憧れの人
 
んで、結局言い出せなかったよ…


都での任務を終え、カカシはとぼとぼと里への道をたどっていた。正確に言えば、気分は「とぼとぼ」だがそこは上忍、帰投時間を遵守すべく通常の速度で木々の間を駆け抜けている。
夕べはイルカの好きな肉を使ってすきやきをした。旨いものを食べて場を盛り上げてから告白しよう、と我ながら情けなくも姑息な手段に出た。案の定、イルカは大喜びで食べてくれ、仕事に行くと告げた勢いで、自分が上忍であること、写輪眼のカカシであることを告白しようとしたのだが。

プロポーズしてどーするよ、オレ…

肝心なことは何一つ言わないまま、つい、イルカとずっと一緒にいたいのだと告白した。

しかもすべったし…

屈託のないイルカの笑顔を思い出し、カカシはずん、と落ち込む。

ぜっんぜん意識してないのね、オレのこと。

ただ、イルカは一緒に暮らしていきたいと言ってくれた。あの家に住むようずっと言いたかったのだと。

『食費も浮くし』

イルカの最後の言葉にずんずん、とまた落ち込む。

そりゃ、共同生活のほうが食費は安くあがるよね、知り合ったのもスーパーのナイトセールだし…

カカシと暮らして楽しいと思ってくれたからだとわかっていても、それでもへこむ。自分との生活を続けたい最大の理由が食費にあるような気になってしまう。とうとう何も言えず、ただ、出がけに一言だけ告げることができた。

『イルカ先生、明日、オレは先生を、きっとひどく驚かせてしまうと思う。』

驚くだろう、イルカはそして、怒るだろうか、カカシを許さないだろうか。一縷の望みは、イルカの家で暮らしたらいい、と言ってくれた言葉だけだ。それと昨日、火影から聞いた一言。

『上忍達の処分については、もう一ヶ月も前に伝えておるわい。イルカはおぬしに言わなんだか?』

イルカは何もカカシに言わない。その意味に期待してもいいのだろうか。ぐるぐると考えながら走り続け、気が付くと里の大門はすぐそこだった。西日が阿吽の文字を明るく照らしている。

「……あ〜あ…」
こんな時に限って誰も襲ってこないし…

任務は順調すぎるほど順調に終わった。カカシは阿吽の大門を仰ぎ見る。

覚悟きめなきゃ。

ダメでもともと、イルカとの間はこれから始めればいいのだ、そう自分に言い聞かせ、カカシは受付所に足を向けた。









カカシは猫背で両手をポケットにつっこんだまま、受付所へ続く廊下を歩いた。人々の視線が自分に集まっているのがわかるが、もう慣れた。それに今はそんなことに構っている場合ではない。

やっぱりいる…

受付所の中から、確かにイルカの気配が感じ取れた。この期に及んで臆病風にふかれている己に苦笑し、カカシはガラリ、とドアを開けた。
夕方の受付所は混み合っている。一瞬、その喧噪にまぎれられないものか、と淡い期待が沸いたが、無駄だった。意識して気配を断たない限り、写輪眼のカカシはいつでも注目の的だ。中にいた人々が一斉にカカシへ眼を向ける。

イルカは…

正面の受付机の右側にイルカは座っていた。中央には火影がいる。
報告書を提出する忍達の列の向こうで、イルカの黒い双眸が見開かれていた。どこか呆然とカカシを見つめるイルカ、全身を締め上げられるような圧迫感に耐え、カカシはイルカの列に並んだ。イルカは事務手続きの手を止めたまま、カカシを凝視している。イルカの視線に身を切られるようだ。隣の火影が口を開いて何事か言う。おそらく、報告書処理の手が止まっていると窘められたのだろう、焦った様子でイルカは事務処理を再開させた。それからは一度たりとも顔を上げず、カカシを見ようとしない。

どうか…

一人、一人、と報告書処理が終わり、カカシはイルカに近づいていく。

どうか、オレに何か言って…

祈るようにカカシはイルカを見つめた。

笑ってくれなくてもいいから、何か言って。

責める言葉でもいい、怒りをぶつけてくれてもいい、写輪眼のカカシではなく、ただのカカシへの言葉が欲しい。前の忍の処理が終わり、カカシはイルカの前に立った。

イルカ先生、ごめんなさい、でも、嘘をつくつもりはなかったんです、ただ、貴方といるのが本当に楽しくて、だから本当のことを言う勇気がなくて、御願いです、イルカ先生、オレはこれからもずっと貴方と…

口が渇いて喉がカラカラだ。言いたい言葉はカカシの中で渦巻くだけで声にならない。震えそうになる手を必死で押さえ、カカシは報告書を差し出した。

「……御願いします…」

びくり、と体を震わせ、イルカが顔を上げた。イルカと目が合う。漆黒の瞳が揺れていた。一瞬、何か言いたげに口が動く。だが、本当にそれは一瞬のことで…

「おっお預かりします。」

小さな声とともにイルカの顔はまた伏せられた。他人行儀なその声音にカカシは打ちのめされる。

イルカ先生…

報告書をもつイルカの手が小刻みに震えているのがわかった。カカシは必死の思いでイルカを見つめる。

どうか、顔を上げてオレを見て、何か言って。

「はい、これで結構です、お疲れさまでした。」

事務的な声だった。何の感情もそこにはこめられていない。

「どうぞ、次の方。」

完全な拒絶、怒りすら向けて貰えないのか、カカシは呆然と立ち竦んだ。イルカの顔は伏せられたままだ。

「カカシよ。」

火影の声にハッとする。カカシは唇を噛んだ。ここは受付所で、自分は里の看板忍者、写輪眼のカカシだ。火影に一礼すると、カカシは踵を返した。

「カカシ。」

再び名を呼ばれ振り返れば、火影の気遣わしげな眼にぶつかった。

「一刻後に部屋へ参れ。おぬしの頼んでいたものが出来たそうじゃ。」
「頼んでいたもの…?」
「それにほれ、おぬしも会うのは久しぶりじゃろうが。」

あぁ、とカカシは得心する。暗部付きの薬師が里に帰ってきていると聞いたので、解毒剤や兵糧丸を頼んでいたのだ。それにかこつけて火影は、カカシが受付所近辺に居続ける理由をくれたのだろう。もう一度イルカと話せと、このまま逃げ出すなと。
カカシは目礼を返し、受付所を後にした。胸の中は鉛を流し込まれたように重く苦しかった。











一刻の後、カカシは火影の執務室にいた。

「なんじゃその恰好は。」
「普段着ですよ。」

カカシは忍服を脱ぎ、いつものTシャツとジーンズ姿だ。相変わらずイルカのパーカーを借りて着ているのは自分でも未練だと思う。

あの後、いったんカカシは自宅へ戻った。ドアを開け、部屋の中へ入る。カカシはぼんやりと突っ立ったまま部屋を眺めた。最近はほとんど使われていないベッドと、様々な忍具に替えの忍服、ただそれだけの部屋。

オレが帰りたいのはここじゃない…

恐ろしいほどの空虚さがカカシを襲った。心に浮かぶのはイルカの家だ。
玄関の、すりガラスのはまった引き戸を開け、縁側のある居間へ入れば、カカシの育てているウッキー君がタンスの上に乗っていて、卓袱台の脇にはよみかけのイチャパラ、そしてなにより、イルカの笑顔。

失いたくない…

イルカが怒っているのならば、とことん謝ろう。誤解も解こう。簡単に諦めてしまえるほど自分は枯れていない。初めて欲しいと思ったのがイルカなのだ。
カカシは急いで着替えた。イルカと話をしよう。いつものカカシの姿で、この姿がけして偽りではないとわかってもらいたい。変化も幻術も使わず、素顔のままカカシは自宅を飛び出した。

そして今にいたる。

「お久しぶりです、それにしても私服の貴方というのは新鮮ですね、はたけ上忍。」
「ん〜、久しぶり。アンタも元気そうじゃない。」

火影の隣にたつ暗部姿の男にカカシは挨拶した。

「何、里でも暗部服って、アンタも大変だねぇ。」
「そうでもありませんよ、いつもは私服です。」

今のはたけ上忍みたいに、と暗部服の男は笑った。三人しかいないため、男は狐の面を頭の横に押し上げている。

「これ、頼まれていた兵糧丸と解毒剤です。」

男は茶色い紙袋をカカシに渡した。その時、廊下を執務室へ向かってくる気配がする。ハッとカカシは眼を見開き、男は狐の面で顔を隠した。

「三代目…」
「ちと、イルカに使いを頼んでな。」

近づいてくるのはイルカの気配だ。カカシは息を飲んだまま執務室の扉を凝視する。トントン、とドアがノックされた。入るがよい、という火影の声に、ドアががちゃりと開く。

「失礼します、火影さ…」

入ってきたイルカが動きを止めた。漆黒の瞳がカカシを見つめる。

「……カカシ…さん…」

カカシはぐっと拳を握る。

「イルカ先生。」

今度こそ腹をくくろう、カカシは真っ直ぐイルカに相対した。


 

カカシ、大ショック、そしてイルカは、暗部の薬師は、三代目はっ。様々な思いが錯綜しながら次回はイルカ先生の段!(いや、暗部の薬師と三代目、錯綜させてどうする)