃが。」
あれれ、何でオレ、こんなとこにいるんだ?
「どうしてもおぬしでなければならぬという依頼での。国主のたっての依頼となれば断るわけにもゆかぬのじゃ。」
えっ、ええっ、何の話っ。
カカシはぽかんと目の前の老翁を見つめる。両脇には暗部が二人。
そういえば、アカデミーの裏庭でぼんやりしてたら、この暗部二人が呼びにきたっけ。なんだかフワフワ歩いていたような気がしたけど…
目の前には目頭を押さえる老翁、そしてなんだかやる気満々オーラ全開の後輩暗部、これはもしかしてもしかしなくても任務、しかもなんだか難しい任務に出ろという状況ではなかろうか。ようやく事態を悟ったカカシは焦り始めた。
ちょっと待って、確か来週は新しいライダーが活躍するはずで、次回予告で期待がものすごく膨らんだとこだし、歴代ライダーや戦隊ヒーローフィギュアを飾る棚をベッドサイドに設置したばっかだし、前シリーズの合体ロボットを最終形態に組み立て直したいし、いや、それよりもなによりもイッイルカ先生っ。モモタロス声のあの人とお近づきにならなきゃいけないのよっ。
「これが任務書じゃ。カカシよ、なまじ他より抜きん出ているばかりに苦労ばかりをおぬしに背負わす。わしは四代目に何と言って詫びればよいか…」
カカシが口を開く前に、目頭を押さえた三代目がスッと依頼書を差し出した。習い、性になるとはよく言った、カカシはそれをうっかり受け取ってしまう。
「そうか、何も言わず受けてくれるというのか、カカシよ。」
えっ、違うっ、違うからっ
「カカシ先輩っ、先輩と一緒の任務につけるって、光栄っす。」
「先輩っ、よろしくお願いしますっ。」
よろしくないっ、オレ、任務なんか受けないしっ。
「おぬしも後輩を導くようになったのじゃのぅ、カカシや。四代目が生きておればどんなにかお前の成長ぶりを喜んで…」
いやジジイっ、目頭押さえる前にオレの空気読めよ、この拒絶の空気っ。
「装備は事務方で手配済みじゃ。すぐに出立するがよい。」
おいーーーーっ
何を言う間もなく、はたけカカシは後輩暗部二人を連れて任務に赴くこととなった。このときほど、喜怒哀楽を表にださない己の性格をのろったことはない。
そして一月後、無事に任務を終えて帰ったアカデミーに、『イルカ先生』の姿はなかった。
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