九月十七日、休日明けの受付所は異様な雰囲気に包まれていた。
うみのイルカの左手薬指が眩しい!
そこには光っているのは銀色のリングだ。イルカがペンを持ったり書類をめくる度に朝陽をはじく。
あれは、あの指輪はまさか…
イルカに想いを寄せている者、カカシに懸想している者、双方目の当たりにしている現実を受け入れられず、受付所内の空気はピンと張りつめていた。ただの野次馬どもは任務を受け取るついでに一言、その指輪何?と尋ねたくてたまらないのだが、テメェ、聞いたらぶっ殺すぞ的な空気を恋に悩む者どもが発しているので行動に移せない。息詰まるような緊張の中、誰もカウンターに近づけずイルカが書類をめくる音だけが響いている。
「おっはよーイルカー、遅れてすまねー」
ばーん、とドアが開き、ドタバタと中忍が駆け込んできた。
「遅ぇぞヒラマサ、遅刻だ」
顔をあげたイルカがニカ、と歯を見せて笑う。
「ギリギリセーフだろ?」
中忍は茶色いクセッ毛の頭をかきながらカウンターの中に入った。この男、鱸ヒラマサという。イルカと同じアカデミー教師で受付も担当している。年頃も同じでイルカの最も親しい友人だ。ヒラマサは明るい茶色の目でくるりと周囲を見まわした。
「カウンターに任務受け取り列が出来てねぇってことは遅刻じゃないんだよね、イルカ先生」
大口開けてワハハと笑う。
未だピンと張りつめている受付所の空気に全く無頓着だ。おそらくイルカ同様、気付いていないのだろう。恋愛ごとに疎いイルカと親しいだけあって、ヒラマサもかなり色事関係には鈍かった。その鈍チンがイルカの左手に目をやった。
「お、ついに結婚指輪か。はたけ上忍やるねぇ」
なんですとぉぉぉっ
どよ、と受付所が揺れた。誰も聞けなかった一言をあっさりと発し、恋する者達に過酷な現実を突きつけたクセッ毛の中忍はどれどれ、と友の左手を引っ張る。
「プラチナにダイヤ埋め込んであるじゃん。これだったんだな、キラキラ光ってたの」
プラチナの細いリングには一粒、透明度の高いダイヤモンドが埋め込んであった。
照れくさそうにイルカはそれを撫でる。
「やっぱり野郎の指には似合わないよな」
「いーやー、上品でいいと思うぜ。男がはめても違和感ないっていうか、はたけ上忍、さすが趣味いいなぁ」
ぬぉぉぉぉぉっ
再び受付所が揺れた。
「もしかして裏には二人のイニシャル彫ってあるとか?」
「まっまぁな」
イニシャルーーーーっ!!!!
あちこちで膝を折る忍び達が続出する。
「く〜〜〜、はたけ上忍、前々から気合い入ってたからなぁ。お前に結婚申し込むってさぁ」
無意識ながら皆の心に杭をガンガン打ち込んでいた茶髪は無邪気に言った。
「よかったなイルカ、お前もはたけ上忍の誕生日にキメるって頑張ってたもんな。結婚おめでとう」
トドメの一言だった。ありがとうと照れるイルカの幸せそうな笑顔に恋の敗残者達は涙にかきくれ床に這いつくばった。しかし、彼ら、彼女らの試練はまだ終わらない。
「しっかしまぁ、恋ってのは偉大だね〜。ガサツなお前がはたけ上忍の前じゃ乙女みたいにしおらしくなっちゃって、誰がみてもはたけ上忍にベタ惚れって丸わかりだったよな」
ズタズタになった恋心がさらに抉られる。
「なんでもっと早く付き合わなかったんだよ。はたけ上忍だってお前の事、ベタベタに甘やかしてたじゃん」
抉る抉る、この茶髪の中忍、無意識なだけにタチが悪い。
「え、そうかなぁ、カカシさん、そんなだったか?」
「そーだよ、お前があんまり煮え切らないからオレなんて内々にはたけ上忍から相談されたんだぞ。もちろん、大丈夫だからガンガン口説いて下さいって背中押したけどさ」
怨嗟の眼差しがヒラマサに集まった。だが当のヒラマサはどこ吹く風だ。
「で、新婚旅行行くんだろ?調整ならまかしとけ」
「相変わらず頼もしいねぇ、鱸中忍」
のんびりとした声が響いた。再び受付所がどよめく。はたけカカシ、真打ち登場だ。
「カッカカシさん」
パッとイルカの顔が輝いた。ヒラマサがぺこりと頭を下げる。や、とカカシは片手をあげた。
「はたけ上忍、任務ですか?」
「ん?今日は待機なんだけどね、イルカ先生の顔を見に寄っただけ」
にこりと目を細めるとイルカが頬を赤く染めた。
「朝からお熱いッスねー」
ヒラマサはぐりぐりとイルカを肘で突ついている。その前にカカシはツヤツヤした表紙の写真集をさし出した。
「うぉ、これ、雪姫忍法帳のメイキング写真集」
「これ、鱸中忍欲しがってたでしょ。よかったら」
「いっいいんスか?限定レアものですよね、えっ?えっ?オレ、貰っちゃってホントにいいんスか?」
「うん、たまたま手にいれる機会があって、あ、ついでにサインもしてもらったから」
ぺらり、と裏表紙をめくったヒラマサは悲鳴に近い叫びをあげた。
「うぉぉっ、直筆サイン、うわ、すずきひらまささんへって書いてあるっ」
にこにことカカシは笑った。
「ほら、鱸中忍には相談にのってもらって随分助けてもらったからね。こんなのじゃ恩返しにもならないけど」
ふっ、と周囲をさりげなく睥睨する。
「イルカ先生とオレとの結婚記念に、ね?」
どぉぉ、と生き残っていた恋敵達も死体の仲間入りをした。受付所の床は恋の敗残者達で埋め尽くされている。
「よかったなぁ、ヒラマサ」
「うん、ありがとイルカ。はたけ上忍、ホント、ホントありがとうございます」
「いやいや、こちらこそお世話になっちゃって。あ、それからこれね、花月楼の招待券、スズナ先生を誘っていっておいでよ。もちろん、支払いは全部オレにつけるよう手配済みだから」
カカシはぴらり、と懐からチケットを取り出す。花月楼は一見さんお断りの高級料亭だ。想いを寄せる年上の先輩教師、七草スズナが一度行ってみたいと話していたのを小耳にはさみ、ヒラマサはあれこれ自力で努力していたのだ。それをイルカから聞いたカカシが手配した。
「あ、でもはたけ上忍、ここまでしていただくわけには」
流石に恐縮するヒラマサの肩をカカシはポン、と叩いた。
「オレ達の恋を応援してくれたでしょ。今度はオレが君の恋を応援したいの」
「はっはたけ上忍っ」
感激に涙ぐむヒラマサの隣でイルカが目をキラキラさせカカシを見つめている。
キマッた!
カカシは内心拳を握った。
友達にまで気をつかってくれて、なんて素敵なカカシさん、人間が大きい、そう思われてるはず、確実に!!
そして床に転がる恋敵達をふふん、と眺めた。
将を射んと欲すればまず馬をってね、お前ら、甘いんだぁよ
想い人だけをターゲットにするよりは、外堀をきちんと埋めた方が確実なのだ。はたけカカシ、忍びの頂点を極めるだけあって、どんなセコい手でも平気で使う。もちろんその自覚はある。
「オレ、オレ、頑張ります、必ずスズナ先生と結婚してみせます」
感極まったヒラマサはやおらドサリと勤務表を机にのせた。分厚いファイルをバシンと開く。
「よし、新婚旅行の日程はまかせてください。ご希望の日時と期間を言っていただければこの鱸ヒラマサ、全身全霊でお二人の休暇、確保させていただきますよ」
ビシ、と親指をたてた。
「もちろん、火影様からの緊急任務があっても呼び出しがかからないよう、休暇中はガイ上忍と猿飛上忍を確保しておきますから」
鱸ヒラマサ、その気になれば非常に優秀な男であった。カカシは満足げに頷く。
「そうだね、長い休みってイルカ先生、冬休みにならないと無理でしょ?だからクリスマスを向こうで過ごすって形で、赤道越えるから向こうの12月は夏だしね」
敗者の屍が累々と積み上がり、野次馬が興味津々でカウンターでのやりとりを見つめていたその時、受付所を揺るがすような怒声が響いた。
「カカシ、このたわけが」
戸口に三代目が立っている。普段温和な老翁が鬼の形相だ。居合わせたもの皆が腰を抜かした。こんなに怒りをあらわにした三代目はみたことがない。
「三代目?」
皆が里長の怒気にあてられ動けなくなっている中、カカシがきょとんと首を傾げた。
「何をそんなに怒ってるんです?」
「火影様」
イルカも困惑した顔で席を立つ。普段孫のように可愛がられているせいか、イルカも里長の怒気に動じる気配がない。老翁は額を押さえると、くるりと背を向けた。
「カカシ、イルカ、二人とも執務室へ参れ。話はそこでじゃ」
スタスタと老翁は歩み去る。
「カカシさん…」
不安げにイルカがカカシの名を呼んだ。カカシはその手をきゅっと握る。
「大丈夫ですよ、センセ」
安心させるように頷いた。
「誰であろうとオレ達を引き離せない」
ふわりと笑う。
「させたりしなーいよ」
「はい…」
カカシはイルカの手を引き、三代目の後を追った。
「オレの手、離さないで、カカシさん…」
消え入りそうな声でそう呟くイルカが愛おしかった。
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