憧れの人
 

真っ赤なイチゴののった生クリームのまぁるいケーキ


カカシの父親は、忙しい身であるにもかかわらず、誕生日にはいつも側にいてくれた。母親をはやくになくした息子のために買ってくるのが、真っ赤なイチゴののった誕生日ケーキ。

父親がいなくなったら、今度は金髪の「先生」がケーキを買って、誕生日をしてくれた。今にして思えば、大戦中だというのに、大人達は随分カカシのために心を砕いてくれたのだ。

九尾の災厄で金髪の「先生」もいなくなり、カカシに真っ赤なイチゴのケーキを買ってくれる人はいなくなった。里を離れ、暗部として任務をこなす日々では、誕生日も何もあったものではない。だが、イチゴののったまぁるいケーキの思い出は、いつだってカカシの心に優しい光を灯してくれた。だから、ずっと思っていた。恋人が出来たら、誕生日にはイチゴののったまぁるいケーキでお祝いしてもらいたい。

これってそんなだいそれた望みだったのかねぇ。

まぁ確かに、二十歳も半ばの男が口にする願いではないかもしれない。私服に着替えたカカシは、イルカの家へ向かっている。自宅に戻って任務の準備は整えた。毎回、任務の度にこうやって自宅で準備をすませてから、こっそり抜けだしイルカの家へ行くようにしている。

情けな…

己の不甲斐なさに涙が出そうだ。イルカへの気持ちが恋なのだと自覚したのはごく最近だ。一緒にいたいと強く思った。アスマやガイ達と何か違うなとは感じていたが、それでも友人になりたいのだと思っていたのに。

だってねぇ、パンツいっちょに興奮しちゃっのよ、オレ…

同居して早々、風呂上がりのイルカに心臓が飛び跳ねた。肩まで下ろした髪をがしがしとタオルで拭きながらあがってきたイルカの素肌に目が釘付けになった。健康的な褐色の肌には、前線をくぐって生き延びた証のように傷が無数にある。イルカが髪を拭くたびに、鍛えられた筋肉が動き、それが妙に色っぽい。そして、タオルの間からふと、カカシを見た目にとどめを刺された。濡れた髪が額にかかり、黒々とした澄んだ瞳がカカシを映す。背筋を電流が走った。

オレの気持ちって、肉欲込み…?

股間を直撃された衝撃を誤魔化すように、カカシは「オレも風呂、いただきます」と逃げ出した。以来、カカシの理性は日々、己の欲と戦っている。イルカは背も高いしがっちりしていて男臭いタイプだ。それが、ひょんな時に、とんでもない色気を醸し出す。パジャマからのぞく素肌だの、照れた時の笑みだの、上目遣いになったときの表情だの、それらを見るとカカシの腰が落ち着かなくなる。

ヤバイなぁ…

カカシはほてほてと歩きながら空を仰いだ。西に傾いた太陽の、わずかに赤みを増した陽光に街並みが鮮やかだ。

野郎の裸なんて、見飽きてるはずなのにねぇ。

大戦中から前線にいたカカシの周りは当然野郎ばかりで、酒を飲んでハメをはずそうものなら全員揃って裸踊り、なんてことも珍しくなかった。

オレ、男にムラムラきたことなんてなかったのに〜。

イルカだからなのだともう自覚している。思えば初めて見かけたときから、あの黒い瞳に囚われていたのかもしれない。芯の強い澄みきった光を宿した黒い瞳に。カカシははぁっとまたため息をこぼす。自分が写輪眼のカカシであることすら打ち明けられないのに、恋人になんかなれるのだろうか。

ムクゲのの咲いた塀の角を曲がれば、正面にイルカの家が見えた。すりガラスのはまった格子の引き戸を見ると、子供の頃を思い出してなつかしい気分になる。今はその引き戸のある家へ帰れるのがカカシは嬉しい。中にいるのがイルカだからなおさらだ。「海野」と書かれた木の表札が下がった門柱を過ぎ、カカシはポケットから鍵を取り出した。イルカから貰った合い鍵だ。鍵穴に差し込むと、鍵はもう開いていた。


「あれ、ただ〜いま。」

がらがらと音を立てて玄関の引き戸を開ける。ドタバタと忍にあるまじき足音を立ててイルカが走ってきた。

「おかえりなさい、カカシさん。」

着替える暇を惜しんだのか、イルカは忍服のアンダー姿だ。

「イルカせんせ、今日は早かったんだね。」

まだ夕方の五時半、イルカが帰っているのは珍しい。えへへ、とイルカは鼻の下を指でこすった。

「だって、今日はカカシさんの誕生日ですからね。特別です。」
「え〜、嬉しいなぁ。」

特別、という言葉に深い意味はない。そんなことくらいカカシはわかっていたが、それでも嬉しくて笑みがこぼれた。玄関の鍵を閉め、サンダルを脱ぐとイルカがニコニコと言った。

「先にお風呂にしますか?それともご飯を?」
「うわ〜、なんだか新婚さんみたいですね〜。」
「えっ、なっ、えええっ。」

自分の台詞に気づき、イルカが真っ赤になった。

「いっいや、オオオレはですね、単に…」
「いい匂いがしているから、飯、先にもらおうっかな。」
「や、あ、はいはい。」

ドタバタと、また忍にあるまじき身のこなしでイルカは居間へとってかえす。その後ろ姿にカカシは口元を弛めた。イルカは一生懸命、カカシの誕生日を祝ってくれようとしている、全身からそれが感じ取れて、カカシの胸はじんわり温かくなってくる。

居間に入ると、イルカがあれこれ皿を並べているところだった。
卓袱台の真ん中にでん、と大皿が置かれている。お頭つきのキンメの刺身だ。隣の中皿は貝づくしだった。その脇には、油揚げとじゃこと水菜のサラダだの、里芋と茄子の煮付けだの、こんにゃくの唐辛子炒めだの、イルカの心尽くしの料理が並んでいる。

「オレ、洒落た料理とか出来ねぇから。」

冷えたビールの瓶を卓袱台に置きながら、イルカが照れくさそうに言った。

「…最高ですよ。」

ストン、と卓袱台の前に座り、カカシは感極まった声を上げた。

「オレの好物ばっかり。それにこの刺身、よくこんな良い物ありましたね。」
「へへ、だから、特別です。」

イルカはカカシの誕生日のために、何日も前から食材調達の手配をしたのだろう。その心遣いが何より胸に沁みる。カカシはきちんと正座すると、イルカを真っ直ぐ見つめた。

「ありがと…イルカ先生、オレ、こんなに誕生日が嬉しいの、初めてだ…」

ありがとう、とカカシはぺこりと頭を下げた。

「わわ、なに改まってんです。」

下げた頭の先で、イルカが慌てているのがわかる。

「ほら、カカシさん、食べましょうよ。ビールビール。」

ぺきょっ、と蓋を開ける音がする。カカシが体を起こすと、向かいのイルカはビールをグラスに注いでいるところだった。照れくさかったのだろう、耳まで赤くなっている。

「はい、カカシさん、乾杯。」

イルカはグラスをカカシに渡すと、自分からチン、とグラスをぶつけてきた。

「お誕生日、おめでとうございます。」
「ありがと、イルカ先生。」

本当に、こんな幸せな誕生日は初めてだ。子供の頃の誕生日も幸せだった。ただそれは、単純に嬉しい誕生日、大事な物を失う日がくるなど考えたこともなかった幼い無邪気な幸せだ。
カカシは一度、全てを失った。父親が死に、親友が死に、金髪の先生も里に殉じた。だが、独りぼっちになったわけではなかった。それでも誰かがカカシの誕生日を祝ってくれてはいたのだ。戦場では暗部の先輩達が、里では火影や友人達が、都合のつくかぎり、カカシのことを構ってくれた。
だが、自分はやはりどこか寂しかったのだろう。イルカに誕生日を祝われて、初めてそのことを自覚した。永遠に失ったと思っていた何かを再び与えられたような喜びが胸の中にわきおこる。

「ぷはっ、うめ〜。」

一息にグラスを干したイルカが、手酌でビールを注ぎ、カカシにもすすめてきた。

「ほら、どんどん飲んで、食ってくださいよ。」
「うん、ありがと。」

この人が好きだ。

カカシもグラスを飲み干し、イルカが取り分けてくれた料理にとりかかる。

もうどうしようもないくらい好きだ…

心から求める人が祝ってくれるから、こんなにも幸せなのだ。まだ何も告げていないけれど、何も始まっていないけれど、今はこれで十分だ、カカシは全身を満たす温かい思いを噛みしめた。









「もうちょっとつかっていてくださいよーっ。」
「はいはーい。」

イルカの声に湯船からカカシはのんびり返事をした。一通り食事が終わると、次は風呂だ。二人とも、きちんと食事をした後酒を飲むタイプだったので、飲み始める前に風呂を先にすませることにしている。

『今日の酒はすごいですよ。』

そう胸を張ったイルカは、普段長風呂のくせに五分で入浴を済ませ、カラスの行水のカカシに、いいと言うまで風呂から出るな、と厳命した。

「な〜にたくらんじゃってるんでしょ〜。」

湯船でカカシはくすくすと笑う。イルカは落ち着いて見えて、結構悪戯小僧な面がある。おおかた、卓袱台の上に一升瓶を置き、その周りを飾り付けているのかもしれない。

「色紙のわっかとか作っていそうだよね、あの人。」

カカシは今、心も体もあったかい。これだけ温かい想いを貰えた誕生日、カカシは自分も同じことがイルカにしてやれたら、と思う。イルカも全てを失った人だ。あの人の孤独を埋めるのが自分だったらどんなにいいだろう。湯船についた水滴に、カカシはつつっと指を滑らせる。

「…アンタの一番になりたいな…」

カカシの指の滑った後には、漢字の一の字が生まれて消えた。



「カカシさーん、もう出ていいですよー。」

居間の方からイルカの声がした。準備が出来たらしい。

「は〜い。」

よいお返事をして、カカシは風呂からあがる。なんだか楽しくてたまらない。きっととびきりの酒を見つけたのだろう。明日は早朝から任務だしイルカも休みではないので、お互い深酒はできない。だが、いい酒を少しだけ、じっくりと味わおう。

ま、イルカ先生と一緒に飲めば、どんな酒でも旨いけどね。

パジャマに着替えガシガシと髪をふきながら、カカシは居間へ入った。

「お待たせしました、イルカせん…」
「じゃ〜ん、誕生日第二弾っ。」

イルカの陽気な声が響いた。

「誕生日にはやっぱりこれがないと。」

カカシの思った通り、卓袱台の縁が色紙で作った輪っかで飾られていた。卓袱台の上には、白とピンクのちり紙で作ったふんわりした花、しかし、一升瓶は卓袱台の上ではなく、横に置かれている。卓袱台の上にあるのは、白とピンクの紙の花に囲まれているのは…

カカシは居間の入り口に突っ立ったまま息を飲んだ。

真っ赤なイチゴののった生クリームのまぁるいケーキ

卓袱台の中央に、誕生日のケーキがある。カカシの心の中にある温かい灯火、真っ赤なイチゴのまぁるいケーキが。

『カカシくん、たんじょうび、おめでとう』

クッキーにチョコレートでそう書かれたプレートがのっている。太いろうそくが二本と細いろうそくが六本、プレートを囲むようにさしてあった。

「酒の肴には甘いけど、誕生日ですからね。」

まぁるいケーキの向こうで、イルカがにこにこと笑った。


カカシくん、たんじょうび、おめでとう


「ほら、カカシさん、ろうそくに火、つけましょう。」

マッチを手にイルカが笑う。

カカシは六歳になったから、ろうそくは六本だね
一度に吹き消すんだよ、カカシ
カカシ、おめでとう、カカシ

「一度に吹き消してくださ…」

カカシ、お誕生日おめでとう

「カッカカシさんっ。」

イルカが血相を変えてすっとんできた。

「カカシさんっ、どっどうしたんですかっ。」

わたわたと焦って手を伸ばしてくる。

「…え…?」
「いっいやでしたか?あのっ、オレっ。」

イルカの手がカカシの頬を拭った。

「……オレ…」

頬が濡れていた。いつの間にかカカシの目からは涙が溢れていた。

「あ…」

自分の指で頬に触れる。涙が後から後から溢れて指を濡らした。

「カカシさん、カカシさん…」

おろおろと狼狽えるイルカは一生懸命カカシの涙を手で拭う。

「カカシさん…」


大事な私達のカカシ、誕生日おめでとう


父さん、母さん、先生…


声が聞こえたような気がした。カカシは目を閉じ、ただ涙を零し続けた。

 
ちょっとほろりとしちゃったカカシさん。ところでイルカせんせ、アンタ、その色紙の輪っかとかちり紙の花とかど〜したの(そのお話は次回だってばよ)