憧れの人
 


「あ、おかえりなさい。」

イルカが玄関をはいると、カカシが居間から廊下に顔を出した。

「ただいま。」

毎日のこんなやりとりがくすぐったい。

「今日は早かったんですね、イルカ先生。」
「あ、スーパー今からですか?オレも行きます。」

カカシが財布を手にしているのを見て、イルカは荷物を玄関口に置いた。財布だけ忍服のベストに突っ込み、カカシと一緒に外へ出る。残暑が厳しいとはいえ、朝夕はかなり涼しくなってきた。頬をなでる夕風が心地よい。

「今日の特売、なんですかねぇ。」

なんとなく弾んだ気持ちでイルカが言うと、カカシがくすっと笑いを漏らした。

「何?イルカ先生、なにか良いことあったの?」
「え?」

きょとん、とカカシを見ると、くすくすとまた笑った。

「だって、すごく嬉しそう。」
「あ、わかりますか?」

オレ、忍なのにまいったなぁ、イルカはぽりぽりと鼻の傷をかいた。

「いや、オレ、すっごく憧れている人がいるんですけど、今日、その人見ちゃったからかなぁ。」
「…憧れてる人?」

すぅっとカカシが目を細めた。だが、浮かれているイルカは気が付かない。へへへ、と照れ笑いしながら話はじめる。

「忍としても人としても最高かな。もう、考えただけで心臓ばっくばくで、そしたら今日、その人がいたんですよ。もう、うわーって感じになっちまって。」
「へー、忍…」

カカシの声が抑揚をなくす。

「忍の中の忍、ってか、木の葉広し、いや、世界広しってったって、あの人ほどの忍はいませんよ。詳しい事はまだ言えないんですけどね、あ、でも、そのうち絶対カカシさんにも話したいなぁ、その人のこと。」

イルカは今日の出来事を話したくてたまらなかった。だが、なにせ事はアカデミー内で起きた暗部がらみ、迂闊に里人へ伝えてはならない。忍の里では、中忍以上は下忍や里人への情報操作の一端を担っていた。上の判断がでるまで、忍がらみの出来事は伏せておくのだ。

「もう思い出しただけでもドキドキしてきて…」
「好きなの?その人のこと。」

突然言われて、イルカはきょとんとした。カカシが妙に固い表情をしている。

「ねぇ、その人のことが好きなの?」

真面目に畳みかけられて、イルカはぷっと噴き出した。

「いやだな、好き、とかじゃないですよ、言ったでしょう?憧れだって。そんな雲の上の人なのに、好きもなにも。」

ケラケラとイルカが笑うと、カカシがぷっ、とむくれ顔になった。

「笑わなくてもいいじゃないですか。イルカ先生が片思いしてるのかと思ったじゃない。」
「かっ片思いって…」

イルカは道を歩きながらいっそう笑う。

「そーんな、恐れおおすぎ。実物見たのだってこれが三度目なのに。」
「え、そうなんだ。」

どことなく、カカシの肩から力が抜けた。だがすぐに、まだ笑っているイルカの顔を真剣な面もちで覗き込む。

「ね、それって誰のこと?木の葉の忍?有名な人?」
「そりゃあ…」

有名な写輪眼のカカシですよ、と言おうとしてイルカはハタと我に帰った。はたけカカシは木の葉を代表する忍で、里人だけでなく同じ忍の中でも憧れている者が多い。いわば里のスーパースターである。もちろん、同じ名前をつけられたのだから、隣を歩く畑野カカシが知らないはずもない。しかし、今自分は、馬鹿みたいに大騒ぎしなかったか?ドキドキするだの、見ちゃってうわー、だの。これで『オレの憧れの人は写輪眼のカカシです』などと言おうものなら、精神年齢アカデミー生だ。子供がスーパーヒーローに騒ぐのと同レベルになってしまう。

「…いっ言えませんよ、そんな恥ずかしい。」

急に自分がガキに思えて赤面したイルカはもごもご口ごもった。だが、カカシはしつこかった。

「え、なんで恥ずかしいの。ただの憧れなんでしょ。教えてよ。」
「やですよ。」
「あ、ケチ。」
「ケチでもなんでも、教えません。」
「いいじゃないですか、減るもんじゃなし。」
「……減る…かも…」

その言葉にカカシは口をへの字に曲げた。

「いいですよ、イルカ先生のドッケチ。」

ぷいっとそっぽを向く。イルカは呆れたように眉を下げた。

「そんな怒んないでくださいよ。」
「ふーんだ、イルカせんせなんか知らないですー。」

イルカは思わず苦笑した。イルカと同い年のこの美丈夫はたまにこうやってダダをこね、子供みたいになる。しかも自分は、拗ねたカカシを宥めるのが案外楽しかったりするから始末に負えない。

「ほら、カカシさん、今晩美味しいもの作りましょうよ。果物も買いましょうか。」
「隠し事するイルカせんせなんか、知らないんです。」

イルカが顔を覗き込めば、カカシは反対を向いてしまう。

「ほらほら、二十五にもなろうかって人が何です、子供みたいに。」
「もうすぐ二十六ですっ。」
「…え?」

イルカは一瞬、目を見開いた。

「もうすぐって、カカシさん、誕生日…?」
「あ、いや…」

カカシが焦ったように手を振った。

「えぇ、まぁ、誕生日はもうすぐですけど、別にそんなたいそうなモンじゃ…」
「たいそうなモンですよっ、いつですか、誕生日。」
「あ〜、失言でした。気にしないでよ、イルカ先生。」
「いつです?」

ずいっと詰め寄られ、カカシはがしがしと頭をかいた。

「今月の十五日なんですがね、ホントに気にしないで、オレ、別に…」
「おっしゃ。」

イルカは拳を握った。カカシがぎょっと体を引く。

「十五日ですね、オレ、任務いれませんから、カカシさんも空けといてくださいよ。」
「あっあの…」

きまり悪そうなカカシに、イルカはにかっと笑ってみせた。

「誕生パーティしましょう。」
「え…?」

カカシはまだ戸惑っている。

「楽しみにしておいてくださいよ、といっても、たいした事はオレ、出来ないですけどね。」

旨いもん食べて、ぱーっと飲みましょう、そう言ってイルカは腕をブンブン振り歩き始めた。

「よーし、日程調整するぞー、受付の底力、みせてやるー。」
「あ、まっ待って、待ってイルカ先生。」

追いかけてきたカカシの顔を伺うと、どことなく照れたような笑みを浮かべている。イルカは嬉しくなった。カカシのために何かしてやれる、それがこんなにも心浮き立つことだとは。

「おっと、その前に今日の晩飯晩飯。」
「あ、そうですよ、急ぎましょ。」

幾分涼しくなった夕風に吹かれ、スーパーまでの道を一緒に歩く。

ずっとこうやって暮らせたら…

ふと、心に浮かんだ考えをイルカは慌てて振り払った。今はかりそめにカカシが滞在しているだけだ、それを忘れてはいけない。

とにかく十五日のことを考えよう。

チリ、と走る痛みを押し殺し、イルカは己に言い聞かせた。
 
カカシ、自分自身に嫉妬の嵐。イルカせんせ、無自覚に罪なお人どすなぁ。