憧れの人
 

「よ〜、カカシ、今晩、空けとけや。」

上忍待機所のソファでカカシがだらけていると、猿飛アスマがぼふん、と頭を叩いてきた。

「里で不自由こいてるおめぇのために誕生日やってやる。」

アスマは里でのカカシの事情を知る数少ない仲間だ。

「ガイと紅もな、任務が入ってねぇってんで、例の店に集合だ。あそこなら気兼ねなしで飲めるだろ。」
「ん〜、ありがと。でも今夜はオレ、予定あんのよ。」
「あぁ?」

アスマはカカシの隣にどかりと腰を落とすと、煙草を取り出した。

「なんだ、女でも出来たか。」
「ちがーうよ。」

煙草をくわえたアスマは、眉を上げた。

「にしちゃ、お前、最近どこにしけこんでんだ。めったに部屋、帰ってこねぇって聞いたぞ。」
「秘密〜。」

カカシはソファに深く沈んだまま、ぼんやりと外に目をやっている。それを横目で見ながら、アスマは煙草に火を点けた。

「ねぇ、アスマー。」
「なんだ。」

これが至福の一服、とアスマは深く煙を吸う。

「これって恋、かな…」
「ぶばっ。」

煙草がアスマの口から飛んだ。げほげほとむせながら慌てて火を消す。

「なっなっなんだぁ?」
「だーかーらー、恋、なのかなぁって。」

あんぐりとアスマは口を開けたまま、隣に座る男を見た。

恋、恋と言ったか、今、恋と?

カカシは淡泊な男だとアスマは知っている。巷に流れる「里一番の花魁のところに居続け」だの「引く手あまたで女の絶えたことがない」だのは、英雄色を好む、に倣い里が意図的に流した噂だ。実際、良くも悪くも有名人のカカシは引く手あまたで、かえって恋愛をしづらい境遇にあった。そのうち、三代目から良縁でも世話してもらって所帯を持つだろう、くらいに思っていた男が恋をしたというのか。
えほん、と咳払いをしてアスマは口を開いた。

「カカシ、念のために聞いておくが…」
「池の鯉、とか言ったら殴るよ。」
「……いや、悪かった。」

やはり「恋」と言ったのか。恋愛に縁のない男だったが、春が訪れたならそれはそれでめでたいことだ。
気を取り直し、アスマは新しい煙草をくわえた。

「んで?」

顎をしゃくって促すと、はぁ〜っとカカシはため息をつく。

「はじめてなんだよね、側にいたいなって思うの。その人が他で笑ったりすると、オレだけ見てて、とか思ったりするわけよ。」
「ほ〜、どんなタイプだ。」

口布の下でカカシがへにゃ、と相好を崩すのがわかった。

「可愛い人だよ〜。オレのこと、一生懸命守ってくれようってするの。もう、それだけで股間直撃っていうか…」
「股間はいいからよ…」

改めて煙草に火をつけ、ぷは〜、と煙を吐く。

「しっかし、天下の写輪眼つかまえて守ろうなんざ、剛毅だな。」
「オレのこと、一般人だと思ってるんだよ。」
「……おわっちっ。」

ぽろっと口から煙草をおとしたアスマは慌ててそれを手のひらで受け止めた。

「そりゃ…難儀な…」
「うん、難儀。」

カカシがふたたびため息をつく。アスマは受け止めた煙草をくわえ直し、ぷかり、とくゆらせた。

「言っちまえばいいじゃねぇか。お前が写輪眼のカカシだってよ。」
「引かれそうで言えない。」
「意気地がねぇなぁ。」
「うん、意気地なし。」

ことん、とカカシがソファの背に頭をもたせかけた。

「どーしよー、アスマ。オレも男だしさ、好きな人にはムラムラってくるでしょ。なのにほんっとに無防備な人で、風呂上がりにパンツいっちょでウロウロするし、もういつ理性がプツッていくかって…」
「ぶばぁっ。」

くわえていた煙草がさっきの二倍ほどの距離を飛んだ。

「おいっちょっと待てっ。もうヤったのかっ。」
「んなわけないでしょ。告白もしてないのに。」

あ〜、危ないねぇ、火事の元だよ、そう言いながらカカシは、硬直したままのアスマにかわってふっとんだ煙草を消しに行く。アスマはまばたきも忘れてまじまじと昔なじみの友を見た。

「ヤッテもいねぇのに、パンツいっちょでうろつきやがんのかっ。」
「まぁね、でも考えてみれば普通のことなんだけど。」
「普通じゃねぇっ。」

流石にアスマは怒鳴った。もしかして恋愛に免疫のないカカシはとんでもない女に引っかかったのだろうか。カカシはきょとん、とアスマを見た。

「や、だって、パンツいっちょかどうかは置いても、夏、風呂上がりって上半身裸じゃない。」
「そりゃ男の話だろっ。若い女が風呂上がりにパンツいっちょってなぁ普通じゃ…」
「だって男だし。」
「……は?」
「だから男なんだってば。」
「はぁぁーー?」

短時間に驚くことが多すぎて、アスマは煙草を吸うのを諦めた。ただ目の前でへこんでいる友を眺める。

「……つくづく難儀な…」
「オレもそう思う。」
「おめぇ、あっちもイケたのか…」
「なーに言ってんの。オレはフツーに女が好きなの。ただ、男だったけどあの人だから惚れたのよ。」

でも、あの人もフツーの男でさぁ、とカカシはますますへこむ。

「ぜーったい、オレのこと、恋愛の対象なんて見てないよね〜。」
「…まぁ…そりゃ…フツーの男ならな…」

アスマは答えようがない。すでに昔なじみの覆面忍者は、ソファの背の方へ向いてちんまり正座している。銀髪までヘタレているように見えるのは気のせいではあるまい。

今、誰もいなくてよかったぜ…

アスマは待機所を見回し、胸を撫で下ろした。上忍といえど、直接カカシを知る忍は少ない。里のヒーロー、「写輪眼のカカシ」のイメージを落とさないよう気を配れ、とアスマは上から厳命されていた。つくづくカカシを気の毒と思う。今まで過酷な任務をこなし生き延びてきたのだ。里に帰ったときくらい、自由に好きなことをさせてやればいいのに。アスマはぼごっとへこんだカカシの脇腹をド突いた。

「あがっ。」
「しゃんとしやがれ。で、なんだ、とりあえず誕生日はソイツと一緒なんだろうが。」
「まぁ…ね、誕生日してくれるって言ったから。」
「だったら、告白は後回しにして、おめぇの理想とやらをやってもらえや。」
「げっ。」

カカシはブンブンと首を激しく振った。

「いっいっ言えるわけないでしょ、あんなこと。」
「恋人が出来たら絶対にやるって、酒飲むたんびに息巻いてたじゃねぇか。」
「そっそりゃ、酒の席だし相手がお前らだしっ」

恋人じゃないし…

最後の声は消え入りそうになる。

「うぎゃっ。」
「ヘタレてんじゃねぇ。」

今度は尻に蹴りが入った。

「こちとらおかげで耳にタコが出来たんだ。男ならガーンと一発ぶちかましやがれ。」
「イチゴののったホールケーキでお祝いしてくださいって?」

カカシがへにょりと眉を下げる。

「二十六の男がだよ、言えると思う?」

ますます引かれちゃうよ、カクリ、とソファの背にカカシは頬をつけた。

「…けっ。」

アスマは煙草を胸のポーチから一本取り出す。

「めんどくせぇ。」
「うん、ごめん。」

ぷかり、と煙草をくゆらすアスマの横で、カカシは窓越しの空をまたぼけっと眺める。残暑の日射しはまだ厳しいが、空には薄い雲がたなびきすっかり秋の風情だ。

「なんかよ、してほしいことがあったら言えや。」
「…うん。」
「んっとに、めんどくせぇヤツだな、おめぇはよ。」

ソファに座る野郎二人の頬を、窓から吹き込んできた風が柔らかく撫でていった。




☆☆☆☆☆




午後の待機ノルマを果たした二人が上忍待機所を出たのは、夕方五時の鐘の聞こえる頃だった。アスマはカカシ抜きで今日の飲み会はやるという。

「どーせオレの真剣な恋愛を酒の肴にしちゃうんでしょー。」

ポケットに手をつっこみ、猫背のままカカシが言えば、くわえ煙草の友人はにやっと笑った。

「まーな、とりあえずイチゴケーキ、がんばれや。」
「うるさいよ、髭。」

里を代表する上忍二人が連れ立っているせいか、廊下を行き合う他の忍達は遠巻きにしてその姿を見ている。

「カカシ、来週なら空くか?」
「ん〜、たぶんね。」
「紅の上忍昇格祝いに飲もうや。」
「場所、いつものとこね。」






ふと、アスマがくわえた煙草を揺らした。アスマはすっと片手をあげてカカシに背を向け歩き去る。カカシの佇まいは変わらない。ポーチから愛読書を取り出すと、片手はポケットに突っ込んだまま、アスマの歩み去った方とは逆にカカシは歩いた。イチャイチャパラダイスのページをめくりながら、アカデミーへ通じる中庭のベンチに腰を下ろす。傍らの大楠の葉陰から空気を僅かに震わせるだけの声がした。

「カカシ先輩、火影様からの伝令です。先日逃走した暗部の一件で。」
「ちゃんと解術できた?」

ほとんど口を動かさずにカカシは尋ねた。

「それが、医療班も手を尽くしているのですが。」
「そう、じゃ、術者のみ生け捕りするよ。」

他は殲滅。

カカシは片手をベンチの背にかけ、パラリ、と愛読書をめくる。

「まぁ、子供は無事だったけど、アカデミーの先生方に迷惑かけちゃったね。」
「は、面目ありません。」
「情報操作のほうは?」
「ぬかりなく。」

カカシはぱたん、と本を閉じると、のんびりと立ち上がった。西に傾いた太陽が楠の葉陰からちらちらと射し、カカシに金色の影を落とす。

「出立は明朝六時、暗部第三班を連れて行く。資料を頭にたたき込ませておけ。」

ポーチに本を仕舞ったカカシの目が一瞬、鋭い光を放った。

「一日でカタをつける。」

そのままゆったりと歩き出した。音もなく、楠の葉陰の気配も消える。
己に向けられる人々の視線があまりに多かったので、カカシは気づかなかった。中庭に面したアカデミー校舎の窓越しに、教師達が「かっけ〜」だの「本物の写輪眼がいる〜」だのと大騒ぎをしていたことを。そしてその騒ぎの中に、想い人の姿があったことを。カカシの心はすでに、イルカと暮らす一軒家へと飛んでいた。
 
仲間内ではヘタレていても、写輪眼のカカシはやっぱり里の誇る忍でした…