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憧れの人
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碧と緋色、二つの宝石から透明な雫がこぼれ落ちる、するすると静かに。それは息を飲むほど美しく、そして神秘的だった。 あんな顔して泣くなんてなぁ… イルカは思い出してはぁ〜、と息をつく。イチゴと生クリームのホールケーキを用意したのは、ほんの軽い気持ちだった。日頃アカデミーの子供達に接しているイルカにとって、それは誕生日の定番、当たり前の感覚だ。野郎二人でイチゴのケーキですか、と大笑いする予定だったのに。 『ごめん、ガキの頃のこと、思い出しちゃって。』 にこり、と笑ったカカシの顔が忘れられない。涙は後から後から溢れているというのに、カカシは本当に幸せそうに笑った。ただ、それは胸が痛くなるほど切ない色を帯びていて… オレがいるから、一緒にいるから、だから泣くな うっかり言いそうになってしまった。 「アホか、オレは。」 イルカはごいん、と職員室の机に頭をぶつけた。丁度、1時間目の授業を終え、二時間目が空きなので事務仕事を片づけようと座ったところだ。なのに作業は進まない。頭に浮かぶのはカカシのことばかり。 「一緒にいるからって、何様だよ、オレ…」 言わなくて本当によかった。はずみとはいえ、カカシの頬に流れる涙を手で拭ってしまったことだけでも気恥ずかしいのに。 綺麗な涙だった。色違いの瞳から溢れる涙が銀色の睫にたまって小さな水晶球になる。水晶球はするり、と白い肌を伝って砕け、きらきらと光った。 「あんな目、してたんだ…」 碧と緋色の二つの宝石、普段、左目に髪の毛がかかっているとはいえ、半月も同居していて、気づかなかった自分が情けない。縦に傷がはいっているのは知っていた。なにかの事故だと思っていたが、やはりそのせいで赤い瞳になったのだろうか。視力に不自由はないのだろうか。どんな事故で、いつカカシさんは… オレ、カカシさんのこと、何にもしらねぇ… そうなのだ。イルカはカカシの名前と年齢しかしらない。何を生業にしているのか、里の外で何をしていたのか、先生とはいったい誰なのか、考えてみると、一緒に暮らしていながら、繋がりは本当に希薄だ。今朝もカカシは、陽が昇る前に出かけていった。早出の仕事で、帰りは何時になるかわからないと。 アンタ、今頃何やってんだ?カカシさん。なんであんなふうに泣いたんだ?アンタに泣かれるとオレは… 「相変わらず悩ましげなため息ついちゃって。」 ぽん、と肩に手を置かれて、イルカは飛び上がった。 「なななっ」 「なぁに?恋が進展しなかったの?昨日は誕生日してあげたんでしょう?」 イルカが姉とも慕っている年かさの女性教員だった。 「ここ恋っ」 絶句するイルカに、向かいに座る同僚が声をかけてきた。 「あ〜、どうだったぁ?イルカ。あの輪っか飾り、役に立ったろー。」 本棚の向こうから首を伸ばしてニヘッ、と笑った。 「恋人との甘い一夜に彩りを、ってなもんだよな〜。」 「あら、学芸会の残りの輪っか飾り、持って帰ってたのって、恋人とのパーティ用だったの。」 「そーなんすよ、オレがね、勧めてやったんス。んで、イルカ、どうだった、恋人との甘い夜。」 「だからーーっ、友達だって言ってるじゃねぇかっ。」 イルカは真っ赤になった。 「友達の誕生祝いしたんだよ。恋人じゃねぇ、ってか、なんですぐ恋人って決めつけんだーっ。」 「だって、ねぇ。」 「っすよ〜。」 女性教員と同僚は顔を見あわせた。 「あれだけ浮き浮き準備してる姿って、しかも二人っきりで誕生日って、ねぇ。」 「っすよ〜。」 「違うって言ってるじゃないですかっ。」 イルカは額を押さえ、椅子ごと女性教員の方へ体を向けた。 「あのですね、カカシさんは事情があってオレんちにいるだけなんです。里に帰ってきたばかりで知り合いがいないし、忍じゃないからちょっと不都合とかもあってですね、だから…」 「イルカ、お前、いっくら写輪眼のカカシファンだからって、惚れるヤツの名前までカカシなのかよ。徹底してんな〜。」 向かいから身を乗り出してきた同僚の頭をイルカはごん、と拳骨ではたいた。 「と・も・だ・ち・だっつってるだろっ、人の話聞けっ。」 ぐぉっと目を剥いたところに、教頭が入ってきた。 「うみの中忍、火影様がお呼びですよ。執務室へ直接行ってください。」 「あ、はっはい。」 イルカは机の上のものをぱたぱたと揃えて立ち上がった。最近、イルカは件の薬師専用お遣い係りになっている。空き時間が二時間あるので、また薬問屋へのお遣いだろう。 「とにかく、恋人だなんて勘違い、止めてくださいよ。」 興味津々の二人にきっぱり言い置き、イルカは職員室を出ていく。 「あーあ、イルカのヤツ、ぜっんぜん気づいてねぇのか。」 相変わらず鈍いなぁ、と同僚が呟くと、女性教員も頷いた。 「自分がどんな顔して誕生日の準備してたか、自覚してないのねぇ。」 あの人の誕生日だから、と定時に大急ぎで帰り支度をしていた顔は、完全に恋する男のものだった。 「きっと、自分の気持ちに気づいた頃、どっかのカワイコちゃんにかっさらわれて泣くんですよ、ありゃ。」 「それも可哀想ねぇ。」 想像できるだけに気の毒だ。学芸会の輪っか飾りを嬉しそうに運んでいたイルカ、なんとかしてやりたいッスけど、という同僚の呟きに、女性教員も深く頷いた。 火影の用事はやはり暗部薬師のお遣いだった。イルカは案外とこの任務を気に入っている。普段縁のない薬問屋は興味深い所だった。知識欲の旺盛なイルカには楽しい場所だ。お遣いリストを受け取り、退出しようとしたときだ。火影に呼び止められた。 「先だっての、上忍達の件じゃがな。」 イルカはハッとなった。まさか釈放されるのか。タチは悪いが腕のたつ連中だ、今は大人しくしていても、数年後、必ず意趣返しに来るだろう。自分はまだいい、その時、カカシはどうなる。不安が顔に表れたのか、火影が苦笑した。 「案ずるでない、イルカよ。目先の利益に惑わされて災いの種をまくほど、耄碌しておらんわ。」 「はっ…もっ申し訳…」 イルカは赤くなった。イルカに考えつくことくらい、火影はとっくに承知のはずだ。 「安心するがよい。あの連中、二度と木の葉の土を踏むことはなかろう。己が何者かもわからぬまま、最果ての地で戦いの日々を送ることになる。」 「…それは…」 イルカは僅かに戦慄した。イビキ率いる拷問部隊の管轄下に置かれているということか。死ぬより辛いかもしれない。 「罪もない里人を何人も殺したのじゃ。死ぬまで償わねばのう。」 火影はゆっくりとキセルをくゆらせた。煙が一筋、揺らめきながら宙に消える。イルカは無言で一礼し、退出した。 執務室のある建物を出て、校門へ向かう。九月も半ばを過ぎ、日射しは強いが肌を撫でる風は爽やかだ。 そっか… イルカは大きく息をつく。 もう大丈夫なんだ。 ようやく、火影の言葉がすとん、と胸に落ち着いた。もう、自分もカカシも危険にさらされることはない。じんわりと安堵が広がった。いつも、なにかしら襲撃にそなえて緊張していたので、一気に力が抜ける感じだ。 もう大丈夫。 今夜、カカシにそう伝えよう。どれほど安心するだろう。よかった、これでカカシにも日常が戻ってくる。自宅へ帰り、自分の生活をきちんとこなし… ずきり、とイルカの胸に痛みが走った。 カカシが自宅へ帰る… それは今の生活を解消するということだ。朝、起きておはようと言う相手がいなくなる、おかえり、と言い合う相手がいなくなる。ぐっとイルカはベストの上から胸を押さえた。 「は…はは、よかったよなぁ。」 振り払うようにイルカは独り言ちた。 「まぁ、これからも飯、誘えばいいし、今夜はお祝いでもすっかな。」 イルカは大きく息を吸い込む。どこからかキンモクセイが香ってきた。 「二日続けて、目出度いってなぁ。」 自分を元気づけるよう、イルカは大股で受付塔へ続く渡り廊下を歩いた。校門への近道だ。中庭をはさんだ校舎から、授業の声が聞こえてきた。なにも変わらない日常、イルカはもう一度、深呼吸する。 「とにかく、よかった。」 渡り廊下を過ぎた所で、数人の事務方や受付担当の中忍が立ち話をしていた。イルカを認めて一人が手を振る。 「おーい、イルカ、聞け聞け。」 ずいぶんと皆興奮している。 「こないださぁ、術と薬にやられた暗部がアカデミーの校庭で騒ぎ、起こしただろ?」 「あぁ、あれか。」 写輪眼のカカシが取り押さえたんだよな、とイルカが言うと、同僚は目をキラキラさせた。 「それそれ、その写輪眼のカカシ、術かけた忍、生け捕りにして帰ってきたんだと。」 「他の敵は殲滅で、それがたった、暗部一個小隊でやってしまったらしいんですよ。」 事務方の若い男も興奮気味に言う。 「しかも、半日かからなかったっていうんですから、すごいですよねぇ。」 「さっすが写輪眼だよなぁ、生きた伝説っていうけど、やっぱ桁が違うわ。」 「…すげぇ…」 イルカは感動した。この間の、アカデミーの子供を助けてくれた時といい、今回といい、はたけカカシはなんとスケールが大きいのだろう。居心地の良い同居生活がなくなるくらいで落ち込んでいた自分が恥ずかしい。 そうだ、イルカ、男なら、いっぱしの忍なら、友人の幸福を最優先に考えるべきだろう。 イルカはふん、と己に活を入れた。 畑野カカシは大切な友人だ。はやく里での生活が軌道にのるよう、自分が協力しないでどうする。 いまだ写輪眼のカカシの噂に花を咲かせている同僚達に挨拶し、イルカは早足で街を目指した。今日は仕事をさっさと片づけ、食事を作ろう。何時に帰れるかわからないとカカシは言っていたが、準備だけはしておきたい。そして、もう何も心配いらなくなったのだと、火影の話を伝えよう。きっと安心し、喜ぶだろう。 よかったなぁ。 今、イルカは心の底からそう思った。 ………はずだった…… 夕焼け空を背に、銀髪の青年が立っている。二人の若い女と話をしていた。女達の黄色い声、青年の端正な顔が夕陽の残照に浮かぶ。茜色に染まった美しい男。 「あ、イルカ先生。」 青年の口元が柔らかくほころんだ。若い女達に手を上げて、それからこちらへ駆けてくる。 「…カ…カシさん…」 「先生、今日は残業なかったんだ。」 にこにこと笑うカカシの手には、スーパーの袋が二つ下げられていた。 「オレもね、意外に早く終わっちゃったんで、買い物しときました。」 袋をかかげてみせる青年の、銀髪は今、夕焼け色だ。ひんやりとした夕風がそよ、と吹いた。 「流石に夕方は冷えてきましたね〜。さ、帰りましょ、イルカ先生。」 あったかい汁、作りましょうね〜、そう言って笑う。 「カカシ…さん…」 早く教えてあげなくちゃ、あの上忍達の処分が決まった、もう何も心配しなくていいと。 「あの…」 喜んでくださいよ、自宅へ帰れるんです 「ん?なに?イルカ先生。」 色々と不自由だったでしょうが、もう大丈夫ですから 「あの、カカシさん…」 でも、たまにはまた、一緒に飯食いましょう… 「さっきの女の人達、お知り合いだったんですか?」 口をついてでた言葉は、全く違うことだった。カカシはきょとん、と首を傾げる。それから、あぁ、と言って笑った。 「ぜ〜んぜん。道聞かれたな〜、と思ったら、一緒にお茶しませんかって、あれ、ナンパですか?最近の若い子は積極的ですねぇ。」 「なっなんだ、それなら、ちょっとお茶してくればよかったのに。」 ははは、とイルカは笑い声をあげた。 「可愛い子達じゃなかったですか、もったいない。」 自分の声が耳に空々しく響く。だが、カカシはにべもなく言った。 「ヤですよ、オレ、イルカ先生と飯食うほうがいいですもん。」 「え…」 イルカの戸惑ったような声には気づかず、カカシは楽しげにスーパーの袋をがさがさいわせた。 「ほら、今日は大根とガンモ、安かったんですよ。一緒に出汁で煮ようかなって思って。」 イルカの胸に安堵とも何ともつかない感情が広がっていく。 「もすこし寒くなったら、おでん、しましょうねぇ。」 「…いいですね、それ。」 イルカは胸に渦巻く妙な感覚に戸惑った。ざわめく内心を悟られないよう、ひたすら食べ物の話に始終する。結局、上忍達の処分の話を言いだすことはできなかった。 |
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学芸会の残りのお花だったんですね、イチゴケーキを飾っていたのは。イルカ先生、自覚がないだけに悩みと戸惑いが深いです。周囲はやきもき、次回はカカシさん、職員室に顔を出す、の巻?
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