閣下 お手をどうぞ3

 

 

築ン十年の独身男用アパートの二階にイルカの部屋はある。鉄錆の浮いた外階段を足取りも軽くカカシはのぼった。

「こーんばんは」

時間通りにイルカの部屋のドアを叩く。初夜確実な今日、本来なら赤い薔薇の花束でも用意したかったが、カカシのため誕生祝いをとがんばっているのだから、手ぶらで祝われるほうが賢明だろう。バタバタ、と慌ただしい足音がしてドアが開かれた。

「カカシさん」
「お言葉に甘えてお招きにあずかりました」

ちょっとおどけてそう言ったカカシは前屈みになってイルカの目を覗き込む。恋人はパッと頬を染めた。

「どっどうぞ、むさくるしい所ですけど」

招き入れられた小さな玄関三和土の先はすぐ台所だった。その隣が六畳の居間だ。
はじめて入るイルカの部屋は綺麗に片付けられていた。それでも角の方に本や書類が寄せられてこんもり山を作っているのをみると、やっぱり同じ独身男の部屋だなぁ、などと安心する。清潔さと雑多さが入り交じった心地よい部屋だ。
台所の反対側の襖が閉まっているが、そこが寝室だろう。今夜のことを思うとにへら、と鼻の下が伸びる。この部屋であーんなことやこーんなことをこれからやるのだ。

「あの、洗面所をお使いになりますか?狭いですけど」
「はっはい」

スケベな妄想に浸っていたところへイルカに声をかけられ飛び上がった。振り向くと台所からイルカが顔をのぞかせている。

口布をしていてよかったーーー

「洗面所、お借りしますね」

動悸を押さえなるべく自然に言うとイルカがにこ、とした。

かっ可愛いっ

手甲をはずしながらへらり、とまた鼻の下が伸びる。
台所横は洗面所兼脱衣所だった。いずれはこの脱衣所でもあーんなことやこーんなことを、とニヤけながら手を洗おうとしてふと、ハンドソープのボトルに目が止まった。

このハンドソープ…

自分が使っているものと同じオーシャンブランドの匂いのない忍び用ハンドソープだが、このボトルデザインは確か天然潤い成分配合の最高級品ではなかったか。肌のしっとり感が全く違うと紅が愛用しているが、値段が高くて困るとこぼしていた。上忍の紅でさえ懐に痛い値段であるから、中忍の給料ではとても手が届かない品だ。

もしかしてオレが来るからイルカ先生、無理して買った?

ありうる。紅あたりに何が良いか尋ねたのだろう。
手を洗いながらカカシは確信した。イルカは上忍のカカシにあうようにとあれこれ気をまわしたに違いない。
忍び社会は身分の上下が厳格だ。イルカが自分と付き合うのを逡巡した理由は『身分違いだと周りに責められる』だった。
なんだかんだでカカシは里の看板忍者だ。縁談は外交交渉の手札ですらある。そんな『天下の写輪眼のカカシ』の恋人の座に一介の中忍、しかも男が座るなど普通は許されない。イルカが『受付天使』だったからこそ、誰も何も言わないのだ。

ってか、オレがアイドルかっさらったんだけどね

思い出してくふ、とカカシは笑う。
お付き合い宣言をしたその日の受付所は、失恋した面々の悲嘆でお通夜のようだった。イルカの立場を慮ってか、上層部には皆が口を噤んで秘密にしたらしいが、もしかしたら『上忍のお遊び』で早々に別れると思われているのかもしれない。
ただ、イルカ自身には『受付天使』の自覚はないから、『身分違い』を随分と気にしていた。だから『上忍』である恋人にふさわしいものを揃えようとがんばったに違いない。

もう、イルカ先生ったらやることが可愛いんだから〜〜

身分違いなんて気にならないくらいトロトロに甘やかしてやろう。そして初夜を終えたら『心は一つ、財布も一つだぁよ?』と気楽におどけて、思いっきり贅沢させてあげよう。露骨な散財は喜ばない人だから、さりげなく良いものをイルカのために揃えてあげたい。なんたってカカシには火の国の国家予算程度には財産がある。使い道などなくてたまる一方だったが、これからはイルカに全て捧げたい。
うっかり鼻歌が出そうになるのをぐっとこらえ、タオルで手を拭いたカカシは目を見開いた。

「こっこの肌触り…」

まじまじとタオルを見る。
間違いない、この肌ざわりといいこの色、風合い。火の国の南の指定農園で作られた最高級オーガニックコットンのタオルだ。これもイルカが用意してくれたのか。しかし、この製品は数が限られているため、扱っているのは国主御用達の織物問屋、火の国屋だけだったはずだ。

「うわ、ホント頑張ったんだ、イルカ先生」

小さく呟く。タオル一枚にもこの心遣い、なんてけなげな人だろう。

「やべ、涙出そう」

感動に浸っていたら台所から声がした。

「座ってて下さい。すぐに用意しますね」

ハタと我に帰り、カカシは洗面所を出た。イルカはフライパンで肉を焼いている。

「センセ、オレも手伝うよ」
「ダメでーす」

イルカが悪戯っぽく笑った。

「今日は誕生日なんですから、主役は働いちゃダメなんです」

イルカは立派なガタイの二十七の男だが、こんなときは子供のような顔をする。カカシは口布を下げ、イルカの頬にキスをした。

「はい、じゃあ待ってます」

キス一つでまっ赤になるイルカがとても可愛い。頭に花畑が広がるが表情はカッコよくイルカに微笑み居間へ戻った。卓袱台の前に座り、なにげなく天板に手を置く。

「……え?」

その手触りにカカシは目を見開いた。上質の栗材一枚板だ。
がば、と卓袱台の足や下の継ぎ目をみた。なんの変哲もない卓袱台にみえて、見事な仕上げだ。安物の卓袱台のように釘や接着剤など使っていない。しかも天板の裏に押してある焼き印、この印は火の国人間国宝、鯛下紋田の工房のものだ。何故こんな高級品があるのだろう。
改めてカカシは部屋を見回し愕然とした。よくよく見ると窓のカーテンは英の国のブランド品に間違いない。ベージュに僅かに色合いの違う糸でイルカ柄を織り込んでいるということはオーダーメイドか。
要人護衛をすることの多いカカシは一流品をよく知っているし目も肥えている。窓際にある花瓶は波希米亜ガラスだし、活けてある花はアプローズ、青い薔薇だ。天井から下がっている照明器具も、一見すればただのありふれた電灯にみえるが、これはシャンデリアの一流メーカーによる、レトロがテーマの逸品だ。

なんでイルカ先生の部屋、こんな高級品揃いなわけ…?

困惑して周りを見回しているとイルカがお盆を持って入ってきた。

「カカシさん?」
「あ、いや…」

キョロキョロしているところを見られてバツが悪い。カカシはガシガシ銀髪をかいた。

「イルカ先生、随分といいものを揃えているんだなぁって」
「え、そうなんですか?」

だが、当のイルカはかえって目をパチクリさせている。

「えっと…」
「うちにあるもの、全部お下がりばっかりなんです」
「えっ」

お下がり?この高級品が全部お下がり?

頭がついていかずぽかんとしていると、イルカは恥ずかしそうに鼻の傷を指でこすった。

「オレが引っ越しするっていったら、色んな方が使えってくださったんです。オレも面倒くさがりやだし、買い物の手間がはぶけて丁度いいやってそのまま使っていて、カカシさんほど目が肥えてらっしゃると、やっぱり統一感なくておかしいと思いますよね。お恥ずかしいです」
「いっいや、お恥ずかしくない…むしろ素晴らしい品ばかりですよ」

カカシは慌てて手を横に振る。

「そうですか、頂き物…」
「はい。でも高級品だったなんて、全然知りませんでした」

きまり悪げに肩をすくめたイルカは、料理を並べるとまた立ち上がった。

「最初はビールですよね」

ぱたぱたと台所へ消える。その後ろ姿を眺め、突如カカシは悟った。

迂闊だった!!

今まで、イルカに想いを寄せる忍び達は蹴散らしてきたが、一般人のことまで気にしていなかった。イルカは任務受付で依頼人達と接する。火影秘書のようなこともやっているので、各国要人とも顔見知りだ。

くっそ〜〜〜、どこのどいつだ、オレのイルカに懸想しやがって!!!

お下がり、などと称して、実はイルカへのプレゼントなのだろう。木の葉の中だけでなくライヴァルは里外にうじゃうじゃいたのだ。しかもかなり財力とツテをもつ輩、もしかしたら自分が護衛した連中の中にいるかもしれない。

調べあげて暗殺してやる

心のうちで固く誓いを立てていると、グラスやビール壜、料理の皿を盆にのせたイルカがカカシの前に座った。

「はい、カカシさん」

渡されたグラスにイルカがビールを注ぐ。まっすぐにカカシを見てグラスをかかげた。

「お誕生日おめでとうございます」

花が咲くような笑み、心の底からカカシのことを祝っている。いつも真っ直ぐに愛情を向けてくれるイルカ、カカシの胸にぐっと熱いものがこみ上げてきた。

「ありがとう、イルカ先生」

こんな、痺れるような幸福がこの世にはあるのか。

「オレね」

幸せで泣きたくなることがあるのだと初めて知った。

「こんな嬉しい誕生日ははじめて」

万感の思いを込めてカカシは言った。

「生きててよかったって…本当にそう思う」
「カカシさん…」

イルカの目が僅かに潤んだ。

「そう言ってもらえるとオレ…」

イルカは一瞬、涙を堪えるように口元を引き結んで、それから満面の笑顔になった。

「オレの方こそ嬉しいです。カカシさんの誕生日をオレが祝えるってことがすごく」

ちらりと見える独占欲がますますカカシを幸福にする。自分の言った言葉の意味に気がついたのか、どこか慌てた風でイルカがグラスをあわせてきた。

「おっお誕生日おめでとうございます、カカシさん」
「うん、お祝いしてくれてありがとう、イルカ先生」

チン、とグラスが音をたてる。ふわふわした気分でカカシはビールをあおった。

!!!

舌から喉、胃にかけて驚きが駆け抜ける。爽やかな香りとコク、上品な苦み、そこらのビールではない。飲み干したグラスをマジマジと見つめる。

「……旨い」
「よかった」

イルカがホッと息をついた。

「大事な人の誕生祝いなんだって言ったら、このビール持ってけってわけてくださって、水の国の地ビールだそうです。気に入っていただけたんならよかった」

なっなんですとぉぉぉっ

なにげに重大発言だ。

高級地ビールをただでわけるとは、酒屋の親父もイルカ先生狙いかっ

内心ギリギリと歯がみした。妻も子もいるくせ、イルカに懸想するとはなんたる不埒者、心の暗殺リストに一名追加だ。もちろん、家具カーテン類を贈った連中も調べあげて殺ってやる。内心の嵐とは裏腹に、顔はにっこり笑ってカカシはビールを誉めた。

「ホント美味しいです。ありがとう、イルカ先生」

ほわ、とイルカが嬉しそうな顔をした。

「どうぞもう一杯。あ、料理も召し上がって下さい。男料理でたいしたものはないですけど」

確かに凝った料理はない。肉や魚を焼いたかサラダか、せいぜいおひたしに野菜の煮物だ。だが、イルカが一生懸命作ってくれたというだけでカカシにとってはどんな贅を尽くした料理にも勝る。

「あ、ナスはこのタレで食べて下さいね。マヨネーズ味噌が美味しいって教えていただいたんです」

カカシは小鉢に目をやり微笑んだ。生の茄子がただ四つ切りにされている。茄子がカカシの好物だと聞いたはいいが、料理法がわからなかったのだろう。

「いただきますね」

あく抜きをした様子もない生の茄子は旨いものではない。だが、イルカの心づくしだ。ほほえましく思いながらカカシは生の茄子を一口齧った。

ーーーーー!!

このみずみずしさ、爽やかな甘み、それでいて確かに茄子の香りが鼻腔に抜ける。

「こっこの茄子…」

思わずイルカをみる。

「あの…」

不安そうに黒い目が揺れた。マズくて手を止めたと思われたらしい。慌ててカカシは訂正した。

「いや、美味しくてびっくりしました。こんな、生でも美味しい茄子なんてはじめてで」
「よかった」

ホッとイルカが肩の力を抜いた。

「カカシさん、茄子がお好きだっていうから、菜園で育てたんです」
「え、これ、イルカ先生が?」
「はい、もちろん作り方は指導していただいたんですけど」

ぽり、と頬を人差し指でかいて照れている。カカシは胸が一杯になった。カカシのために自ら茄子を育ててくれてたなんて。

「おいしい、まるで果物ですよこの茄子」

嬉しそうな顔のイルカの目がちら、とマヨネーズ味噌に向いた。イルカ的自信作なのだろう、こうやって何でも顔にでるイルカは本当に好ましい。カカシは茄子をつまみマヨネーズ味噌をちょん、とつけた。

「今度はこれつけていただきますね」

味噌とマヨネーズをあわせるなど、普段料理をし慣れないイルカには画期的な『タレ』なのだ。そんなイルカを微笑ましく思いながらカカシはマヨネーズ味噌と茄子を口に入れた。

なにっ!!!

市販のキュー◯ーマヨネーズではない。これは手作りだ。しかもこの香り、卵と酢が上物ではないか。そして味噌、くせのある赤味噌と甘みのある白味噌の配合の妙!どちらの味が勝っても台無しになるのを、うまくバランスをとっている。

出汁で伸ばして漉してあるし…

衝撃にしばらく動きがとまってしまった。イルカがわずかに狼狽える。

「あの、お口にあわないようなら別につけなくても…」
「いや、旨いです、素晴らしいです、このタレ」

本気の言葉が思わずもれた。

「そういっていただけて安心しました。実はですね」

イルカが悪戯っ子の顔になる。

「タネあかししたら、オレ、出来上がったマヨネーズと味噌ダレ、いつも貰ってて、それを混ぜただけなんです」

へへへ、と笑うイルカが可愛くてカカシもへらりとしてしまう。しかし次の瞬間、発言の中身に愕然とした。

いつも貰うですとーーーっ?

要するに、常々イルカに差し入れをしている奴がいるということだ。そういえば茄子も作り方を指導してもらったと言っていた。「いつも」というのが気に入らない。

おのれ、イルカ先生にちょっかいかけやがって、どんな目にあわせてくれよう

イルカの心づくしを喜びつつ非常に心の狭いことを考えていると、大皿からイルカが豚の塩焼きを取り分けてくれた。

「オレ、焼くくらいしか出来ないから」
「十分ですよ。料理はシンプルなのが一番です」

不穏な内心が漏れださないよう気合いを入れ直したカカシは肉を口に入れ、再び言葉を失った。衝撃が全身を貫く。

こっこの肉はっ

しっかりと力強い旨味を持つ赤身とコクと甘みのある脂のハーモニー、これは下手に味をつけるより塩だけで素材本来の味を楽しむべき肉だ。そしてこの塩、おそらくは岩塩、それも上物だ。

「イイイルカ先生、こっこれって…」
「オレが料理下手だって言うとお肉屋さんがこれにしろって分けて下さったんです。これなら焼くだけで美味しいからって、あ、それでですね、塩までいただいちゃって、綺麗なピンク色してるんですよ、その塩」

やっぱりそうだ。岩の国の霧立ち山脈でしかとれない極上品、そして肉屋がわけてくれたという肉は同じ岩の国、霧立ち高原で肥育されている土豚だ。

肉屋のオヤジまでイルカ先生を!!!

しかし、肉屋だけではなかった。卓袱台に並べられた料理は、食べてみると全てが最高級の素材と調味料で作られている。サンマに振ってある塩は先程の岩塩とはまた違い、水の国で昔ながらの製法で作られている堰の塩、そこらのスーパーものではないしっかりした滋味のある野菜、煮付けに使われている出汁は水の国のアゴだし、それもトビウオが丸々一匹壜の中に入れられているアゴだしの中でも限定高級品だ。
カカシは愕然とした。モテる人だとは思っていたがここまでとは。相手が一般人なだけにその数は把握しきれない。

こっこれは早々に結婚宣言しておかねばっ

同性婚は法律上認められていないが、世間には『恋人』ではなく『夫婦』なのだと示しておきたい。でなければこれだけモテる人だ。めぼしい奴らを暗殺したところで焼け石に水、いつどこでどんな奴がちょっかいかけてくるか。なごやかに食事をしながら、カカシは胸の内で決意を新たにしていた。


 
アゴだし、美味しいよねvトビウオが丸々一本はいっただしはすぐに完売するそうです。一度食べてみたい…オフ本で次はナニな展開ですが、ここは表なんで省かせていただくことに…てへ